草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

保守党に加盟しようとした太宰治

2010年06月24日 | 思想家

 世の中に逆らって生きるのが無頼派であるといわれるが、太宰治はやっぱり偉かった。先の戦争で日本人が必死に戦ったのを、けなしたりしなかったからだ。太宰は『もの思う葦・「返事」』で、国を親に譬えて、「馬鹿な親でも、とにかく血みどろになって喧嘩して敗色が濃くていまにも死にそうになっているのを、黙って見ている息子も異質的ではないでしょうか」と書いた。至極まっとうな意見である。息子が助っ人するのがあたりまえだからだ。太宰は戦場に散った若者の死を容認し、「私はいまこの負けた日本の国を愛しています。かつて無かったほど愛しています」と心境を吐露したのである。太宰にとっては、それはマスコミに対しての皮肉でもあった。「私はいまジャーナリズムのヒステリックな叫びの全部に反対であります。戦争中に、あんなにグロテスクな嘘をさかんに書き並べて、こんどはくるりと裏返しの嘘をまた書き並べています」と揶揄した。そして、「私はいま保守党に加盟しようと思っています。こんなことを思いつくのは私の宿命です。私はいささかでも便乗みたいな事は、てれくさくて、とても、ダメなのです」とつぶやいたのだった。現在のジャーナリズムも同じようなものである。大騒ぎしたおかげで政権交代は実現したが、その責任を取ろうとはしないからだ。太宰ファンならずとも、政治に対してはシニカルにならなくては。

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混濁の世に草莽の志士村上一郎を想う

2010年06月24日 | 思想家

 日本の政治が迷走を続けているだけに、村上一郎のような孤高な思想に惹かれてならない。戦争中は海軍主計科士官であった村上は、日本が敗北したことで、徹底的にたたきのめされたのだった。そして、自らの終戦テーゼなるものを作成した。「米国ヲ以テ終生ノ敵トシ、米国的資本主義勢力ヲ日本社会ヨリ駆逐スルコトヲ念願トス」というのを一番目に掲げ、報復を誓ったのである。あくまでも米国流の民主主義を受け入れまいとする、過激な攘夷論にほかならなかった。村上は、国粋主義者から一転して左翼に変節したように思われているが、ナショナリストとしての順逆不二の立場であり、反米主義者としては、終始一貫していたのである。それと同時に、村上が抱いていた戦後民主主義への不信感は、三島由紀夫の心情とあまりにも似ている。民主化運動に身を置いたこともあるだけに、その思いはなおさら切実であった。「冷厳・過酷な価値観の欠如、精神の勁さの欠如をかなしく思うのは、むしろ戦後についてである。戦中のにがにがしさ、いたたまらなさ、恐ろしさは、断崖に向かうときのそれだ。が、戦後のそれは、廃園に向う気がする。冴えた一切のものに欠け、しかも蕭条とつづく憂愁がそこにはある」(『明治維新の精神過程』)と述べているからだ。米国を中心にした連合国に占領されたことで、日本は骨抜きにされてしまった。今後、日本の国柄をどのように守り育てていくかが大きな課題になっている。日本の保守主義や民族主義を考える上でも、草莽の志士であった村上一郎のことを避けては通れないのである。国家を否定する動きが強まるなかで、米国に依存しているだけでよいのだろうか、という素朴な疑問が生まれつつある。反米とまではいかなくても、そろそろ日本が自立へ向かう時がきたのではなかろうか。

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