新新右翼ともてはやされてきた鈴木邦男氏と、今注目されている行動する保守派の若い人たちが激突する。還暦を前にした世代の者にとっては、どう考えたらよいのか迷ってしまう。学生騒動が激しかった1970年頃は、新民族派といわれた学生たちが、日本学生同盟を結成していた。そこの一部が三島由紀夫が隊長の楯の会の移ったのである。それから日学同は自民党系の自由派と分裂したり、急進的な日学同解放派まであったような気がする。極左の運動がピークを過ぎると、新民族派も衰退し、かろうじて、日学同主流派が中心となった三島由紀夫研究会が活動していただけであった。ただ、日本大学で、生長の家系の反憲学連がヘルメットで武装して、極左を排除したこともあった。日本学生会議という攘夷論的な学生も、ときおり跳ね上がった行動して話題を集めたものだった。『ジャスコ』や『無窮』という機関紙に読みふけったこともあったが、それも昔のことになってしまった。最近では、レコンキスタを発行する一水会のメンバーがマスコミの寵児になっていたと思っていたらば、もはや鈴木氏らも時代遅れのようだ。国家解体の危機を前にしては、理論的にどうのこうのよりは、行動が先なのだろう。石川啄木の「ココアのひと匙」の詩は「奪はれたる言葉のかはりに/おこなひをもて語らんとする心を、/ われとわがからだを敵に擲げつくる心を」と詠んでいるが、日本の保守派もそこまで追い詰められているのではなかろうか。しかし、誰がそれを笑うことができようか。
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