一番しんがりを走っているのに、先頭を走っていると勘違いしているのが、日本のサヨクである。その典型が菅直人総理大臣ではなかろうか。婦人有権者同盟の市川房枝を応援したのは、優等生の常として、岩波の本を読んでいたからだろう。戦後の民主教育では、日本の国柄を否定し、ユートピア的な理想主義を叩き込まれた。だらこそ、団塊の世代は、破壊することを自己目的化した学生運動に走ったのである。東京工業大学を卒業して、弁理士の資格をとった菅は、新左翼の党派とは無縁であったから、他の党派から痛い目に遭うこともなかった。どこかに属していれば、それこそ修羅場を経験しただろうが、それも通過せずに、市民運動家から政治運動家へと転身したのである。そうした出自からも、傷つかなかったセンターレフトというのが、菅の代名詞なのである。しかし、菅が学んだサヨクの思想は、もはや時代遅れとなった。小泉純一郎元総理のように、平気で自分の支持基盤を突き崩すといった芸当を、とことんやる勇気は持っていないだろうから、革命的なことができるわけもない。かつての自民党の政治家と同じように、調整型に徹するしかないだろう。それがサヨクの市民運動家あがりの限界なのである。もはや宇野経済学も、主体性論争も過去の出来事だ。労農派か講座派かの論争も、あまりにも陳腐過ぎる。シーラカンスの菅直人をマスコミはヨイショしているが。本当はとっくの昔に終わった人なのである。マルクス主義もリベラリズムも、あくまでも抵抗の思想であり、この国を動かす力はない。菅政権はあっという間に消えてしまうしかないのに、マスコミは騒ぎ過ぎである。菅に未来を託そうというのは、そもそも時代錯誤なのである。
←会津っぽに応援のクリックをお願いします