草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

中国系の菅と韓国系の小沢の民主党でいいのかな?

2010年06月10日 | 政局

 長州人の菅直人に東北人の小沢一郎は、裏をかかれたのではなかろうか。あのときに自民党と大連立をしていれば、日本の政治はこんなに混乱はしなかったはずだ。小沢にとっては、菅の首相就任というのは、鳶に油揚げをさらわれたのと同じではなかろうか。それに、韓国系の小沢と、中国系の菅の争いというのも、原日本人の会津っぽとしては、見捨ててはおけない。あくまでも菅の場合は、苗字から推測しただけのようだが、米国は神経をとがらせている。永住外国人の地方参政権にしても、推進しているのは、今の段階では民団が中心であるが、そのうちに中国人が主力になるだろう。中国のことだから、菅を傀儡政権に仕立て上げ、将来的には日本支配を目論むだろう。やり方は簡単である。大挙して移民を中国から送り込めばいいのである。臍をかむことになるのは韓国ではなかろうか。中国の周辺の国家は、古代から併合される危機に直面してきた。独立できたのは、近代になってからだ。しかも、中華思想は今でも健在なのである。それに対抗するためには、日本と韓国とは協力すべきなのである。兄弟喧嘩をしている余裕はないのだ。菅は長州人であり、そして、中国系であるならば、会津っぽとしては、宣戦布告をして、徹底して戦うしかない。日本の独立が脅かされる可能性があるからだ。いよいよ長州との最終戦争に備えなくては。

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民主党擁護のコメンテーターの目はキョロキョロ

2010年06月10日 | マスコミ評

 テレビに出ているコメンテーターの顔を見ていると、民主党に肩入れしている人間はすぐにわかる。目がキョロキョロしているからだ。内心では自信がないのだが、何とか国民を丸めこみたいと思っているからだろう。荒井聡国家戦略担当相、蓮舫行政刷新担当相、川端達夫文部科学相の事務所費の問題についても、悪いことをしていないかのように弁護するのも大変なことである。領収書も出さないでいるのに、数字が合っているから大丈夫というのでは、世間で通用するわけがない。菅直人新政権が誕生して、一過性の支持率アップに喜んでいた民主党は、これで冷水を浴びせられたのと同じである。荒井大臣の場合は、読売新聞の6月9日付の朝刊に載っている「荒井さとし政治活動後援会」の事務所経費の一覧表では、金額がいずれも万単位で記されており、つじつま合わせの可能性は否定できない。領収書を示してくれればいいのだが、闇雲に逃げ切ることしか考えていないようだ。それでも、弁護するしかない人たちというのは、何かしら民主党とつながりがあるからだろう。矛先が民主党に向かいように、必死に話題をそらすのも、涙ぐましいものがある。しかし、多くの国民は分かったはずだ。民主党を擁護している人間が、自分の本心を語っていないと。自分自身を欺いてまで、民主党をかばうというのは、愚かな所業ではあるが、それもまた、金のためではなかろうか。可哀想なことだが、いつか後悔するのではなかろうか。目先の利益よりも、もっと大切なことがあるわけだから。

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菅首相は国柄の破壊よりも継続を重視せよ!

2010年06月10日 | 政局

 お人よしにもほどがある。鳩山由紀夫や小沢一郎のトップ二人が、それぞれ首相や幹事長の職を辞したからといって、民主党がクリーンになったわけでもないのに、菅直人新政権に期待している国民が多いからだ。しかし、菅新政権が問題なのは、クリーンだかどうかということではない。保守派の自民党などと違って、日本の歴史や伝統に対する敬意に欠けることが大問題なのである。幕末の奇兵隊をもちあげているあたりは、保守派と変らないが、日本国民の象徴である天皇制を守るという信念が伝わってこないからだ。菅首相は、ことさら進歩派ぶって、時代に押し流されるだけの政治家ではなかろうか。オルテガ・イ・ガセトは、イギリス国王の戴冠式の記事に触れながら、君主制の重みについて、「イギリスは戴冠式という象徴的な儀式によって、革命という方法に対する継続という方法を再び対置したのである。そしてこの継続という方法こそが、人間事象が進展する際に、あの病的な面が現れるのを防ぐ」(『大衆の反逆』桑名一博訳)と述べたのである。過去というのは、オルテガ・イ・ガセトも指摘しているように、人間にとっての宝物なのである。それは失敗の繰り返しでもあるからだ。過去から学ぶということは、その失敗に学ぶことなのである。菅政権では、全共闘世代が政権の主要なポストを占めている。それだけに、過去からの遺産を破壊することばかりに血眼になっているようで、危惧の念を抱かざるを得ないのである。

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