仙谷由人内閣官房長官と松本健一が知り合いだそうだ。二人とも東大卒のインテリであるが、それにしても、仙谷の品のなさはなぜだろう。松本が「現代の眼」に連載していた「若き日の北一輝」を読んだことがあるのだろうか。仙谷ごときが北一輝を愛読しているわけはないが、かつて社会党の代議士であったわけで、現在、民主党を名乗っているのも、おこがましいことなのである。北の人となりについて、面白いエピソードが残されている。北は人に接するときには、決まって「さん」付けで呼んだのだという。いかに年下であっても、「君」付けにして見下すようなことはなかったのである。もちろん、北の取り巻きのなかには、いかがわしい人間も多かった。北が三井財閥から面倒を見てもらっていたのも確かである。盆暮れには、今の数千万円もの金が届いたともいう。それを批判するむきもあるが、傲慢な振る舞いに及ぶことはなかったのだ。何かすると声を張り上げる仙谷とは、人間がまるっきり違うのである。順逆不二ともいわれる北の思想についても、大川周明が「仏魔一如の世界を融通無擬に往来していた」と述べているように、並みの思想家ではなかった。それでいて、白面の書生という一面もあったのだ。団塊の世代である仙谷は、あくまでも成績の良い優等生でしかなかったのだろう。松本のような詩的感受性があったならば、封印の書であった北一輝全集をひもといていたはずだし、サヨクにもならなかっただろう。サヨクに毒された団塊の世代が引退しなければ、日本は良くならないのではなかろうか。日教組によって、自分たちの祖国を貶めるようなことばかりを教えられ、先人の思いを顧みる教育を受けていないからだ。以前に北一輝ブームが起きたとはいえ、それは一握りの者たちだけであったのだ。仙谷の恫喝的な態度を見ていると、カルト信者のように単細胞で、暴力で一般学生を黙らせた過激派の活動家の顔とダブってならない。
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