草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

小沢の関与認めつつ無罪を言い渡したトンデモ判決を嗤う!

2012年04月26日 | 政局

 どうせ小沢一郎は首の皮一枚なわけで、東京地裁で今日無罪を言い渡されても、手放しでは喜べないだろう。かろうじて無罪にはなったが、小沢の時代はとっくの昔に終わっているわけだから、間違っても勘違いすべきではない。虚心坦懐になって、今回の判決理由を読んでみればいい。あれは有罪を導き出すための文面ではないか。秘書が独断で多額の金銭を動かすことは、誰が考えても不自然である、と述べているし、帳簿外で処理していたことについても、小沢が「当然のこととして容易に認識し、了解したものと考えることができる」とまで断定している。普通であれば、関与していたことが明らかであれば、小沢の有罪は確定ではないか。それが無罪になったのだから、トンデモ判決と言われても、裁判官は返す言葉がないはずだ。小沢側近のなかには、民主党内で多数派を形成し、「小沢元代表を総理大臣にしよう」と持ち上げるお調子者もいると思うが、そんな無責任な発言を無視し、今こそ政界からの足を洗うことを、小沢は真剣に考慮すべきだろう。本来は罪に問われても不思議ではないのに、無罪になったのは「武士の情けだ」と感謝し、石をもて政界を追われないうちに、岩手に戻るべきなのである。ここでもう一旗揚げようとすれば、晩節を汚すだけだ。老兵は黙って去るしかないのである。


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今後どうなる言論における小沢一郎的現象!

2012年04月26日 | マスコミ評

 今日を境にして、小沢一郎の政界での影響力はなおさらなくなるだろうが、マスコミやネットの世界での小沢支持者の動きについては、これからも目が離せない。消費税やTPPをめぐっては、それほど私と開きはなく、かなりの部分で重なるからだ。しかし、根本的に違うのは、小沢個人を神格化し、政権交代を実現した民主党のマニフェストにこだわる点だ。なぜそこまでするのか、私には理解できない。さらに、小沢が与党民主党に属しているにもかかわらず、国家権力対小沢個人の闘いであるかのような図式化も、無理があるのではないか。平成二年、小沢が自民党を離れるにあたって、改革派対守旧派という色分けを口にし、それが国民に受けたのは確かだ。それもあってか、絶えず敵を設定して、自分たちの結束を優先させてきたのが、小沢のやり方であった。そして、マスコミなどでも一定程度の影響力を持ち、ネット言論でも、保守民族派に続いて、大きなウエイトを占めてきた。小沢を擁護してきたマスコミ関係者やブロガーが、今後どのような動きをするのだろう。自然な流れとして、小沢と一緒に退場するのか、それとも、新たな言論戦を挑んでくるのか、私には皆目見当がつかない。東西の冷戦構造が崩壊してから、日本の政治も混迷してきた、そこで新たな保守を立ち上げようとしたのが、小沢一郎であったと思う。小沢一個人よりも、それに付随した、言論における小沢一郎的現象がどうなるか、私の興味はその一点に尽きる。

 
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春の夜の独り酒 5首

2012年04月25日 | 短歌

酒瓶は一升なりしころがして闇の巷にころころころと

命果て恋しきことがなくなれば酒の苦さもなくなりしかな

牧水も勇も我も酒呑めば五臓六腑が悲しみにけり

春は来ぬ一升瓶を立ておきて宛なきメール天まで届け

春かなしかの人の言なつかしく酒をあおれば涙しこぼる

   
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小沢一郎を政界から追放したい民主党執行部の権謀術策

2012年04月25日 | 政局

 小沢一郎が有罪になろうとも、はたまた無罪になろうとも、二度と出番はないと思う。しかし、明日の東京地裁での判決を前にして、魑魅魍魎が跋扈し、権謀術策がまかり通っていることだけは、外野席からもうかがい知ることができる。今の民主党執行部から小沢は見捨てられたのである。平成の脱税王鳩山由紀夫は罪に問われなかったし、在日から献金を受けていた菅直人も、司直の手に委ねられることはなかった。実際のところは、鳩山も菅も、そして小沢も50歩、100歩なのである。小沢だけが司法の場で裁かれるのは、それなりの理由があるのだろう。野田佳彦首相は、政権運営が行き詰まっているから、自民党と手を組むしかない。それにはお土産が必要であり、小沢を切るというのを、言葉ではなく、具体的な行動で示す必要がある。小沢が有罪になれば、野田は満面の笑みを浮かべることになるだろう。自分たちが表向き手を下さなくても、その時点で小沢は、政界から抹殺されるからだ。政治は綺麗ごとではない。邪魔者がいれば、それを追い落とすためには、手段を選ばないのが普通なのである。平成4年に自民党を離れてからの小沢は、それまでアメリカのポチであったのを忘れたかのように、新たな道を突き進もうとした。その志は了としても、誰とでも野合したことで、付け入る隙を与えてしまった。本当は保守派として、歯を食いしばるべきであったのだ。終わってしまったことは、もうどうにもならないが。

 
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会津老樹の一つ飯盛山の太夫桜がいよいよ見頃に!

2012年04月24日 | 観光

 ここ数日暖かい日が続き、会津地方もようやく桜の季節を迎えたが、私の一押しは会津若松市飯盛山の太夫桜である。昭和17年刊行の『若松市史』には「寛永の頃いっき太夫と呼ぶ遊女、此辺にて兇徒のために殺されしを舎弟南秀と云へる僧(當時瀧澤町南岳院)其跡を弔ひ、後ちの印に墓側の植ゑたるものと云ふ。春陽満開の候、絡繹として観る者絶えず」と記されている。惨劇の血潮が、舞い落ちる花びらを染めているかのようで、あでやかさでは、どこにも引けを取らない。長蛇の列ができた昔とは違って、今では通りすがりの観光客がふと足を止めるだけとはいえ、忘却の彼方に追いやられたわけではない。長寿のエドヒガンであることから、いっき太夫が美しかったことを、後の世にも語り伝えるのだろう。目印は白虎隊記念館であり、一週間後あたりが一番の見頃ではないかと思う。梶井基次郎が「桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか」(『檸檬・ある心の風景』)と書いているように、惨劇に遭った遊女を思い出させるからこそ、なおさら美しいのだろうか。このほか、会津五桜としては、会津美里町伊佐須美神社境内の薄墨桜、同町法用寺境内の虎尾桜、猪苗代町磐神社境内の大鹿桜、会津若松市一箕町の石部桜、会津坂下町舟形の杉の糸桜などがあるが、悲しい物語が伝わっているのは、飯盛山の太夫桜だけである。

 
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児童妊婦巻き込んだ死亡事故の遺族を見世物にするマスコミ!

2012年04月24日 | マスコミ評

 スポンサーだからどうかわからないが、国家権力には尻尾を巻くくせに、弱い者には、情容赦ないのがマスコミである。京都府亀岡の児童や妊婦を巻き込んだ交通死亡事故で、新聞社の取材が目にあまるというのを、救命救急センターのスタッフがブログで書いている。但馬救命救急センターの霊安室の前で、読売、毎日、朝日の記者がカメラを構えて、帰宅に着く遺族の姿をパチパチ撮影したというのだ。「ご家族、医療者、関係者の心情を考えられないマスコミの人間の心は腐っているのでしょうか」と憤っていた。遺族をそっとしておくのは、人間として当然の配慮ではなかろうか。マスコミはよく、身内を亡くした人たちをさらしものにすることで、悲しみを共有しているかのようなフリをする。テレビのワイドショーはその典型である。話題が変われば、キャスターやコメンテーターはすぐに晴れやかな顔になるくせに、芝居を平気でやらかすのだ。さらに、そのスタッフは、新聞記者の横柄な態度にも、怒り心頭に達したはずだ。撮影するために、怒鳴り散らしている彼らの姿が容易に想像できる。ベトナム戦争を取材して、べトコンの戦死者が見世物になるのが許せなくて、カメラに蓋をした日本人記者がいた。安手の正義やお涙頂戴に与しなかったのだ。今回の出来事は、マスコミが精神的に退廃していることを、私たちに教えてくれる。ネットの方がまだましだと思うのは、私だけだろうか。

 
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事実伝えず大本営発表に逆戻りした日本のマス・コミを嗤う!

2012年04月24日 | マスコミ評

 団塊の世代に連なる私は、ブル新とよく言ったものである。資本家の手先でしかない新聞を軽蔑した言葉であった。私がサヨクのイデオロギーと綺麗サッパリと決別した後でも、彼らへの不信感は変わらない。そして、かつて高橋和己が「世は歌につれ、世は人につれ、世相の移り変わりとともに、どのようにでも変容する存在にマス・コミが逆戻りしないとはかぎらないのだから」(『孤立無援の思想』)との危惧が、まさし現実のものとなったのだ。マス・コミは民主党政権を擁護するために、原発事故の全貌を明らかにすることも断念し、デフレ不況下で、年間3万人以上の自殺者が出ていることにも目をそむる。国からの手厚い保護を受けているNHKなどは、まるっきり国営放送である。高橋はマス・コミに従事している者たちに向かって、「自らが何であるかを思弁する」ことの大事さを説いた。しかし、勝ち組を自任している彼らに、それを期待する方が間違っている。それだけに、高橋和己が「読者としては、一篇の報道文、一片の写真にも、向こう側からこちらを睨みすえている存在のあることを常に意識しておくこと」の大切さを訴えたのを、もう一度私たちは噛みしめるべきだろう。マス・コミが国の発表を鵜呑みにしたことで、多くの国民が被曝したのである。「マス・コミが逆戻り」してしまったのであり、事実を伝えないばかりか、国家権力の走狗と化したのだから、何をか言わんやである。

  
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開成山から五百渕にかけて郡山のホットスポットではないか?

2012年04月23日 | 災害

 福島県民はそれほど愚かではない。何もなかったかのように暮らしているわけではない。国道49号線を利用して、昨日、郡山市に出かけてきた。会津から中山峠のトンネルを抜けると、そこは旅館街が軒を連ねた磐梯熱海だが、空気中の放射線量は、わずかに会津を上回る程度。1時間あたり0・3マイクロシーベルトを超えて、車内の線量計がピーピー鳴り出したのは、郡山市の市街地に入ってからだ。それは阿武隈川を越えるまで続いた。とくに高い数字を記録したのは、開成山公園から五百渕公園にかけて。1時間あたり0・6マイクロシーベルト以上の、放射線管理区域に該当するのではないか。街を行き交う人々も、マスクをつけている人が目立った。国や県が本当のことを教えてくれないというのは、福島県民であれば、じゅうじゅう承知している。しかし、ようやく手にしたマイホームや、今の仕事を捨てるわけにはいかないのだろう。それをドラスチックに変えることができるのは、国家権力だけである。戒厳令が布告され、その場所から退去を命じられれば、それに従うしかないからだ。また、一口に郡山市と言っても、放射線量にバラつきがある。それを考慮した街づくりは考えられないものだろうか。小中学校を移転すれば、除染よりも経費がかからずにすむはずだ。確率から言えば、癌で死ぬ人は一握りかもしれない。それでも、このまま放置しておけば、後悔先に立たずということになりはしないか。その意味からも、国や県の責任は重大なのである。

  
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小沢の裁判での有罪無罪はたいした出来事にあらず!

2012年04月23日 | 政局

 小沢一郎への判決が今月26日、東京地裁で言い渡される。有罪か無罪かでマスコミは大騒ぎだが、どちらになろうとも、たいした出来事ではないと思う。かつて山本七平が小沢の師である田中角栄の裁判について書いたように「一大ニュースになっても、歴史の方向を決定づけるような事件では」(『「常識」の非常識』)ないからだ。もし無罪であっても、主義主張が一貫しない小沢には、今後の日本の政治を引っ張る力量がない。あくまでも自己保身しか頭になく、そのために小沢グループを拡大し、政治を私物化しているだけだ。政治はあくまでも結果責任なわけだから、小沢だって一般レベルの倫理観があればよいのであって、政治家として何をしたかが問題なのである。これまで私は、小沢に期待して度々エールを送ってきた。しかし、それは無い物ねだりであったようだ。小沢は『日本改造計画』で、自己責任をともなう「普通の国家」を主張していたはずだ。ところがある日突然、コロリと態度を変えた。いつの間にやら、連合と結託して、負け組を救済するための、大きな政府を説き始めたのだ。これで小沢に嫌気をさした人も多かったと思う。さらに、現在の民主党執行部を批判しても、それは見え透いた恫喝でしかなく、実際に民主党を飛び出す覚悟は微塵もない。それを見るにつけても、金権利権よりも、私は信念なき小沢一郎が許せないのである。

 
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会津のお土産品を10句に

2012年04月22日 | 観光

女絵の夢二愛せし奈良屋九重

寅さんも粟饅頭は小池屋で 

清作の母のお菓子は太郎庵 

大仏がおわす地酒は笹政宗

一ノ堰棒鱈しゃぶる母の味

灯火はありがたきかな絵ローソク

会津では饅頭さえも天婦羅に

嫁入りのタンスの桐の花ゆかし

祝いには鯉の甘煮の昭和かな

野趣なりし大根おろし会津蕎麦

   
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