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昭和20年(1941年)12月8日 黒船来航からの日本100年史

2023年12月08日 11時22分37秒 | 昭和という時代
 「ブギウギ」で主人公の弟、六郎が兵隊として出征まもなく戦死してしまった
その後まもなく、日本はアメリカ、イギリスに対して宣戦布告、ハワイの真珠湾を空母からの攻撃機、戦闘機で急襲して大戦果を挙げた。

またマレー方面でも同時にイギリス海軍の超巨大戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを攻撃機で襲って、これを沈没させマレー方面の制海権を得て続々と陸軍はマレー半島へ上陸してオランダ軍を駆逐した。

六郎が戦死したのは、この戦争ではない、米英との開戦前に死んでいるのでこれより数年前からあったソ連や中国と戦争、その方面での戦死と思われる。

1853年、ペリー提督が率いるアメリカ艦隊が浦賀に来航した。
翌年、日米和親条約を締結、欧米の砲艦外交が成功した
日本は未だ徳川の武家政治で軍事力の差は歴然、下手に出れば人口100万人の世界でもトップクラスの首都「江戸」は火の海になる。
既に隣国中国(当時は満州族が漢民族を支配する『清国』)は欧米の強国によって理不尽なアヘン戦争で敗れて、不平等条約を結ばされ半植民地化となっていることを徳川幕府の閣僚も承知している。

それから日本中が騒然として憂国の士が異国嫌いの孝明天皇の意をくんで、各地で立ち上がり、幕府の弱腰外交に対して行動を起こした。
個人だけでなく、長州(山口県)毛利氏、薩摩(鹿児島県)島津氏、土佐(高知)山内氏など藩を上げて富国強兵を急ぎ、弱体化する徳川幕府に圧力を与える。

1867年、徳川幕府15代将軍、徳川慶喜は天皇に政権を返上して約250年の江戸幕府を閉じた。
1868年、薩長と過激派の公家らによって鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争となり、旧幕府の残党を追い詰めていった。
江戸は東京と改め、年号を明治として2年には、京から東京に遷都、明治天皇は東京へ御移りになられた。

明治新政府は欧米列強に侵略されぬよう日本の欧米化、近代化を急ぎ、特に工業化と軍備の飛躍的強化、徴兵制を取り入れて兵制の充実に力を入れた。

1875年隣の大国、ロシアとの北海道以北の樺太、千島列島の領有権は曖昧だったので、二か国間で「千島樺太交換条約」を平和裏に締結した。
樺太全島をロシアが領有、千島列島(現在の北方領土全域)を日本が領有すると言う条約である。
1877年(明治10年)鹿児島県で新政府の立役者だった西郷隆盛と不平士族が反乱、熊本城を攻撃して東京に向かう動き、新政府は軍を派遣してこれを鎮圧した(西南戦争)、これによって武家社会は完全に消滅した。
1879年には琉球王国を日本に組み込み沖縄県とする。

1894年(明治27年)軍事大国となりつつある日本は朝鮮半島に影響力を持ち、ついに「眠れる獅子」と言われた大国「清国」と戦争が始まる
日本は優勢に戦争を進め、翌年には「清国」が降伏した
日本は莫大な賠償金を「清国」から受け取り、清国国内に権益疎開地も得た
また事実上、清国は朝鮮国の宗主国として朝鮮を従えていたが、今後一切、清国は朝鮮から手を引くことも呑ませた。
これによって朝鮮に直接影響力を持つ国は日本だけで、周囲から隙あらばと狙うのはロシア、この2国のみが朝鮮に影響を持つ国である。

この1895年には親ロシア派の朝鮮王妃「閔妃(ミンピ)」を親日本派の「大院君(テウオングン)」一派と日本の一部軍人が襲って殺害する事件が起きた
大院君は閔妃の夫であった国王の父であるが、力のない王に代わって権力を行使していた閔妃と対立していたのである。
これによって朝鮮は一気に日本の支配下におかれるようになった。

日本に負けて国力と権力が大いに低下した「清国」は欧米の強国と日本帝国に食い荒らされてしまった。
そんな満州族王朝「清」の弱体化でいままで従っていた漢民族の中から政治家や軍人の芽が伸びだしていた。
1899~1900年にかけて義和団事件がおき、その影響で清国は欧米日8か国に宣戦布告して惨敗、政府としての力を失い、国は分割統治されてしまう。
日本も勝利国の一員として中国大陸に権益を得た。

朝鮮を巡る対立は、ついにロシア帝国と日本帝国の戦争を引き起こした
日清戦争から10年後の1904年「日露戦争」が起きた
日本は国力の全てを投入して戦いに挑んで、ついにロシアに勝った。
ロシアにはまだ戦争継続の余力は十分にあり、日本は破産寸前だった
しかしロシアにも階級革命の兆しがあり、極東の小国家との戦争ばかりに力を入れられない事情があった
日本と同盟を結んでいたイギリスの仲介で、日本勝利となったが薄氷の勝利だった。 
そのため清国からとったような莫大な賠償金はゼロ、樺太の半分を得たのと、朝鮮の日本支配、満州の権益の譲渡程度しかロシアから得ることができなかった、国民は大いに不満を口にして、弱腰政権と非難した。

1910年(明治43年)には政治能力を失った朝鮮(当時は大韓帝国)を日本が保護名目で日本帝国に併合、朝鮮国(大韓帝国)は正式に世界地図から消えた、これは日本がアメリカに敗れた1945年まで続いた。
(あるいは朝鮮半島の韓民族国家<または朝鮮民族>が英米および中ソの保護から完全独立を果たして朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と大韓民国となって国連に加盟した時まで)

1912年(大正元年)清国もついにラストエンペラー、幼帝 愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)をもって終わった。
中国大陸は約270年を経て、再び漢民族の国家になった。(中国の誕生)

1914年、セルビアとオーストリアの間で戦争が勃発、第一次世界大戦の引き金となる。
日本も同盟国のイギリスとの関係上、ドイツに宣戦布告して連合軍に加わった。
1917年にはロシアで革命が起きて、赤色民衆の国家ソビエトが政権を奪取。
ロシア帝国は滅ぶ。
1918年、ロシア革命のどさくさの中、日本軍がシベリアに出兵、失敗に終わる。
同じ年に第一次世界大戦が連合軍の勝利で終わり、日本も戦勝国の一員としてグアム、サイパン、テニアンや南太平洋の統治委託、台湾、朝鮮の完全支配、中国での遼東半島、大連、青島などの権益、北方領土から千島列島、小笠原列島、極東アジア、西太平洋に広い領土を得る。(日本史上最大の版図獲得)

1919年には朝鮮で独立運動がおこるが鎮圧
1923年(大正12年)関東大震災で約10万人が死亡
1928年(昭和3年)朝鮮の北、中国領の満州獲得を狙い関東軍(日本の大陸での軍団)が進出、中国軍と小競り合いが続く。
そんな中、中国国民党(蒋介石)や中国共産党(毛沢東)と戦う親日軍閥の張作霖(ちょうさくりん)を日本軍が暗殺。
張作霖の息子は逃走して日本軍に抵抗、関東軍は全ての中国軍隊を敵に回す。
1931年、満州の戦争は、この年から本格化する(満州事変)、翌年には関東軍は諸外国の認証を得ぬまま満州帝国を作り、清国最後の皇帝だった溥儀を満州国皇帝に据えた。 実質は日本の傀儡国家であった。

1933年、日本の満州進出などを咎める国際連盟を脱退した。(孤立化)
1936年、2.26事件 
1937年(昭和12年)、中国で盧溝橋事件(ろこうきょう)が起り、日本と中国の正式な戦争が始まる。(日中戦争)
1938年、国家総動員法公布、国民の自由及び権利は国家によって束縛される。
1939年、ドイツがポーランドに攻め込み第二次世界大戦がはじまる
ポーランドに続き、オランダ、ベルギー、フランスもドイツに占領される
1940年、日本はドイツ、イタリアと三国同盟を結び、米英など連合国と対立
1941年夏、ドイツに占領されて混乱する仏印(フランス領インドシナ=ベトナム、カンボジア地域)を日本軍が占拠。

1941年12月8日 日本がアメリカ、イギリスなどに宣戦布告
空母を中心にした機動部隊から発進した数百機の攻撃機によってハワイ真珠湾を攻撃、アメリカ戦艦に大打撃を与える。

1945年3月10日 アメリカ空軍の東京夜間大空襲で東京の半分が焼け、約10万人が死亡
その後、全国の大都市、中都市60か所以上が爆撃で焼失、多大な民間人犠牲者が出た。
1945年8月 広島、長崎に相次いで原子爆弾が投下されて、それぞれ約10万人死亡、現代になっても後遺症に苦しむ被ばく二世、三世がいる。

1945年8月15日 日本、無条件降伏 アメリカが作った新・日本国憲法発布 、大日本帝国は消滅、天皇は国民の象徴と明記される。
アメリカ軍の占領統治下での日本は独立国家でも主権国家でもない非占領国の状況。

1950年 朝鮮戦争勃発
1952年4月28日 サンフランシスコ条約調印 主権国家としての日本の独立が果たされた。
因みに東西に分割されたドイツは、西ドイツが1954年に米英仏との間で主権回復された、NATOの一員として再軍備も認証された。
我が国は、現在もアメリカが作った平和憲法のもと、再軍備は認められていない。
但し、1950年の朝鮮戦争に介入したアメリカは後方基地の日本の維持に困り、軍隊ではなく日本人による警察予備隊を組織した、これが自衛隊として発展して現在に至る。