缶ビールは冷蔵庫より、暖房をしていない部屋に置いた方がよく冷える季節になって来た。
朝夜は、ひんやりとした空気が充満している。 月曜は4時起きで港へ行った、そして今日もこれから港へ行く、先週とうってかわって晴れ間が続いている。
日曜は映画を見に行くつもりだったが、辞めた。 考えてみればなにも日曜日に行く必要はなかった
現役の時は日曜日、土曜日の終末は最高に忙しい商売で、魚屋の個人商売の時はそれでも日曜日は30%くらいは休めたが、板前になってからはゼロになった。
幼い子供たちには今になって可哀そうなことをしたと思う
フーテン猫のような自分の性格もあるが、家庭的な親父でなかったことは間違いない。
2年前、商売を辞めて第二の人生が始まった、なにより家庭人として生きられることが嬉しい。 ようやく家族になった気がする。
最初の一年は何をすればいいのか全く分からず、流されていたが、その後は退屈を無くするために同級生との付き合いの数を増やしたり、女性だけのボランティアグループに入って活動したりした。
近所の80代のおじさんや、おばさんとも仲良しになったし、今度は漁師の手伝いに行くようになって、そこに集う人たちと親しくなった。
ここで私と同じく手伝っているメンバーは富山の定置網の乗組員、工場勤めの青年、船長の恩師で水産高校の元教師(元校長かもしれない)と鯛釣りが趣味の先生の友人、船長の家族5人
船長は50歳くらいで、7代目だそうだから1700年代後半頃から200年以上漁師一筋の家系だ。
船長も中学生の時に漁師になるのは嫌だと言っていたが結局継ぐことになって水産高校に入り、そこで前出の先生と出会い、優等生で先生の目に留まり未だにつき合いをしているそうだ。
先生曰く「彼は他の船と同じように停船するが、速度、入船角度、風向きなどを繊細に計算して停船作業をする、そこが違うのだ」
この先生は昭和の先生の気骨がある、なので話していても楽しい、政治経済から水産業界、観光、相撲まで幅広く、地域貢献もされている方だ、同じく相撲好き&魚相手&観光業に生きて来た私と話が合う。
船長の奥さんは結婚前には漁業市場で事務員をやっていたので、その頃から私とは顔なじみ
そうそう今乗っている船は4年ほど前に新造した船で、初航海の時に「yottinさん、乗って見ますか」と言われたけれど船酔いしない自信が無かったので遠慮したことを覚えている。
こんな風に、先生など今まで何の関係も無かった人たちと知り合えて世間がまた広くなった、年取るほどに世間は狭まっていくけれど、逆に広げなくてはいけない
人は人と交わって人となるのだ、人との付き合いが終わればなから人生も終わるに等しい。
これからも機会あれば人脈を広げていきたいと思う73歳のじじいです(とは思っていないが)
まだ「どか~ん」と、ひと花もふた花も咲かせて見せようぞ。