先月「ゴジラー1.0」を見た記事を掲載した
見る側では、ほとんどの人がゴジラへの恐怖のスリルを楽しみに行くのだろう、かくいう私もその一人だが。
今回の映画の特異な部分は、日米戦争の終盤から、敗戦後間もない日本が舞台であること。
神風特攻隊の航空兵でありながら(当時は)卑怯にも逃げ延びた男が主人公であること。
その男を救う数名の人間の中の一人は、戦後の機雷掃海艇の乗組員で掃海作業が描かれていること、である。
若い世代は、船に乗って機関銃を撃って何をしているのだろうくらいの関心度だと思うが、あれは敗色濃い昭和20年にアメリカ軍は日本が既に食糧難、軍用機や艦船、武器や銃弾が乏しく国内生産力も低下している点をついて、それらを日本領の満州から朝鮮経由で日本に運ぶのを阻止して干し殺しにしようと言う作戦を行った(豊臣秀吉の鳥取城干し殺しと同じだ)
海上ルート(瀬戸内海や九州周辺および日本海)封鎖の為、日本近海の港湾周辺に1万個以上も水中機雷をB29から投下しまくったのだ。
富山県の伏木港にも撒かれたことは先般ブログに書いた。
戦後4年目の1949年、新潟県名立町の海岸に流れ着いた機雷が爆発、見物に来ていた子供たちが、見分の警官もろとも吹き飛ばされて63名が亡くなっている。
機雷とは、大型船の船底に比較的近い数十mの海中に浮かせて置き、船が通過すると爆発して船底を破り沈没させる爆発兵器の一つである
日本の軍艦や輸送船はこれによって数百隻も沈没したと言う
沖縄に大挙して押し寄せたアメリカの軍艦数百隻、しかし日本沿岸には攻め寄せてこなかった、それは空からの攻撃や兵糧作戦もあっただろうが危険水域との認識があったのでは?
戦後の海外からの兵員や移住者の引き揚げ船や経済復興の為、安全航路の確保を目指してこうした機雷駆逐の為の部隊が編成されて日本各地で掃討作業をしていたのだ
それは一口では言えぬ難しい仕事で、アメリカ軍も簡単には始末されないように国際法を無視した装置を開発して取り付けていたからだと言う。
戦後間もない、そんな危険物を排除するために働いていた人々に目をつけて描いた脚本家はなかなかマニアックだと感心して見ていた。
こんな仕事をしていた作業員の給料は当時の一般サラリーマンの3~4倍の危険手当給料をもらっていたと言う。
蛇足だが、日本に海からやって来たゴジラも多くの機雷に触れてやってきたことは大いにあり得る、かれもまた一種の機雷掃討作戦の功労者ではないだろうか。