Sに初めて会ったのは、高校の入学式が終わり、各クラス別に
教室に収まった時だった
隣に真っ黒で痩せた顔、目だけがぎょろぎょろとした田舎顔の
Sがいた
同じ中学校出身の同姓のS2もいて、矢張り山出しの顔つきだ
どちらも生活力あるたくましい百姓の倅だった
S2の親父は市会議員で、その土地では名士だ。 彼は言った
俺たちの村では高校へ入れるのは数少ない(エリート)だと
当時の私の中学校では高校進学率は95%を超えていたが、彼らの
中学校では20%足らずだったらしい
私の町も海辺の小さな田舎町だが人口4万、ここから15kmほど
山に入った彼らの村はバスでも1時間かかる
そんなSは卒業後、東京へ出て働いた、彼は農家の長男だが
封建的な田舎にあって東京へ出たのは、単に東京で暮らしてみたかった
だけにとどまる
いずれ、田舎に戻って商売をしたいという夢を持っていた
痩せた山間部の棚田を引き継ぐ気はなかった
そして秋田県の奥山から東京で働いていたA子と付き合った
色白の彼女は食堂に努めていた
そして同棲して子供が生まれた、彼が22歳の時だった
彼は、夜遊びしたい先輩の残業まで請け負って、人の2倍働き
無駄遣いせず、こつこつと貯めて500万円になった時、田舎に
帰る決心をした
田舎に戻る前にしたのは結婚式だった。 自分の田舎は後回しにして
A子の実家を訪ねて、そこで小さな祝言を行った
自分が生まれた土地を山間部のド田舎と思っていたのに、A子の
村は、彼の想像も及ばない山の中であった(と私は彼から聞いた)
秋田県雄勝郡雄勝町秋ノ宮というところだ
(菅総理と同郷だった、その時は菅さんは法政大学在学か卒業したころ
私の弟の6年先輩になる)
とにかくA子は働き者であった、明治生まれの口うるさい姑にも使え
(他人の親を失礼)
子を3人育て、店を切り盛りした。 朝は6時前から食事を作り
夜は10時ころやっと終わる
唯一2時間の休憩が骨休めだが、そこに悪友の俺たちが押しかけて
Sをメンツに加えて、店の小上がりで麻雀を始める
日曜は休みだが、土曜の晩から押しかけて座敷で多いときは2卓
タバコの煙でもうもうとなる
奥さんのA子は嫌な顔もせず23時過ぎまで起きていて、親父が
何か言うのを待っている
(あるとき、本音を話してもらったことがあるが、相当量の鬱積した
ものがあった)
一度など飲んで徹夜マージャンしていた私に布団を敷いてくれたことも
あった
25歳ころの私は、他人の迷惑も考えない大バカ者だった
さすがのSも考えて、店を立て替えて総合店舗を作った、その中に
麻雀店も作って商売にしてしまった。これはいい考えで、私のような
害虫は霧散した
しかし、それをすべて夫婦でやるのだからますます忙しくなった
残念なことに奥さんのA子さんは突然亡くなってしまった
早い仕舞であった、秋田の人が働き者だという印象を私の心に残した
人だった。