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 神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

雨上がり 朝顔

2019年09月30日 07時20分40秒 | 花鳥と昆虫・爬虫類・魚

夕べから深夜、時折叩き付ける雨

あまりに激しすぎて、逆に気持ちいい心持ちになる

それほど心が折れていたのかも知れない

 

今朝は、さわやかな気持ちで5時半に起きて魚市場へ行った

さっそく駐車場に停まった私に、背の高い魚問屋のおっさんが手を振っている

「おはようございます、明日から10月の月またぎだから鯛の値段落としたよ

明日からまたあがるから、今日は得だよ、この二箱いいから買っておけば」

「おいきた!」さっそくお勧めの4入り3kg詰めの地物の鯛をゲット

 

家に戻って、炊いて置いた「たこ飯」と先日、信州姨捨で買ってきた「新そば」で

朝食を済まして出勤。

駐車場の脇の草むらに咲く、野生の朝顔をパチリ

朝顔のこの淡いブルーがとても好きだ

今日は一日、さわやかに過ごせそうな感じがする

「みなさん、おはようございます」


ついに実現 消費税10% 

2019年09月28日 07時43分42秒 | 時代検証

いよいよ、意外と期待する企業が多い、消費税10%増税があと四日後に始まる

高齢世帯月消費額264000円が269000円になり 月5000円増 年間6万円増

高齢世帯年金収入、月約22万円 月5万円が不足する計算

なんにせよ、一般的な小売業には???だらけの軽減税率

我が家も新レジ購入で81000円思いがけない出費、ただし75%後日に補助金で戻るらしい

だが、その手続き書類のなかで法人番号記入があって、うっかりな私は番号の書類が

どこにしまったかわからなくて、ほぼ半日あっちこっちを飛び回って探したが見当たらず

結局、もって歩いていた書類カバンの中にあった

これじゃ家や店を探しまわったって見つかるわけない。 灯台もと暗し」とはこのことだ

 

軽減税率の分別が難しい

ケータリング(仕出し宅配)、持って行って置いてくるだけなら8%

届け先で、お弁当などテーブルに個別に並べてくれば10%

Aセレモニーの通夜オードブルを食事会場のテーブルの上に重ねて置いてくれば8%

斎場の控え室に置いてきて、家族がそれをてんでに食べ始めても、なぜか10%だとか?

引出物のカタログは10% 全てが食品のカタログも10%

引出物の食品だと8% ただしそこにグラスだとかがセットになっていると食品の価格が

グラスなどの価格より安ければ10%

なかなか判断しにくいシステムでありますが・・・・地方の行政官も頭を悩ますかも

ケースバイケースが判断基準になる場面も多くなるのでは無いだろうか

「ただいまのプレービデオ判定でな~んて」リプレイ検証でひっくり返ったり

まあ楽しみな増税でありますが、値段据え置きで税込み注文なら、確実に2%料理に

食い込む。 う~む頭が痛いぜよ!

いずれ小刻みにまた増税があるだろうから、もう一気に40%とかして他の税金全て

廃止して年金も自動車税も住民税も物品税も消費税から配分してしまえば払う方は簡単

なんだけど

更に言えば赤い羽根も緑の羽も、みんな消費税の中に入れてしまう、配分は政府にお任せ

もう個別の数十もある税金支払いで悩まなくて済むようにしてもらえたら、ありがたや!

まあメチャクチャな私的に賛同は無いでしょうが..言ってみただけ

 

 

 


さかきパーキングに武田氏の戦場を想う

2019年09月25日 19時34分26秒 | 日本の城

随分前から理屈屋さんの間で話題になったこと

新潟県には上越新幹線が走っていて、それは新潟県上越市を通って居なくて

東京から越後湯沢を通り、長岡市を通り、終点は新潟市、それらの町は新潟県では

中越地方と下越地方であり、上越地方とは反対の方角なのだ

こんなバカな話があるかと上越地方は憤慨したが、上越線の上は「上野の国」すなわち

群馬県で、越は勿論「越後国」新潟県なのだ、だから群馬、新潟を通る「上越線」となり

新潟県を三分割した上越地方とは何ら関係ない。

なんと言っても、開業の頃は新潟県の田中角栄首相、群馬県の福田赳夫、中曽根康弘

という巨頭が日本を支配していた時代だった。

 

さて全く関係ないけれど長野県を走っている「上信道」高速道路だ

これは調べてないから推測になるが起点と終点がよくわからない、北陸道との接点は

上越ジャンクション、関越道との接点は冨岡ジャンクション

結局ジャンクションが基点になるのだろうか?

まあ、そんな理屈はどうでもいい、でも上信道の上と信・・・信は信州、上はやはり上野

が正解なのかも

 

随分長くなったけど、本当はその上信道のさかきPからの景色について書きたかった

さかきPは上田ICの近くにある。 以前は地味なPだったが近年コンビニが開店して

急に人の数が多くなった

ここはちょっとした高台にあるので眺めがとてもいい、眼下には千曲川が蛇行して流れ

坂城の町並み、戸倉上山田温泉へと続いている

ここから見える山や地域を記した案内板を見て驚くのは、見える範囲だけで5~6の

山城があることだ。

戦国時代には、これほど山城が密集していたのかと驚くばかりだ

このあたりは村上義清の縄張りで、そこから近い北には真田一族の縄張りが広がっている

このあたりの主導権争いを両者はしていたらしいが、真田が負けて上州へ逃げ延びた

その後、甲州の武田晴信(信玄)が力をつけて信州を侵略侵略してきた

現在の中央線に沿って信玄の棒道(当時の騎馬用の軍事高速道路)を造って北上し

塩尻峠で諏訪氏らの中信連合軍を破って、諏訪を占領、更に北上して松本平の

信濃守護小笠原氏を駆逐した

そして八ヶ岳の西から北上して佐久を占領、更に上ってついに信濃最強の村上義清と

対峙するに至った

勇猛果敢な村上勢は二度戦って二度、武田晴信を追い払った、最初の上田原の戦では

晴信の参謀板垣信方など有力武将が討ち死にして武田勢は大敗して逃げ帰り

二度目は村上方の砥石城攻めが失敗して、再び武田勢は這々の体で逃げ帰ったのだった

村上義清の居城葛尾城がさかきパーキングの右手に見える、大きな長い尾根が千曲川に

下りて行く、その尾根のピークが葛尾城なのだ

対岸にも三つほど山城があると案内板に書いてある、それらがどの側の城なのかは知らない

左手にも城が案内してある

武田晴信が大敗した砥石城は葛尾城の北にあり、真田の本拠地と川を挟んでにらみ合っている

位置関係だ、もともと真田方の居城だったが当時は村上は武田の先代、信虎と同盟していて

敵の真田(海野一族)を破ってこの城を占拠したのだった

その後、武田晴信は父親の信虎を駿府の今川家に追い払って家督を奪い取り、村上等との

同盟を破棄して信州へ攻め上ったのだった

しかし二度も大敗して意気消沈、「村上強し」がトラウマとなった

ところが武田晴信が大軍で押し寄せても落とせなかった砥石城はいとも簡単に落城してしまった

それは今や武田家の家臣となった真田氏が、かっての居城だった砥石城を調略を用いて

占領してしまったのだ

真田氏が武田のバックアップで追われた故郷を取り戻した瞬間だった、これで武田の勢力は

盛り返して攻勢に出て、村上義清を圧迫、ついに義清は葛尾城も放棄して、越後の長尾景虎

(上杉謙信)を頼って落ち延びていった

以後、善光寺平まで勢力を伸ばした武田信玄は越後の龍、上杉謙信と長い戦いに引き釣り

込まれていくのである(川中島5度の合戦)

 

 

 

 

 

 


まっくろカラスたち

2019年09月21日 08時51分20秒 | 花鳥と昆虫・爬虫類・魚

嫌われ者のカラス」って、ちょっと可哀想なくらい、よく見ていると愛嬌がある

とぼけた顔をしてる、昭和のカラスのようなずるい感じはしない 最近のカラスがそうなったのかな?

令和のカラスは可愛い、この頃よく見るのは交差点でエサを啄む姿

交差点のアスファルトに何があるか知らないけど、今朝も3羽が何かを

車が曲がってきても、上手く逃げることができなくて、見ていてハラハラする

本当に不器用なのか?エサ取りに熱中してしまうのか?

一羽が青信号の横断歩道を渡っていた・・・・? わかってるわけ無いと思うけど

犬や猫もたまにわたるからなあ・・カラスとネコはどっちが知能高いんだろう?

カラスは学習能力あるからなあ

チョンチョンと揃え足スキップするのが可愛い、あのまま10歩くらい行けばもっと可愛いと思うけど

昨日カラスがいた、我が家のガラス類置き場に、切れた蛍光管が入った蛍光管のボール紙を

くちばしで引きちぎっていた、ずっと見てたらとうとう50cm位(半分)引き裂いてカゴの中に落として

隣の屋根に飛んでいった

あれって何してるんだろう? 母ちゃんに叱られたうさ晴らし? くちばしの強化?

いろんなカラスを見てきた

魚屋の母ちゃんのけいとらの荷台から甘エビ3匹ほおばって飛んでいった奴

魚の箱の中から、一番大きな鰺の腹だけくっていったカラス(悪質!)

夫婦で子育てしているカラス

死んで、地べたに落ちているカラス その上の電線で2羽並んで泣き続けていたカラス

二羽で猫を挟み撃ちにしていたカラス

夕方、県道沿いの電線に数百羽ものカラスがずらり並んで、一時話題になった

カラスの生態は面白い、身近にいるからいつでも見られる

怖がらないで・・・・・・見ていると面白いから

 

 


頑張れ!鈴木亜由子

2019年09月14日 22時32分34秒 | 大相撲

今日は結婚式と船祝いの祝宴があって、さすがの私も

下半身がガタガタです

それでも気力は充実しているので明日も六時出勤でがんばるぞー!

 

旅行から帰って、二日間なぜか心が安らぐ優しい夢を見るように

なりました

実在しない先生が「紙飛行機を上手に飛ばせば、空まで

飛んでいくんだよ」と、やってみせると、紙飛行機は青空に

吸い込まれて行った

私もまねてやったけど、数メートルで落ちた

私は、子供なんだろう、この場面では、ただ青空がまぶしくて

でも心の中には、今の幸せな気持以外、何の雑念も無いんだ

目が覚めかけて(これが幸せの真の姿なんだ)と思った

目が覚めて、現実に戻ったけど、今日は思いのほか雑念は起きず

仕事に専念できた

 

明日はマラソングランドチャンピオンシップが

東京オリンピック出場の切符が二枚渡される

大好きな鈴木亜由子さんに一枚とってほしい

男子は記録も期待できる大混戦、この選考方法は画期的だと思う

実力者による恨みっこ無しの1本勝負だ、楽しみ


ルーツの一人旅 第二日 ふくろう神社

2019年09月11日 19時35分31秒 | 旅行 東北

12時前、急に激しい雷雨になった、朝から涼しげな感じだっただけに急変に驚いた

でも予報通りなんだな、これが・・・

 

さて二日目は快晴、朝5時半に目覚めた。

地理不案内な場所なので6時にホテルを出発しようかと思ったが、せっかく

朝食券ももらったことだし、飯抜き旅じゃシャレにもならないから食べることにした

そうなると食事の開始時間の6時半が待ち遠しい

やっと6時半になって食堂へいき海苔と納豆とサラダと味噌汁で朝食を済ます

コーヒーを一杯飲んで、さあ出発だ、相変わらずここも中国人客が多い

カーナビまかせで7時半に出発したが、通勤ラッシュの始まり、国道4号を抜けるまで

渋滞が続く、やっと県道に出て速度が上がった

やはり予想より遥かに遠くて、宇都宮から50km位はあったようだ

広い道で神社の看板を見つけた、細くて薄暗い林道に入った、神社まで3kmくらいか

急に気持ちが昂ぶってきて、右腕がしびれるような感覚になった、なぜ緊張してるんだろう?

いったん車から降りて、杉の木のオゾンを吸ってみた、ようやく落ち着いた

直に神社の入口に着いた、なんだか音楽や神楽の曲が混じって流れていて、賑やかだ

凛とした神聖な場所には思えない、どちらかと言えばメルヘンチックといった方が近い雰囲気

すぐに駐車場を見つけて外に出たら、もう蒸し暑さが始まっている

私が今日の参拝者で一番早いようだ

 

最初に7mの大フクロウの参道へ、急な石段を登るとすぐに四柱に乗った大フクロウの下に

着いた、おじさんが二人掃除をしていたので「おはようございます」と声をかけた

それから、中央にある芯柱を見たら、「バチで三回叩いて苦労をたたき出してください」と

書いてある、まず最初のおつとめ、すり減っている柱を叩いた

それから四柱の一本一本に両手を触れて、それぞれの柱の効能を願った

そこで願い事を書き、お金を入れてポストに入れた

次は本殿に参拝、この石段左右は茨城県と栃木県に別れている、二県にまたぐ珍しい参道なのだ

鳥居をくぐると仁王門がある、その手前で身を清めて急な長い石段を上がる、苦労にかけて96段

往復すると2×96でフクロウ(不苦労)になる

本殿横からは散歩道になっていて、様々な紫陽花が咲く

道を上り下りして歩く、見晴らし台やお稲荷さんなどもあって参拝しながら歩いた

帰りになったら、3グループが上がってきた、いずれも女性ばかりだった

 

おおよそ一時間神社で過ごし、神社の方と少しおしゃべりをして、みんなへおみやげにお守りを

買い、神社を後にした

父の義祖父の故郷、馬頭町を見て、更に北へと走っていくと那珂川の流れが見えてきた

古くから、河口の那珂湊から栃木県の黒羽まで水運が繋がっていて、それぞれの海産物や

農産物が上り下りしていたという

地図を見ると馬頭や黒羽は、川を挟んだ山の中というイメージがあるけれど、それは3000m

の山を背にする私の感覚であって、低い山はあれどもほとんど平らで、場所によっては、我が町より

遥かにひろい平野が広がっていた

栃木県にも2500m級の山が連なるが、それは北西部の日光市に集中していて、県央の東側は

茨城との県境付近が300~500mの小山が並び、黒羽から大田原にかけては200m程の

扇状台地の様に見える、豊かな農業の村だったような気がする

我が家も私の祖母が幼年時代までこの地で産まれ過ごし、小作人を雇って年250石の米が

あがる(現代の1500万円から2000万円に相当とか)豊かな家だったと言うことだ、

祖母はお蚕ぐるみ(絹の着物)を着せてもらったと、父に言ったそうだ

その家が急に衰退して、娘、母、祖母の女三人で故郷を追われるように宇都宮へ出たのが

明治40年の事だった、さらに南下して茨城の古河に落ち着いたのは大正の初めだった

そこで父は生まれて、貧しい暮らしの中で生きてきたのだった

古河は3度行ったけど、黒羽は初めてなのだ、那珂川を見た瞬間、感無量であった

次回はこの町に宿を取って、歩いて見てまわりたい、車ではゆっくり見ることもできず、狭い農道にも

入れず消化不良だった

 

昼食は3km程離れた道の駅「与一の里」で、大盛りとろろ蕎麦を食べた、なかなか美味しい

那須与一資料館にも入ったが、客は私一人で、館の受付の女性が最後までつきっきりで説明して

くれた

那須与一は弓の名手で源平の合戦で屋島の戦いの時、挑発する平氏の小舟に揺れる扇を

波打ち際から射て、見事に命中させた有名な逸話である

館の案内の女性から聞いた、与一伝説

*与一から扇までは75mくらいだった、これは道の駅の与一の銅像から、資料館の入口までの

長さなので確認して実感を味わってください

*与一は11人兄弟の末子で、10人、余り一人で「余一」=与一と名付けたとか

*与一、この時18歳とも20歳ともいう、いずれにしても若武者

*与一の兄弟は源氏に味方したのは与一と兄一人、残りは平氏に味方した、しかし平氏は負けて

滅んだ、与一は兄たちを探して、自分の功績とひきかえに許してもらい、那須地方の領地を

分けてやり、それぞれが那須地方の領主として繁栄した。

 

お客さんはいなかったが、館内の劇場で上映される人形劇シアターはなかなかの見物であるから

行ったら是非、見てほしいと思います、15分ほどの寸劇ですが面白い、あっと驚く!

 

コンビニに車を置いて先祖の地に向かって5分ほど歩いたが、35度の猛暑でとても無理だった、

片道5時間かかる遠い所だけれど、来年もう一度来て、今回行くことができなかったゆかりの

雲巌寺にも行ってみたい、那珂川縁を歩きたい、遠い祖先の地を歩いてみたい。

 

 


ルーツのひとり旅 第一日「宇都宮で餃子を食べた」

2019年09月10日 19時51分01秒 | 旅行 東北

8日、日曜日いつもの如く、夜の宴会予約は無く、珍しい事に月曜、火曜も閑で

気分的に空虚だった・・・・・だが逆転の発想・・・・・・一人旅に出るチャンス」と思った

それも明日朝から一泊二日で

思い立てば吉日で、社員に急遽旅立つことを伝えて、月曜日は臨時休業に

そして、すぐに宿の予約をした、本命の大田原の温泉宿は急すぎて対応出来ず、宇都宮の

ルートインを予約した

それからルート作り、目的は大まかに四つ 1.フクロウ神社(鷲子山上神社) 2.馬頭町小口

3.大田原市黒羽  4.雲巌寺

フクロウ神社への理由は、四年ほど前にフクロウ(みみづく)が我が店の玄関に突然やってきて、

玄関先で10分間立ち続け私とマネージャが対面、ドアを開けても、写真を撮っても、

後ろに回っても身動きせずにずっと居たのだった。

何らかの天啓を感じてネットで「フクロウ 神社」で調べたら、この神社がヒットした しかも

この神社は、我が父を育てた義祖父(父の祖母の後添え夫)が生まれた栃木県の町と、

養子に行った茨城県の村にまたがっている神社だったのだ

不思議な因縁を感じずには居られなかった、それで是非一度は・・と思い4年が経った

2はその義祖父の生まれ故郷  3は我が家のルーツの地  4は有名な由緒ある寺

このフクロウが私のブログのタイトル写真になっている

 

行くのはいいが、台風が関東直撃で、栃木のルーツ周辺も通りそうな感じで心配もあるが

それでも最後のチャンス!行くしか無い

天気予報を徹底的にに調べたら、私が台風を追う形で、明日の午後に向こうに着くならば

天気が回復していることがわかった、火曜日も午後までは快晴らしい

だが午後着だと果たして目的の神社にたどり着けるかわからない・・考えても仕方ない

行くしか無いのだ

翌朝、こちらは小雨、風も無い、走るには良い日だ、10時に出発した

関越道に出た理由は昨日書いたとおり、それは正解だった

途中で蕎麦を食べたり、休憩をしたりしてのんびり行ったものだから、結局この日の

見学は諦めた、そして日帰り温泉へ

民家を改装したような感じで、いかにも農家風 温泉を掘り当ててまだ20年は経っていないとか書いてあった

風呂は男女一つずつだが、食堂や休憩室もあって地元のオアシスのようだ

今時、珍しい秤が置いてある

高速道、宇都宮ICで下りたから、ホテルも近いと思ったが、とんでもはっぷん、45分ほど

市内の幹線道路を走って、ようやく着いた、どうも見知らぬ土地では距離感がわからない

だが迷わず到着出来るカーナビはありがたい

ホテルで夕食とも思ったが、メニューを見たら好みのものが無く、酒もホテルのオリジナルラベル

せっかく初めての宇都宮だから、地の物を食べたい、それも名物を

と言うことで探したら近くに餃子の店を発見、近いと行っても反対方向に歩いたりで30分近く歩いた

食前の散歩と思ったら元気が出た、看板だけ見つけたが店が無い、それも書いた通り

店を見つけたが、チェーンのレストランぽい大きな店だと想像していたが、テーブル席二つ、

カウンター席8席足らずの普通の食堂だった

地元らしくていいじゃん、喜んで入店したが馴染みらしい客が二人居ただけだった、メインストリートの

いろんな今風のレストランや焼き肉屋はかなりの客数が入っていたが

この店は焼き手の店長らしき人と、サービスの若い兄ちゃん二人でやっている

兄ちゃんの感じはいい、特に愛想がいいわけでも無いが、何かと「なんかどこかの客が来たぞ

ちょっと変わった奴かな?」的にちょこちょこと話しかけてくれたり世話を焼いてくれたり

「何にしましょうか?」というから、メニュー表を指さして「これ純米酒一合」いきなり酒を注文

ホテルでいきなり缶ビール1本飲んできてからのここ

酒を持ってきたから、「餃子のセットはない?」と聞いたら「これがお得です」と、海老餃子とオリジナル餃子

水餃子風のスープとライスのセットを勧めてくれたの注文

すぐに来たけど、ライスも来た、ライスは隅に置いて餃子を肴に飲み始め、直に一合飲んだのでお替わりを

頼んだ、持ってきた兄ちゃん「あれ! ライス冷めますね、あとにします?」と取り替えてくれそうな感じだから

「いいよ、あとで食べるから大丈夫、酒が好きなもんだから」というと、兄ちゃんも微笑んだ

そして小皿に大盛りにした漬け物を持ってきてくれたことも書いた通り

「キムチって、餃子にキムチ入っているの?」「はいキムチ入ってますよ、白菜も入ってますよシャキシャキして

旨いですよ」 「それ一皿」

餃子のウンチクが書いてあったのでそれもやってみた、「ラー油の底に沈んでいる様々なスパイスを

地元では砂といいます、これを直接餃子にかけて食べるのが通の食べ方です」

やってたら兄ちゃんがびっくりしたような顔して、・・・?と言ったから

「ここに書いてある通りにやってみた」と言ったら、なぜか「へ~?」と言った

熱々の餃子が来た、旨い! これは旨い、しかし猫舌なので水を自分でコップに入れてたら

「辛いですか?」というから「そうじゃないよ辛いのは強いけど、猫舌でねえ」と言ったら笑った

それに日本酒を飲むときは酒一合に水一合飲めば悪酔いしない、だから水も二合以上飲んだ

古河へ行ったときは居酒屋で二合飲んだだけでむかえのホテルに着く前に気持ち悪くなった

経験があるから、今回は慎重に飲んだ

ラーメンどんぶり並みの大きさのスープを三分の一残しておいて、冷えた御飯の四分の三を

スープに入れて雑炊風にしてサラサラと食べた

残りの御飯は兄ちゃんが持ってきてくれたキュウリの醤油漬けを振りかけて美味しくいただいて

完食、もう一合飲みたかったけど、もう閉店したそうなので諦めた

兄ちゃんが居たおかげで退屈しなかった、気持ちよく飲んで名物の餃子も食べたし満足

またここに来たら、絶対食べに行く

専門店だった、やはり本場は旨い

宇都宮市御幸町、国道4号から少し入ったところ、ルートインから10分くらいかな

ホテルに戻って10時にホテルの風呂に入った、先客は1名だけだった

5~6人は入れる大理石風の風呂で、ラジウム泉、気持ちよかった

出てから缶ビールをまた一本自販機で買って部屋で飲んだ、部屋にはオイルマッサージの

出張のパンフがあったが、今回はやめておく、7500円のホテルに泊まって12000円の

マッサージにかかるなら、もう少しランクのいい温泉宿に泊まった方がいい・・・・

なんていうのは歳とった証拠だね、4年前まではこれホテルでやって会員にまでなってたんだから

23時ころ寝てしまった、二回風呂に入ったし、辛口の地酒も旨かったし美味しい餃子も

食べたし満足満足

明日はスケジュールが込んでる、忙しくなるぞ!

暑い一日だった、栃木の佐野市は37度とか、暑いわけだ