人間以外の動物、植物が地球上に生存している意味は何だろう。
一番に考えられるのは他の生物や、同じ仲間の食べ物となって捕食者を生かすということ。
そして地球上で生きている動物、植物の唯一の目的は同族や自分の子孫を増やしDNAをつないでいくこと。
ほぼ100%に近い生物の生きている意味はそれである、それは自分がやがて死んでしまうことを知っているからだ。
それは目に見えないウィルスから、かって存在した数十mもある恐竜までまったく同じだ。
生まれて、育って運の悪いものは子孫を残す前に死んだり、他者のエサになったりして死ぬが。大人になれれば子孫を残す事が出来る、そして寿命が来れば死ぬ。
一番は子孫を残す、2番目は同種の繁栄を支える、3番は他生物のエサになってそれらの繁栄の役に立つ、生物が生まれて死んでいく間の存在の意味はたったそれだけだ。
ならば人間が生まれてきた意味は何だ? 何だ?
マンモスや大型ほ乳類を集団で襲って食料にしていた数万年前までは、人類も動物と同じように子孫繁栄とDNAの継続が唯一の目的だったと思う。
権力の構造が複雑になってきて人間の階位が明確になってくると、権力の上位の者は、より多く子孫を残し繁栄を願って一夫多妻を独占した。
だが、それはオットセイやライオンや猿の世界でもあることだから、動物の域を超えていない。
人類に子孫繁栄以外の誕生の意味が出てきたのは、いつ頃からだろうか?
それは何だったろうか?
動物や植物と決定的に違うのは宗教だと思う、人間だけが死んだあとの世界を想像するようになった。 動物は死んで終わるだけだが、人間は死んだあとに極楽と地獄があると考えた。 それは宗教家が創造した世界であり、この世の繁栄を死後にも続くよう願う貴族や武家に吹き込んだのだろう。
それは中国~朝鮮から4世紀頃に日本に伝わってきた仏教で、貴族階級の不安を払拭することで庇護と後援を得て、もともとある日本特有の神道さえも超えてしまった。
死んだあとでも、極楽で悩みも苦しみも無い、平和で豊かな世界に生き続ける
そのためには一族の極楽での平穏が続くように、子孫から供養を続けてもらう必要がある、だから藤原氏などは権力の頂点を独占し続けた。
そして一族のための大伽藍を建立して日本有数の僧侶に守らせた、それでも足りずに本場の中国から帰化僧として有名な中国僧を招いたのだ。
それは鎌倉時代の北条氏でも、その後の足利氏でも続いた、豊臣秀吉も織田信長も徳川家康も同様だ。
これらは権力者の世界だ、彼らは神仏に近づいた、だが一般大衆や貧者はどうだったのだろうか?
たぶん日々の生活でいっぱいいっぱいで「神も仏もない」だったろう。
とくに戦乱の時代は、日常は泥にまみれて米を作り、できた大部分を権力者に奪われ、戦争が始まれば働き手が兵士として徴兵され、運が悪ければ戦死した。
彼らがこの世に生まれてきた意味をどう考えただろうか?
貴族とは全く違うこの世であっただろう。 「死にたい」と思うこともよくあっただろう、法然、親鸞や日蓮が出てくるまで大衆には宗教すら無かった。
貧しき者には、来世は存在しなかったのだ、生まれてきて、貧しさと苦しさの中で重労働して搾取され、与えられた配偶者との間で子孫を残す、それだけが唯一生まれてきた意味だ、動物と何ら変わらない。
それは江戸時代でも、あまり変わらなかったのではないだろうか?
武家と江戸、大坂などの都会の町人と、その他多くの地方の農民ではその生活レベルも、楽しみのレベルも大いに違ったと思う。
一昔前の中国と同じだ、中国では上海、北京などの大都会で生まれた一般人と、内陸の農業地域で生まれた生産者では生活レベルが全く違ったと言う。
江戸時代の日本と全く同じレベルだったのだ、それは為政者が誰であっても変わらない生活、だから国家意識も薄かったと思われる。
日本の一般国民に子孫繁栄以外の目的が生まれたのは、封建時代から解放された明治以後だと思う。
ある程度の職業選択の自由が広まり、生まれた土地に一生縛り付けられる事も無くなった、ただ長男だけは田舎の先祖代々の土地を守るという宗家(本家)主義に縛られたというか、プライドを守ったというか?はあった。
今の時代の長男と、戦前の長男ではまったく責任と存在価値が違っている
アメリカとの戦争に負けるまでは商人や地主階級には大家族制度、家長制度が生きていた、次男、三男以下は長男に従い、本家を守るために助力した。
本家は次男以下に分家を出して応援した、アメリカに負けて大家族制度は農地解放と共に財閥解体同様に粉々に砕かれた。
そして民主主義と自由に生きる権利、自由主義が次男、三男ばかりか長男も解放(解体)した、それが更に発展して個人主義さえ出てきている。
こうなると、人間がこの世に生まれてきた意味は動物のそれとは大きく異なってきた。
もはや真剣に子孫繁栄が目的だと主張する人はあまりいないのでは無いだろうか。
だから優等生の答えは「社会をよくするため」とか「幸せで平和な世界に貢献するため」「貧困の無い世界を作る」などと言う。
今の人間にとって一族の繁栄、子孫を残す、あるいは生と死後を考えることなど、あまり興味が無い事になったのだろう。
生きる意味とは、今この時間をどのように生きるか、楽しむかということが重要であり明日の事を考えるのは無意味なのだ。
地球上の生き物で食料として以外の殺戮を行うのは人類だけだ、猫がネズミなどをいたぶることがあるが、あれも狩猟の練習であろう。
しかも人間が人間を数千、数万単位で一気に殺してしまう、その意味の多くは敵に対する見せしめだ、ある意味、それもまた大きな種族の繁栄の為に異民族を絶滅させる行為と言える。
そう言う意味では、同族の長に君臨して異民族を滅ぼそうとするプーチンこそ、宗教誕生以前の古代的人類、且つ生物学的に従順な、獰猛な動物であると言えよう。