コロナ禍で仲間や友人に会うこともままならない。また、好きなところに出かけるのも控えている。
こんな時期だから改めて、以前に体験したことや教えていただいたことを思い起こすと、
その時は感じ取れなかったものが、不思議と見えたり感じたりする。
煎茶稽古も、その一つ。
毎回、稽古に行く前にいつもながら頭を巡らすことがあった。
それは、どんなお軸がかけられているのだろうか。またどんなお茶が楽しめるのだろうか、と。
その時は、氷水で淹れる玉露。玉露は喉を下るほどの量はないが、
口の中にキレのある玉露独特の味が広がる。夏の夜に、ひとりで想いにふけるのには堪らないお茶である。
その想いに合わせたかのような、この水墨画。中国の険しい山々の景色が描かれている。
山から流れ下る川沿いの家では人の営みが見える。
この画を見ていると、陶淵明(とうえんめい)の「停雲」の詩に引き寄せられていく。
停雲思親友也
樽湛新醪園列初栄
願言不従歎息弥襟
という一節がある。
雲たちこめて懐かしき友を思う 樽には新酒が満ち庭の花は咲きそめている。
君と会い語ろうと思うが叶わない、ため息で胸がいっぱいだ…
という訳になる。
停雲靄靄 時雨濛濛 八表同昏 平陸成江
有酒有酒 閒飲東窓 願言懐人 舟車靡従
たちこむる雲は靄靄(あいあい) 春の雨は濛濛(もうもう) 八方すべて暗く
平地は川となって水があふれる 酒がある、酒があるではないか
東の窓にもたれてゆったりと杯を傾ける 友と旧交を温めたいと願っても
(この雨では)舟も止まってしまっているだろう
これらの詩が今週の稽古の題目だった。
遠くの友がどうしているだろう、と思いを馳せるが、この雨では会いにいくのもままならない。
その心情を詠んでいる。
目の前の爽やかな冷たい玉露が、苦く渋い味に一変してしまいそう。
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