「春」を表わす季語は数えきれないほどある。花や動物など自然界のものも多い。
春といえば誰もが思うのが「桜」。桜によく似た「杏」も春の季語としてよく使われる。
そして、春を象徴するもので珍しいものがいくつかある。代表例が「牛」、そして「ブランコ」もそう。
牛は、その昔、春の農耕に欠かせない家畜として季語にも使われる。
牛と言えば、春。あまり馴染みがないかも知れない。ブランコは、もっとピンとこない。
ブランコはもともと中国の異民族が好んだ遊びで、春の遊びの一つだったようである。
だから、ブランコと言えば、春をイメージさせる季語になっている。
稽古では春の象徴を、掛け軸(写真)を通して教えていただいた。
この牛の絵を見て、季節は、時間は、情景は、なにをしているところ? という問いが宗匠から投げかけられた。
茶席では牛のお軸が掛けてあるのをよく見かける。茶席で見れば、もしかして「十牛図」と思うかも知れない。
牧童が牛を探し捕らえるまでの過程を描く十牛図は、代表的な禅宗的画題のひとつ。
牛は心理、本来の自己、仏教における悟りを象徴している。
十牛図は、すなわち本来の自己を探し求める旅、悟りへの道程である。
宗匠はそんな堅い話ではなく、夕暮れ時に、牧童が牛に乗って家に帰るところですよ。
のどかな情景を想像するでしょ、と。
そう言われると確かに牛もひと仕事を終え、どことなく微笑んでいるように見える。
この絵は、"理想の世界"を描いている。儒教精神で言うならば、のんびりと豊かな社会を作ることにある。
その象徴が、この絵で表現されている、ということのようだ。
画と一緒に、今宵の稽古の題材に上がったのが中国で有名な漢詩、杜牧の「清明」ある。
清明時節雨紛々
路上行人欲断魂
借問酒家何処有
牧童遥指杏花村
清明は花の季節であるが、雨が多い。
その季節を詠った詩である。
現代訳すると
清明の時節にしきりに降る雨。
雨の降りしきる道を、ひとりの旅人がゆく。
旅ゆく人の胸は、かえってさみしさにしめつけられる。
せめてこのさみしさを酒にまぎらわそうと、ちょっとたずねてみる。
居酒屋はどのあたりにあるのかね。
牛の背にまたがった牧童は、黙ったままゆっくりと指さした。
それは杏の花咲くかなたの村だった。
このお軸の賛に書くなら「清明」だろう。これしかない。
お軸の画を見ながら清明を唱和した。
その後にいただく玉露の味は、また格別なものであった。
記事は、2012年12月に心と体のなごみブログに投稿したものを修正し転載。
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