死者を葬るに、様々な方法がある。土葬、風葬、火葬、水葬、鳥葬などだ。秦の始皇帝の壮大な墓は、権力者の威厳を示すと共に、愚の象徴と言えるだろう。ピラミッドや日本の古墳もその系列にある。
その後も墓は、死者の権力や富の象徴ともなり、現代では一般国民の隅々まで行きわたって、誰もが墓を持つことを当然としている。数百万円もかかる墓地や回転式のビルの中の墓などは、愚の骨頂。
しかし、最近は樹木葬や散骨なども増えているようだから、これは既存の墓に対する大いなる反抗ではなかろうか。
この句の「骨」は何の骨だろう。誰の骨だろうか。自分の骨かもしれない。他人の骨かもしれない。動物の骨かもしれない。つまり、夢の中のことで、全く分からない。
又、骨は実態ではなく、何かの暗喩かもしれない。ということは・・・
落としたということは、「不如意に」を前提としているはずだ。いや、意識的なのかもしれない。
何故海底なのだろうか。作者は海の中にいるのか、海の上にいるのか、一切分からない。実に不気味な句だ。それを当然としているのが「夏の夢」つまりこの句は全てがミステリーである。
骨の句と言えば、
秋の暮大魚の骨を海が引く 三鬼
というのがあるが、これは実態がはっきりしている。
さて、私のこの句の結論。
この句は、ミステリーでもなんでもない。「骨」又は「死」という不気味な存在が、作者から離れて海底に沈んで行く。つまり、死・恐怖・不安などから解放された平安の句ではないのか。