一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

266   昼寝覚ほんたうに母死に給ふ   百合子

2011年06月04日 | 

  母の死は、いつまで経っても受け入れ難い。ところが、ある時ようやく受け入れた。それは、昼寝から覚めたときだ、という。母親の死からどのくらいの時間経過があったのだろうか。数日かもしれないし、数年かもしれない。

 

 母が夢の中で死んでいたのが原因かもしれない。夢などとは関係なく、受け入れる気持ちになったのかもしれない。

 いづれにしても、納得できないことを納得するには、時間の経過やある人との出会いや事件など、何かが必要であって、この句の場合は昼寝が誘因して、ある日突然納得した。煩悩からの脱却、悟りに似ているかもしれない。

 

 尚「ほんたう」は、「ほんとう」と読み、「本当」と書く。俳句をやらない方から、「どうして、今では使われない文語や難しい字をわざわざ使うのか」という質問or叱責を時々受ける。一般の方からは、そういうところを疎まれているようです。

 「そうですね、本当に申し訳ありません、自慢気にしている訳ではないんですけどね」

 

 

センダン (栴檀)、花樗(はなおうち、はなあうち)とも

コメント
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