桜桃忌は6月19日。無頼派と言えば、戦後の坂口安吾、太宰治、壇一雄などの作家を指す。軍国主義の箍が外れ、自由になったのはいいが、敗戦後の経済混乱や社会の無秩序などが、作家の劣等感を内在化させたり、自暴自棄を助長したとも言える。
彼らに共通する特徴は、文学そのものにもあるが、私生活の無頼にもよるのである。特例として、三島由紀夫は無頼派ではないが、自決によって最後の無頼派に入れてよかろう、と勝手に思っている。
さて、太宰は、その私生活が異常であった。女性遍歴と女を死なせて自分が生き残る心中の繰り返し。芥川賞への執着・・・しかし、それ故に彼の作品は、絶品と言えるのかもしれない。泥から咲く蓮の花と言えようか。今でも多くの若者が、桜桃忌になると墓地に参拝するという。
平成の時代となってなんと二十二年も経つから、昭和のすべてが遠のいているのだが、あえて無頼派と指定しているところが、作者の精神構造までうかがえるようで面白い。
私が同時代に生きて太宰と出会ったならば、きっと懇意になったはずだ。もしかして、心中したかも。会えなくて残念・・・という声が聞こえる。
ナルコユリ(鳴子百合)