一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

283   無頼派の昭和遠のく桜桃忌   歌子

2011年06月21日 | 

 桜桃忌は6月19日。無頼派と言えば、戦後の坂口安吾、太宰治、壇一雄などの作家を指す。軍国主義の箍が外れ、自由になったのはいいが、敗戦後の経済混乱や社会の無秩序などが、作家の劣等感を内在化させたり、自暴自棄を助長したとも言える。

 彼らに共通する特徴は、文学そのものにもあるが、私生活の無頼にもよるのである。特例として、三島由紀夫は無頼派ではないが、自決によって最後の無頼派に入れてよかろう、と勝手に思っている。

 

さて、太宰は、その私生活が異常であった。女性遍歴と女を死なせて自分が生き残る心中の繰り返し。芥川賞への執着・・・しかし、それ故に彼の作品は、絶品と言えるのかもしれない。泥から咲く蓮の花と言えようか。今でも多くの若者が、桜桃忌になると墓地に参拝するという。

 

 平成の時代となってなんと二十二年も経つから、昭和のすべてが遠のいているのだが、あえて無頼派と指定しているところが、作者の精神構造までうかがえるようで面白い。

 

 私が同時代に生きて太宰と出会ったならば、きっと懇意になったはずだ。もしかして、心中したかも。会えなくて残念・・・という声が聞こえる。 

ナルコユリ(鳴子百合)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする