一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

277   でで虫の欄干を行く早さかな   遊石

2011年06月15日 | 

でで虫は、かたつむり(蝸牛)のこと。童謡にもあるが「でんでんむし」、などとも言う。正式名はマイマイ。日本には、マイマイが500~800種類もあるという。水中の貝と同族だ。

 

湿気を好むかたつむりが、欄干を行くのも不思議な気もするが、田舎や森の中の橋などを想像すればいいだろう。

 

「早さ」といっているが、時間の「早さ」ではなく、速度の「速さ」が正しい。しかし、昔から「早さ」は、時間にも速度にも使われてきたのだろう。虚子の句の「流れゆく大根の葉の早さかな」も「早さ」になっている。

作者も虚子の句に倣ったのかもしれない。

 

尚、「おそさ」の場合も、速度の「遅さ」と時間の「晩さ」があるが、「晩さ」はほとんど使われていないようだ。

 

 

スイレン(睡蓮)

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276   梅雨晴や古参少年退院す

2011年06月14日 | 

轆轤(ロクロ)の前に座り、前かがみになってじっとしていると、腰骨と腰骨の間の椎間板が圧迫されてお腹の方向に飛び出し、足先まで通っている神経を刺激するのが椎間板ヘルニアと言われている。

 

 平成元年、朝起きて腰が痛いので、午前中休めば大丈夫だろうと思っていたが、とんでもない。次第に痛みが増していき、起きても痛い、腰掛けても痛い、寝ても痛い、右足がしびれて来て、車の運転さえできなくなり、とうとう入院となった。

 

 入院してみると、同病がいること、いること。ヘルニアには腰の他に頸椎があり、患者の割合は半々か。「手術が上手く行かなくて、首以下が麻痺した人がいる」などという噂もあった。

 

私は「牽引」という治療法で、なんとか40日で退院となったが、完治したわけではなく、「今度入院したら、手術だぞ」と脅されたので、絶対それだけは避けねば、と自分に誓ったものだ。

 

 最近は、優れた治療法があるらしく、私の友人などは入院からわずか10日ほどで退院し、痛くも痒くもない様子、まさに驚きである。

 

 掲句は、患者の中に柔道が原因で入院していた少年がいて、同室6人の中では最長老だった。明るく礼儀正しい彼が、ようやく晴れて退院となり、病室が急にさみしくなった。

 

ドクダミ(蕺)、ジュウヤク(十薬)とも

 

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275   美智子妃の項緑雨のしずく降る   薪

2011年06月13日 | 

天皇家の系譜を紐解けば、古事記によると初代神武天皇から2,700余年になるという。実質的には、七世紀頃から始まったようだが、万系一世1500年近く累々と続いた王家は、世に稀有である。

 

そのような天皇家に嫁ぐということがいかに大変なことか。皇室報道がなされるたびに、別世界のことながら、そう思うのは私だけではなかろう。

 

さてこの句、日本国家の象徴である天皇家を実名で作った俳句は珍しい。美智子妃の御結婚後50余年の「項」に妃の歴史を想い、「緑雨の雫」にようやく平安を得たであろう妃へのいたわりと喜びの庶民感情がうかがわれる。

 

日頃、「テレビ俳句は駄目」と言われているので採らなかった方もいるようだが、作者は実際に箱根の植樹祭でお姿を拝見したそうである。

 

ジギタリス、キツネノテブクロとも

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274   海底に骨落としたる夏の夢   佳津

2011年06月12日 | 

 死者を葬るに、様々な方法がある。土葬、風葬、火葬、水葬、鳥葬などだ。秦の始皇帝の壮大な墓は、権力者の威厳を示すと共に、愚の象徴と言えるだろう。ピラミッドや日本の古墳もその系列にある。

 

その後も墓は、死者の権力や富の象徴ともなり、現代では一般国民の隅々まで行きわたって、誰もが墓を持つことを当然としている。数百万円もかかる墓地や回転式のビルの中の墓などは、愚の骨頂。

 

しかし、最近は樹木葬や散骨なども増えているようだから、これは既存の墓に対する大いなる反抗ではなかろうか。

 

 この句の「骨」は何の骨だろう。誰の骨だろうか。自分の骨かもしれない。他人の骨かもしれない。動物の骨かもしれない。つまり、夢の中のことで、全く分からない。

 

又、骨は実態ではなく、何かの暗喩かもしれない。ということは・・・

 

落としたということは、「不如意に」を前提としているはずだ。いや、意識的なのかもしれない。

 

何故海底なのだろうか。作者は海の中にいるのか、海の上にいるのか、一切分からない。実に不気味な句だ。それを当然としているのが「夏の夢」つまりこの句は全てがミステリーである。

 

 骨の句と言えば、

秋の暮大魚の骨を海が引く  三鬼

というのがあるが、これは実態がはっきりしている。

 

 

 

さて、私のこの句の結論。

 

 この句は、ミステリーでもなんでもない。「骨」又は「死」という不気味な存在が、作者から離れて海底に沈んで行く。つまり、死・恐怖・不安などから解放された平安の句ではないのか。

 

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273   諦めし時に四ツ葉のクローバー

2011年06月11日 | 

 テニスコートの傍の広場の一角に一叢のクローバーがあったので、四つ葉を探し始めた。何年振りだろう、子供の頃以来かもしれない。そして、掲句の通りの結末だった。

これは私の考え方、生き方に合致している、と思った。つまり、大事なのは諦めること。

 

いい成績を取ろうとか、いい大学に入ろうとか、いい会社に就職しようとか、立身出世しようとか、金持ちになろうとか、有名になりたいとか、イチローのようになりたいとか、ノーベル賞を取りたいとか、 

 

 美味しいものを食べたいとか、いい服を着たいとか、いい家が欲しいとか、いい車が欲しいとか、旅行をしたいとか、

 

誰とでも仲良くやりたいとか、恋をしたいとか、いい男になりたいとか、女性にもてたいとか、子供を立派に育てたいとか、幸せになりたいとか、年を取りたくないとか、死にたくないとか、 

 

「今自分が望むこと」を諦める。難しいけれども心から諦めると、神様は私に、素敵なプレゼント「四つ葉のクローバー」を御褒美に下さるのです。

キョウカノコ(京鹿子)

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272   人類は絶滅危惧種ジギタリス

2011年06月10日 | 

私は20才の頃、3年間西日本を旅したことがある。無目的で観光地は一切見物しない。一日五百円の食費以外お金を使わない。寝袋で駅・寺・神社などで眠る、歩いたりヒッチハイクしたり、お金がなくなると働く。

この三年間の旅から学んだことは、「世の中どうにでも生きていける」という自信と、将来への不安の解消だった。

 

あれから40年近く経ち、一昨年カナダのバンクーバーへ10日間の旅である。飛行機、車、船、ロープウェイなど、ほとんどが乗り物の旅だった。隔世の感あり、である。もう一度、昔のような旅をしてみたいのだが・・・

 

バンクーバーで、60句余り作句したが、ほとんどが写生句。掲句だけが異なり、人類に対する危惧、絶滅に対する危惧が俳句になった。ある思いが、俳句になるまでには、結構時間がかかるもので、思いだけで終わってしまうことも多い。

ちなみに、バンクーバーの野辺に咲くジギタリスは生命力が強く、薬にもなるが全草毒である。

 

ノハナショウブ(野花菖蒲)

 

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271   かきつばた切なき程に真直ぐに  

2011年06月09日 | 

ジャーマンアイリス、アヤメ、ノハナショウブ(野花菖蒲)は、野山の乾燥地に生える。カキツバタ(杜若、燕子花)、ハナショウブ(花菖蒲)は、湿地や水辺に生えている。山に生える著莪は、アイリスジャポニカと呼ばれている。いずれもアヤメ科。

 

尚、菖蒲湯に使う菖蒲は、サトイモ科で花も全く異なり花菖蒲とは別種。

 

さて、今週の作者の別荘には、カキツバタが満開だったそうだ。それも切なき程にである。「切ない」を辞書で調べると、「悲しさや恋しさで、胸がしめつけられるようである。やりきれない。やるせない」、とある。

 

「切なき」が多少オーバーな表現と思われるかもしれないが、かきつばたが立派に咲いた喜び、又、愛情を注ぎ、よく手入れをして育てた自賛もあろう。そうでなければ「切なき」という言葉が思い浮かぶはずがない。

 

 

ムラサキツユクサ(紫露草)

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270   蛍火の青くなければ情湧かず    真砂女

2011年06月08日 | 

いつだったか、朝日新聞の折々の歌に、以下の文があった。

 

「右の句も、蛍火が寒色系統の青でないから「情」が湧かない、と言っているのは、理屈でないだけに説得力があり印象的。」(一部抜粋)

 

これが句会で問題になった。

 

   まず、「蛍火は青いかどうか」

信号を青と言う、しかし緑だ。青嵐は青いか、緑に決まっている。つまり、日本人は、緑を青ともいうのだ。蛍は、草むらや木立にいる。暗い中で光を放てば、緑がかってしまうのだ。

結論は「蛍火は青い」

 

   次は、「蛍火が青いと情が湧くのか、湧かないのか」

結論は、「青いからこそ、情が湧いた」

 

   二つの結論に従い、この句を解釈すると、

「蛍火が青いからこそ、私はあなたに情が湧いています。蛍って、ほんとうに素敵」

「青くなかったら、情が湧かなかったと思いますわ」

 

これでは終わらず、ついに銀座の真砂女さんの店「卯浪」に行って確かめてみようということになった。

一杯飲んで、機会を見て彼女にその質問をした。真砂女さん曰く、

 

「その折々の歌は読みましたが、あれは間違っている、とは言えませんでしょう」

 

ゲンペイボク(源平木)、ゲンペイカズラ(源平葛)とも

 

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269   中年が母を偲べる初蛍

2011年06月07日 | 

私の仕事場は、標高400メートルの山中にある。直近の県境の川、千歳川まで、直線距離で3キロメートルはあると思う。そんな山の中に、ある夜突然、蛍が一匹現れた。

 

私は、その瞬間「母だ」と直感した。どうしてそう感じたのか、未だに不思議でならない。つまり、こんな山中に蛍が現れた不思議、そして「母だ」と直感した不思議。この山に住みついて30年、蛍が現れたのは、その時一度切りである不思議。

 

 蛍に関して調べてみたところ、亡くなった親しい人の魂が蛍となって現れる、という話が、古くから色々伝わっているのだ。私だけではないこの事実に、更に驚かされた。

 

ヤマボウシ(山法師、山帽子)

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268   睡蓮やゆったり過ごす林住期   洋子

2011年06月06日 | 

インドには、人生を4っつに分ける考え方があるそうだ。

 

「学生期」(がくしょうき)生まれて結婚するまで

「家住期」(かじゅうき) 家庭を持ち働き、子育てが終わるまで

「林住期」(りんじゅうき)家庭を子供に任せ巡礼の旅に出る。ほとんどの人はここまで。

「遊行期」(ゆぎょうき) お釈迦さまやガンジーなどまれに聖人となる。

 

林住期は、およそ60才位から始まる。旅に出るも良し、趣味を楽しむも良し、好きなことを自由に楽しめばいい。しかし、いづれにしても「死」を見つめての「生」であろう。

 

エゴノキ、ロクロギとも

 

 

 

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267   天空に争いもなく青田かな   要介

2011年06月05日 | 

天空とは広々とした空のことであるから、争いのないのは当然のことだ。それを敢て言葉にしているのは、天空に対する地上のことを暗喩しているからだろう。

我々の住むこの地上には、戦争や殺人事件が溢れ、毎日マスコミを賑わせている。マスコミが残忍な出来事を興味半分にことさら強調して報道し、人々の不安を煽っているように、私には思えてならない。

 

しかし,よく考えてみれば、人間社会には平安な場所の方がはるかに多いのではないだろうか。その代表が青田なのであって、そういう平和な田園風景に思いを馳せている作者の心が伝わってくる。それは、現在というよりも、作者の少年時代の回想なのかもしれない。

 

但し、厳密に言えば、青田にも鳥たちが虫を食べたり、という殺戮は繰り返されているのだから、平和とは言えない。

 

クワ(桑)の実

 

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266   昼寝覚ほんたうに母死に給ふ   百合子

2011年06月04日 | 

  母の死は、いつまで経っても受け入れ難い。ところが、ある時ようやく受け入れた。それは、昼寝から覚めたときだ、という。母親の死からどのくらいの時間経過があったのだろうか。数日かもしれないし、数年かもしれない。

 

 母が夢の中で死んでいたのが原因かもしれない。夢などとは関係なく、受け入れる気持ちになったのかもしれない。

 いづれにしても、納得できないことを納得するには、時間の経過やある人との出会いや事件など、何かが必要であって、この句の場合は昼寝が誘因して、ある日突然納得した。煩悩からの脱却、悟りに似ているかもしれない。

 

 尚「ほんたう」は、「ほんとう」と読み、「本当」と書く。俳句をやらない方から、「どうして、今では使われない文語や難しい字をわざわざ使うのか」という質問or叱責を時々受ける。一般の方からは、そういうところを疎まれているようです。

 「そうですね、本当に申し訳ありません、自慢気にしている訳ではないんですけどね」

 

 

センダン (栴檀)、花樗(はなおうち、はなあうち)とも

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265   5月 岩戸句会

2011年06月02日 | 岩戸句会

265

 

延々と送電線や青田波         炎火

大皿に海山の幸こどもの日

 

睡蓮やゆったり過ごす林住期      洋子

梅雨に入る泡やわらかきカプチーノ

 

薫風やざらめ煎餅五六枚       

欲しいまま夏うぐいすのアリア聴く

 

誰となく呼んでみたいな五月闇     章子

山彦をすばやく返す若葉どき

 

採血の針静脈に走り梅雨        正太

夕薄暑ずんずん積る砂時計

 

甘夏の転がっている別れ道       遊石

蹴飛ばしたカンより出ずる夏の音

 

スーちゃんが逝った夜や卯の花腐たし  豊春

不景気に染まる街卯の花腐たし

 

ぐんぐんと若葉の山のせまり来る    歩智

一滴も残らぬ急須一番茶

 

空豆を捌く御厨野の香         空白

五月風葉を撫でさすリ裏返す

 

国の未来誰に託さむ若葉寒       稱子

彩の国の文殊菩薩や椎若葉

 

産卵の目高触れ合ふ若葉影       雲水

街の灯も汽笛も青葉隠れかな

 

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264   轆轤引く指の固さや若葉寒

2011年06月02日 | 

轆轤(ろくろ)で作品を作ることを、「轆轤を引く」というが、不思議な表現だ。水を使うので、別名「水引き」とも言う。やはり、「引く」が使われている。

 

 轆轤を引くには、勿論体全体を使うのだが、やはり指や手の平を最もよく使う。そして、年を重ねるごとに、指の関節が固くなってくる。冬でなくとも、春寒、若葉寒、梅雨寒・・・寒いと指先が固くなる。痛くなる。

 

さあこの手、あと何年使えるだろうか。

 

 

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263   延々と送電線や青田波   炎火

2011年06月01日 | 

 この世に電線が現れて、まだ100年余り。本格的に、日本全国に大規模な送電線、電柱が張り巡らされたのは戦後のことだ。

 

 江戸時代以前の映画を撮影する場所がないという。電線があるからだ。最近は地下に埋設することもあるようだが、経費がかかり過ぎてなかなか進まない。

 

 送電線や電柱は、自然界にとっては美的公害だし、災害時には危険物にさえなる。しかし、撤去するわけにもいかない。科学者は、実に便利で迷惑なものを作ったものだ。

電気は、麻薬中毒と似ている。

 

 

 

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