きのう4月4日、大安土曜日、里の利根大堰端の老人福祉センターで喜寿の集いが11時よりあった。あいにくの小雨降る、しかし大堰端の桜は満開の様子、会場より表を見るに晴れてくれれば良かったにと思う。
全員集まり次第、まず玄関入口前で記念写真をとる。係りの人にお願いしてシャッターを切ってもらう。
11時20分より式典開始、
ー喜寿を迎えてーこの4月より順に七十七の喜寿になります、喜び事は早めにやろうと今日の催しになり ました。
喜寿の集いのポスターを掲示する。
<去年古代蓮の里公園に於ける>田んぼアート「古の行田」とわらアート「マンモスと馬形埴輪」
“喜びも悲しみも・・幾歳月”.灯台守夫婦の戦前から戦後に至る25年間の映画です。
花も嵐も踏み越えて・・行くが男の生きる道 昭和13年(1938)9月10日松竹映画「愛染か つら」わたしらが生まれた時代背景です。
<司会進行をわたしが務めさせていただきました、>
わたしらが生まれた時代は、日中戦争がはじまり国家総動員法公布の正に戦時体制下でした。
それから喜びも悲しみも幾歳月、花も嵐も踏み越えて、頑張って今日(こんにち)喜寿を迎えることが出 来ました。ここに集まりのみなさんは幸せ者であります。
不幸にして亡くなられた11名のみなさま、病気でご出席願えないみなさまは心残りと存じます。
ここに物故された皆様に黙祷を捧げたいと思います。
名前を読み上げます、早逝された蓮さん、西山君、飯塚君それに長谷川孝造君、丑久保君、栗原君、長谷 川潤君、園部君、長島ちよさん、茂木(旧姓長谷川)良子さんとこの間亡くなられた竹越君たち 11人 が亡くなっておられます。
それでは1分間の黙祷を始めます。<はじめ>
物故者たちの面影が脳裏に浮かんできます、小学生のガキのころから、一緒に学び遊んだ友は忘れること はありません。懐かしさでいっぱいです。
この度、喜寿の集いを企画してご案内したところ、旧S中学卒業生56名、亡くなった方11名、今まで に連絡が付く、37名に通知いたしました。全員の37名の方から返事がありました。
その中で男性10名、女性7名の出席を願っております。出席願えない方たちの多くは、加齢による寄る 年のせいか、体調が優れない方が多い様です。と遠隔地にお住まいで来られない方です。
以上仲間の近況を報告いたしました。
これからはますますお健康に気をつけられて、傘寿の80の歳を越えて、100歳までも長生きされるよう、お互いに精進して行こうじゃありませんか。
乾杯の音頭ではじまり、宴会は盛り上がり、カラオケ会場の大広間に移り、得意なノドで楽しんだ。
午後三時すぎに解散となり、幹事の役目を終えた。
しばらく振りの春雨で畑けが恵みの雨となり、ようやく春苗の移植やら種まきに忙しくなりそう・・・、
<いわどの山荘主人>
<喜寿の集い記念写真 11:56>
<懇親会風景 12:25>
<カラオケ会場 14:44>