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■ アントニオ猪木さん没後一年 ~からの~ 余談

2023-11-05 21:28:44 | ノンジャンル

 昔、NET テレビ ( 現 テレビ朝日 ) ではプロレス中継をやっていました。 アントニオ猪木さん ( 2022年10月1日 79歳没 ) の現役時代、プロレス中継は高い視聴率を獲得していました。 「 新日本プロレス 」 を中継していたテレビ朝日の 『 ワールドプロレスリング 』 は、一時期 20% を超える視聴率を誇っていたのです。 生中継ですから、放送時間内にぴったり勝負を決めなければいけません。 3 カウント ( 試合終了 ) と同時に CM に入るのがベストタイミング。 中途半端は許されないのです。 その事に疑問すら抱かずにハラハラドキドキで観戦していた視聴者もピュアでした。

 さらに悪役が凶器をリングの下から取り出して攻撃を始めると ( 因縁のタイガー・ジェット・シン、驚異の視聴率 60% を記録 )、NET テレビのスポーツ部の電話が鳴りっぱなしになります。 「 なぜリングの下を点検しないのか 」 「 凶器使用は反則負けだろ 」 類の苦情電話です。 スポーツ部員は汗をかきながら 「 あれはショーですから、ショーなんですよ 」 「 ちゃんと手加減してやっていますから 」 などと説得します。 大変でしたね ( 笑 )。

 私の小中学校時代のプロレスラーは、空手チョップの 力道山、噛みつき ブラッシー ( テレビ中継を視聴中、心臓まひで老人が亡くなる事件があった )、足四の地固めの デストロイヤーなどが記憶に残っています。 私の家は、皇太子殿下のご成婚 ( 1959年 4月 10日 ) を見るため、比較的早くテレビ ( シャープの 14 型 ) を買ったと思います。 人気のプロレス中継になると、ご近所の親戚がテレビを見に来ていました。 この頃は街頭テレビと言って、街中の公園などにテレビが設置されていて人垣が出来ていたのを思い出します。

 更に余談ですが、ニュース館と言ってニュース映像専門の映画館がありました。 テレビの普及によりその役目を閉じました。 映画と言えば佐世保市 ( 私の出身地 ) は米軍基地があったので洋画は一番館だったと思います。 ベンハー、アラビアのロレンス、遥かなるアラモ ( ブラザーズ・フォーの歌でよく聴きました )、スパルタカス、ナバロンの要塞、栄光への脱出、エルシド、史上最大の作戦、大脱走、世界残酷物語 ( サウンドトラックの 「 モア 」 は有名 )、等々 ・・・ 大画面 ( シネラマ、70mm フィルム ) 全盛期でした。 懐かしい。

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