■ 終活をしていると、色々な発見があります。 今回は、昔の ( 少なくとも 50 年前 ) アルバムで見つけた懐かしい思い出の写真です。
1972 年頃だったと思います。 当時は今ほど Award の種類はなく、AJD , JCC , JCG , WAJA ...... 等 JARL 発行の Award が主でした。 ローカル ( 板橋区 ) の青空クラブ ( 故 JH1DXM 代表 ) で 「 戸田市 」 の JCC サービスを行いました。 当日はクラブの名に相応しく晴天で青空が広がっていたと記憶しています。
埼玉県戸田市は荒川を隔てて東京都板橋区の対岸にあり、その河川敷に無線機、アンテナは土手の上に各バンドの IV を張りました。 写真の通り 3 台の無線機で本格的な QRV です。 その割には寝転がりながらと言うのが笑えます。
■ JCCサービスと言えば、同年 ( 1972年 ) 春の埼玉県八潮市の JCC サービスも思い出しました。 きっかけは八潮市のハムによるお誘いでした。
彼は、全国のハムと楽しくお話が出来ると胸膨らませて免許を取り QRV を始めましたが、折しも八潮市の誕生 ( 1972年 1月 15日 ) と同時期だったので、楽しくお話しできるどころか、毎日毎日怒涛のパイルアップを浴び、ラグチューなんて始めるとビートを掛けられる始末。 彼は失望してしまい 「 無線が嫌いになりそうだ 」 と言いました。
そして 「 パイルにもならなくてゆっくり話が出来る板橋区が羨ましい 」 と ..... 。 「 よかったらうちに来て八潮市 JCC サービスをやりませんか ? 」。 二つ返事で OK しました。
アンテナは 7MHz の DP だけでしたが、JCC サービスには充分です。 お昼頃から CW をメインに QRV を始めると噂通りの大パイルアップです。 パイルを捌きながら、夕方になると、さすがに飽きて来ました。 お誘いを受けた八潮市の彼の心境が理解できます。
16 時 JST 頃になるとパイルアップの隙間から複数の W が聞こえ始めます。 W にもパイルアップが聞こえていたのでしょう。 何事か ? チョット呼んでみるか ..... 。 私たちは普段 DX をメインに QRV していたので W に応答したくなり、JCC サービスそっちのけで W サービスを始めました。 QRZ NA ...... なんてね。 そしたら、ビートの嵐になってしまい、JCC サービス終~了~、となりました (笑)。 新しく誕生した市に対するパイルアップは凄まじく今でも忘れられません。 ( この話は過去に数回投稿していた。 いよいよボケがはじまったか ? )
■ やはり、同時期 ( 50 年前 ) だったと思います。 この話は時効になったと勝手に判断し、告白します。 私は鹿児島県名瀬市 ( 奄美大島、2006年から奄美市 ) より JCCサービスを行った事になっています。
会社の同僚で、私と同じ板橋区高島平団地に住んでいて、趣味がハムと言う友人がいました。 私は同団地 ( 14階建ての最上階に住んでいて ) の屋上にアンテナを上げて無線を楽しんでいました。 自分で言うのも何ですが良く飛んでいましたよ。 彼は低層階だったのでアンテナを上げる事が出来ず、私の話を聞いて悶々としていたそうです。
ある日、会社で彼が近づいて来て、私にログを渡したのです。 「 名瀬市の JCCサービス、お前のコール ( JE1WIH ) でやっといたから QSL は頼んだぞ 」、 「 えっ ? そのログには 200局ほどの SSB !での QSO が記録されていました 」。 彼の話によると、出張先の名瀬市で知り合ったハムの所から QRV させてもらったとの事。 「 俺の局免許切れてるから、お前のコールでやらさせてもらった ...... 」 だって。 もちろん QSL は発行しました。 なんだかなぁ~。 この記事は、一応読まなかった事にしてくれれば助かります (笑)。
そう言えばあの頃は DX 界でも 「 お前代返しただろ ! 」 なんてのが流行ってましたからね。
【 参考 】 430Mhz のアンテナは八木アンテナのラジエーターのみの使用です。 同軸ケーブルにぶら下がっています。 まともなアンテナ ( GP 等 ) を上げると、関東一円に飛んで行きますから、ローカルラグチューが出来ません。 このアンテナでもかなり飛んで行きます。