■ 今日は終戦記念日です ( 戦後 79年 ) 一日に二回もポストするのは久しぶりです。 私は、佐世保市立山手小学校に通っていました。 学校は烏帽子岳 ( 標高 568 m ) の麓にあり、遠足は一時間ぐらい歩いて烏帽子岳の頂上と言うのが決まりです。 さて、その山頂の広場には焼夷弾の六角形の残骸がゴロゴロと地面に突き刺さっています。 中には不発弾もあったかも知れないのに ..... 今では考えられないでしょう。
佐世保市は軍港でしたので度々空襲を受けています。 雨の様に焼夷弾が降ってきたと言います。 家の近くにも防空壕があり、戦後は子供の遊び場になっていました。 焼夷弾は建物などを破壊する爆弾ではなく、地上数十メートルで爆発し散弾銃の様に空から火のついたコールタールの様なものを降らせ、火災を起こさせる爆弾です。 烏帽子岳の頂上に突き刺さっている残骸は半分が朽ちてはいるものの六角形の不気味な形は確認できます。 6 年生の時は新入生の手を引き登りました。 よくまぁ平気だったものですね。
■ それは、小学校 1 年生の時だったと思います。 佐世保市の中央に島瀬公園と言うのがあり、そこに 「 リリィ 」 と言う、外人向けのビアホールがありました。 2階にオーナーが住んでいて、親戚だったので良く遊びに行っていました。
ある時、「 リリィ 」 のセクシーなホステスさんに呼び止められ、「 僕ちゃんにプレゼントあげる 」 と言って、貰ったのが 「 豆に砂糖をコーティングしてカラフルに色付けされたお菓子 」 で、普通に食べていたものです。 しかし、貰ったそれは 「 投げ玉 」 といい、地面に叩きつけて 「 バン ! 」 と音と共に爆発するもので、似て非なるものでした。 外国人の客から貰ったものでしょう。 今は禁止玩具になっています。
「 投げ玉 」 を知らない僕ちゃんは、それを食べてしまったのです。 「 一瞬あれ ? 甘くない ..... 紙の味 ? とは思いました 」 なのにですよ、奥歯でガリっと行っちゃったんです。 当然口の中で爆発しました。 口から ほわ~ん と煙が出ていたが、痛さは感じなかった事と、ホステスさんが、親戚の叔母様に、こっぴどく怒られていたのは覚えています ( 漫画の世界みたいでしょ )。 その後の事、病院に行ったのか、食事はどうしていたか、いつ頃治ったのかの記憶が全く残っておりません。 こういう話をすると、今の若い女性は 「 ウケル~ 」 と言ってくれるだろうか ? 。 爆弾繫がりで 2 題。