SF映画はほどんど観ないし、
アクションやパニックもの、CGだらけのものからも
すっかり遠ざかっているので、「ゼロ・グラビティ」のTVCMを目にしても
全然観たいと思わなかったのだが。
同じく映画好きの長男がレンタルしてきたDVD。
返却までまだ日があるので、一応観とこか~・・・と
真夜中のおひとりさま上映会。
なあるほど~~映像がすごいわあ。
まるで全篇宇宙ロケか?ってほどリアル。
この映画は、スクリーンで観なきゃね。
見どころは「映像」なんだもん。
ストーリー重視の映画好きとしては
まったくモノ足らんのだけれど
ドキュメンタリー感覚でスクリーンで観るといいかも。
宇宙は美しいけれど
寒くて暗くて静か・・・。観ているだけでなんだか息苦しいわ。
吹き飛ばされて、ひとり宇宙に漂うシーンを観ていたら・・・。
ドレミファブックのレコードで
小さかったわたしの中に刷り込まれているお話「うちゅうせんペペペペラン」のロンを
思いだしてしまった。。。
ひとりぼっちで宇宙船の修繕をしていた弱虫ロン。
突然動き出した宇宙船に置いてきぼりになったかわいそうなロン。
宇宙に放りだされたあとの、ロンの運命やいかに。
ジョージ・クルーニーみたいに
どこまでもどこまでも流されて宇宙のチリのひとつとなったか、
もしくは、サンドラ・ブロックのように、運よく地球に帰還できたかもしれない!?
いやいや、これは「映画」なんだけれどね。
あの物語も、「物語」なんだけれどね。
小さい頃、とても怖かった謎めいた白ひげのおじいさんは
本物のロンだった、って可能性を
わたしに知らせてくれた映画「ゼロ・グラビティ」。
ある意味、観てよかった。
それにしても!
サンドラ・ブロックの無駄のない健康美ボディは圧巻。
見惚れてしまった~。
いったい幾つ?って調べたら
なんと50歳!うつくしすぎる。見習いたい~。
子どもの頃、クリスマスが近づくと ドレミファブックのクリスマス号のレコードを何度も回したものです。
いまでも、本を開くとその頃のクリスマスムードがふわあっと浮かび上がってくるので
とてもふしぎな気分。
「もろびと こぞりて」
以前もここで書いたことがあるのだけれど、
わたし「もろびと こぞりて」の歌詞の「シュワキマセリーシュワキマセリー」を
随分大きくなるまで外国のコトバだと思い込んでおりました~。わたしも!ってひと、他にもいるはず?
「サンタクロースが やってくる」
おもちゃは欲しいけれど、うちの中でサンタクロースに遭遇してしまうのは
ごめんこうむる・・・と恐れていたコドモでした。人見知りの激しい女の子だったものでね。(ほんとよ)
「あかはなの トナカイ」
このページはだいすきでした。いわさきちひろさんのやさしいこの絵がだいすきでした。
そして、この歌のトナカイが、なぜいつもわらいものになっていたのか理解ができず
可哀想で可哀想で、なんだかわからないけれど、役に立ててよかった・・・とほっとしたものです。
そして!「ママとふたりのクリスマス」
クリスマスの歌といえば、今でも真っ先にこの歌を思い出します。
暖かさ、愛情、しあわせ、憧れ・・・こころを照らす温かな感情が凝縮されたようなこの絵と
哀愁のあるやさしい曲調が子どもごころに、とてもここちよかったのだと思います。
実は、毎年クリスマスが近づくと、「ママとふたりのクリスマス」のキーワードで
過去の記事に辿り着いてくださる方がたくさんいらっしゃいます。
それは、きっと、わたしと同じように
幼年期にドレミファブックにお世話になった元こどもたちの皆さん。
たくさんのひとびとのこころにも、
長い間たいせつに息づいている歌なのだということがよくわかります。
ドレミファブックを懐かしく思って、メッセージを送ってくださる方々もいらっしゃり、
あの時代、影響を受けた元こどもたちがこうしてオトナになっても
こころの中に様々な1ページをたいせつに抱いているということに
なんだか、勝手ながらとてもうれしい気持ちになってしまいます。
そして、先日、同じく「ママとふたりのクリスマス」で
ここへ辿り着いてくださった方から、遠くスウェーデンよりお便りをいただきました。
彼女のブログを拝見して、驚きとともにじんわりと温かな気持ちに・・・!
「ワンダーブック」(これも懐かしい!)に掲載されていた「ママとふたりのクリスマス」に、
同じ作家、「柏村由利子」さんの男の子バージョンの挿絵が!!
知らなかったなあ~。
40数年越しに観る新しい、けれど既に懐かしい、その挿絵を
あの頃と同じあたたかな憧れのまなざしで観ている自分がこれまた不思議でした。
「北欧絵本 子供と一緒に 世界中の本を読もう」
http://hokuoehon.blog59.fc2.com/
スウェーデン在住のkanelさんの素敵なブログへぜひ飛んでいってみてくださいね。
ドレミファブックで繋がるご縁・・・これまた嬉しいミラクルです。
憧れの北欧。いつか行ってみたいなあ。
☆☆ どなたさまにも、温かなクリスマスが訪れますように ☆☆
ドレミファブック第5巻のB面は
「ないた あかおに」のおはなし。原作・浜田廣介
鬼だけれど、村人たちと仲良くなりたいあかおにくん。
そんなともだちの願いを叶えるために自らワルモノを演じて
村人とあかおにの仲を取り持つあおおにくん。
村人たちと楽しく過ごすうちに
ふと、あおおにくんに会いたくなるあかおにくん。
雲に乗って岩山の上のあおおにくんを訪ねてみると
ひっそりとした家の入口にはあかおにくんへの貼り紙が・・・
「あかおにくん。ぼくときみとが いったりきたりしていては
むらのひとたちは きみわるく おもうに ちがいありません。
そうかんがえて ぼくは いまから たびにでることにしました。
いつまでも むらのひとたちと なかよくしてください。
きみのともだち あおおに。」
「ああ、あおくん。」
なんども手紙を読み返し、
はらはらと涙を流しつづけるあかおにくん・・・・
というおはなし。
子ども心に、あおおにくんとおかおにくんの友情がうつくしく
あおくんの過ぎるほどの優しさがこころに沁みて一緒に泣きそうになりながら
なんどもレコードを回したものです。
大人になってこの話を改めて考えると
それでいいのか!あおおによ!
とか ツッコミたくなって、いろいろ雑念入りでものを思ってしまうけれど
このおはなしは、穢れのないこころを持つ純粋な友情物語。
そして
わたしにも、ともだちのひとりに 「あおおにくん」がいる。
わたしは「あかおにくん」当事者じゃないけれどね。
どんな出来事があってそう思ったのかはもう覚えていないのだけれど
いろんな場面で彼の中に「あおおにくん」をみたわたしは
「ニンゲンだけど、このヒト あおおにくんだ・・・!」 と密かに感動したものです。
別名「青おにくん」の彼とはもう20数年来のこころの友。
今は遠く南の島に住む青おにニイサン。
すてきなかわいい伴侶を得てしあわせに暮らしています。(な!)
ないたあかおにの物語の中の「あおくん」もきっと新天地で
しあわせに暮らしていることでしょう!
先日、サワコさんの朝の番組に
詩人・谷川俊太郎さんがご出演!
谷川俊太郎さんの詩にも
そうとは知らずに「ドレミファブック」で幼少の頃に出逢っていたんだよねえ。
だいすきだったのは「月火水木金土日のうた」
無条件にたのしくなれる歌。
おとなも、子どもの頃のように大いにあそんだり大いにわらったりが必要ですな。
そして、その真逆・・・ 「うちゅうせん ペペペペラン」
とてもひとりでは聴くことができなかった あのなんとも寒々しい風の吹くお話もまた
谷川俊太郎さんの作品なんだなあ。
今観ても、この挿絵はコワイよ。
子どものころとても怖かったのは仕方がないよねえ。
それでも、しっかりこころに根付くお話だったなあ。
ところで、谷川俊太郎さんは
阿川佐和子さんとは遠い御親戚とのこと。
「しゅんちゃん」と呼ぶサワコさんもかわいらしいけれど
昭和6年生まれだという谷川さん、
フシギなことにお年をまったく感じさせないサラっとした春風のような佇まい。
“ココロは年をとらない” ということを、
目の前に証明してくださっているようだ。
だいすきな まど・みちお先生もそうだったけれど
ホンモノの「詩人」の方々は、
そのからだのなかに「コドモの自分」をそのまんま生かしておくことができるのかも。。。
そんな感じがいたしました。
なんとも軽妙で心地よいテンポのお話ぶりに
改めて、すっかり魅了されてしまいました。
1970年代初頭に幼い日々を過ごしたひとの中で
小さい頃を振り返ると、ドレミファブックのページが浮かび上がる・・・って方々。
意外に多いのではないかな。
ビデオもゲームもなかったあの時代の子どもにとって
レコードと絵本が一体となった「ドレミファブック」は
上等で優雅な遊び道具でもあり、いろんなことを目の前に広げてみせてくれる、
世界への窓みたいな存在だったように思う。
先日、「ドレミファブック」を検索してここへと流れてきてくださったCさんからのお便りに
「アップンおねんね」が一番印象に残っているとあり、
早速探し出してみました。 (動画とかUPできなくてごめんなさい!)
ドレミファブック第10巻。
懐かしいね~やさしい子守りうた。。。。
この巻では、わたし、おなかのへるうた が印象深いんだなあ。
歌詞の「おなかとせなかがくっつくぞ」ってところを一生懸命想像してみたり
どんな感じかなって、幼児体型のぽっこりおなかをへこませてみたりしてたっけな。
ページを開くとその頃の記憶が空中にぽわんと浮かび上がるようだ。
ドレミファブックの、それぞれの想い出の1ページ。。。
普段は「生活」に埋もれてみえなくても
ひとりひとりのこころの底に眠っているたいせつなうた。
その頃の小さな自分、部屋のぬくもり。
そばにいてくれたひと。。。
それぞれのたいせつな1ページ。
ドレミファブックは、あの頃のコドモたちにとって
人生最初に出逢った「せんせい」だったのかもしれないね~。
たくさん、たくさん、たいせつなことを教えてもらったような気がします。
(「このあし たん」のちひろさんの挿絵)
小さい頃に誰もが歌った「ぞうさん」
もし まど・みちお先生の名を知らなくても
「ぞうさん」を知らない日本人はきっといないよね。
子どもの頃にだいすきだった「ドレミファブック」。
このなかで特にすきだったいくつもの歌が
まど・みちお先生の詩だったと知ったのは大人になってから。
「ふしぎなポケット」 こどもの夢だよねえ。ビスケットの増えるポケット。
ポケットにビスケットを入れて叩いてみたことのあるこども、日本中、いっぱいいるはず。
「はしるのだいすき」も軽快ですきだったなあ。
あたりまえなことの中に、「おもしろい」って感じるこころをわすれないように。って先生からのメッセージ。
「わからんちゃん」ってうたも、なんだかとっても自由な歌で、
すきなことをおやんなさいって 言ってくださっているような詩。わからんちゃん、すきだったなあ。
「ドロップスのうた」、「ゆうだちせんたくや」などなど 童謡を通して
まど・みちお先生は、たくさんたいせつなことを教えてくださいました。
大人になってからも、詩集を開くたび
まど・みちお先生の澄んだこころの目を通して観る世界観に
何度もわたしの曇ったこころにワイパーをかけてもらいました。
104歳。2014年2月の終わりの日。天寿を全うされたまど・みちお先生。
こころよりご冥福をお祈りいたします。
長い間の、たくさんの感謝をこめて。
ドレミファブックの「ジャングルジムのうた」
この唄は、わたしの中では 赤ちゃんだった弟 の想い出と直結している。
奈良の団地で生まれた弟。体も小さく、よくぐずる赤ん坊だった彼。
それが、ふしぎなことに「ジャングルジムのうた」をかけると、途端にとても上機嫌になるのだった。
ベビーベッドの中でぐずり出して、母が家事で手が離せないような時には
「mikoちゃん、アレ、かけたってえ~!」と母に言われ
いそいそと、ドレミファブック第3巻のレコードを取り出して
ジャングルジムのうたを弟のためにかけてやったものだ。
弟が生まれたのは、わたしが幼稚園へ通い始めた4歳の半ば。
母の産院で、日に日に他のどの赤ちゃんよりも可愛らしい赤ん坊になってゆく弟を眺めながら
「おかあちゃん、ものすごいかわいいあかちゃん うんでくれてありがとうなあ。」
って、こころから、本当にこころからそう思って
ベッドに横になっている母にしみじみと言った光景を何故かはっきりと覚えている。
姉にとって弟ってものは、幾つになろうとやっぱりどこか頼りない小さき者 なんだよね。
そうはいっても、もうすっかりオッサンなのだけれどね。今でも頼りないけれど!
この「ジャングルジムのうた」 作曲は諸井誠氏。
作詞は、やっぱり!まどみちお氏。
こころに焼き付いているこの絵は小野かおる氏。
赤ちゃんのこころを和ませる、ドレミファブック第3巻。
不思議な魔法のレコード。
たいへんお世話になりました!
もう40数年前(!?)のはなしです。
ドレミファブック:「ゆりかごのうた」
子守唄の中で、この唄が一番すき。
ちいさい頃、ひとりレコードをかけてこの歌をうっとり聴いていたものだ。。。
長男が生まれるときに、母にリクエストしてお祝に買ってもらったものは
天井から吊るす「ゆりかごのうた」のオルゴールメリー。
赤ちゃん、とくれば、やっぱこれでしょ。
どっぷり昭和レトロな風合いのメリー。
紐のスイッチを引っぱると、ピンクや緑や水色のペラペラの短冊やら
玉串状のものやらが遠心力で広がってくるくる回るやつ。
もっと昔はセルロイドだったのでしょうね。
あのユメのような色合い、なんだかとてもすきなのだ。
(自分が欲しいだけだったのかも~)
今じゃあ、あんなレトロなのはもう見かけないけれど、
現在高三の長男が生まれた17年前には
デパートの新生児用品売り場でもまだ買えたのだ。
母は、わたしの願い通りに、曲は「ゆりかごのうた」、
そして電子音の音色がすきではないわたしの為に、本物のオルゴールの鳴るタイプを
探し出してくれて、大阪の老舗デパートから届けてくれた。
お蔭で、うちの三兄妹みな、くるくる回る昭和なメリーと
ゆりかごのうたのオルゴールの音色に包まれてすやすやと眠っていたものだ。
わたしが子守唄を歌って寝かせる時にも、まず「ゆりかごのうた」
続いて、「ねんねこしゃっしゃりま~せ~」の唄。(題名知らないままだ。)
「赤い鳥ことり」も、皆すきだったよね。
あかんあかん。
何故か、懐かしき赤ちゃん時代振り返りモードに突入しちゃってる。
夏も終わり・・・長男、次男ともに、自分の道を択びとりつつ前進していく時期。
母親がノスタルジックになって思ひ出に浸っておる場合とはちゃいますな。
でもあのメリー、確か屋根裏にしまったはず。
オルゴールだけ出してきて、寝てる耳元で聴かせたろか~!
やさしい音色に、トゲトゲ反抗期も和らいで、まっさらなこころに戻れるかな。
なんと早い梅雨明け。
そして明けて早々の夕立がありました。
夏の風物詩・夕立ってすきだなあ。(ゲリラ豪雨は別ですが)
照る強い陽射しに光る雨粒の美しさ・・・ いいよねえ。
そしてこの 「ゆうだち せんたくや」 は
ちいさい頃だいすきだった曲のひとつ。
ゆうだち どしゃぶり せんたくや
おうちも どうろも きも くさも
ざあざあ じゃぶじゃぶ あらいます
ゆうだち せんたくおわったら
おうちも どうろも きも くさも
きれいな おかおで にじみてる
このページは、これまたすごいよ~。
作詞: まどみちお氏。
作曲: 服部公一氏。
絵: 安野光雅氏。
ゴールデントリオって感じ?
夏の夕立に いつもこんなにいい気分にしてもらえるのは
小さい頃によく聴いたこの歌のお蔭かもしれないね。
街中 ざあざあじゃぶじゃぶ 洗ってもらえちゃうんだもんねえ。
一緒にココロもさっぱりだよ。
ゆうだちせんたくやさん、ありがたいことです。
1970年代の「ドレミファブック」に多大なる影響を受けた元子どもたち(現40代)は
きっと、想像以上にたくさんいらっしゃるはず。
わたし、子どものころから空想癖アリ。
元を辿っていくと、ここへ行き着いた。
ドレミファブックの「おへそ」だ。
レコードでこの歌を聞きながら、穴が開くほどこのページを眺めていた幼少期。
どんなモノやどんなコトにも、
こうして深い深いストーリーや謎が隠されているのかもしれない・・・
と、空想を巡らすコドモに成長していったのは
この「おへそ」の歌が根源な気がするよ。
幼い頃に出逢う絵本や童謡、遊び、周りのひとびとの言動・・・。
いろんなものが詰め込まれて、ヒトって出来上がっていくのよねえ。
ドレミファブック 16巻の「トマト」
小さい頃、この歌すきだったなあ。
♪ 「トマトってかわいいなまえだね うえからよんでもト・マ・ト したからよんでもト・マ・ト
トマトってなかなかおしゃれだね ちいさいときにはあおいふく おおきくなったらあかいふく 」
たったこれだけの歌詞なんだけれど、こどもにとっては
ものすごい大発見を教えてくれている たいへんインパクトのある歌。
大阪で暮らしていた小学校低学年のころ、
遊んでいた空き地にトマトが生えていて(いま思えばなぜトマトが?不思議な光景だ)
まだ青く固い小さなトマトを、ふたつみっつもいで家に持って帰った。
そのまま忘れて子ども部屋に放っておいたら
いつのまにか真っ赤に変身しているのを発見し、
あのトマトの歌の通りに「生きてる!」って実感したものだ。
ドレミファブック。
4歳ごろから8歳ごろまで毎日のようにかけていたレコード&絵本。
本を開くと、そのページに綴じられたさまざまな思い出が浮かび上がる。
ドレミファブックは、ふしぎな玉手箱みたい。
で、そのトマト、食べたかどうか。。。
それは覚えていないのだなあ。
トマトのおいしい季節になりました。
わたしの中の「あかはなのトナカイ」のイメージは、
ドレミファブックのいわさきちひろさんの絵そのもの。
小さい時に、こころに焼きついたものはずっとそのまま残るのねえ。
わたしが想い浮かべる[トナカイ]は、この絵のやさしくて寂しげなトナカイ以外ないんだなあ。
この本が出版された頃はまだ現役で絵を描いていらしたいわさきちひろさん。
この当時は、「岩崎ちひろ」って漢字を使ってらしたのね。
すき・きらいの感情がダイレクトな幼少期。
ドレミファブックの絵の中でも
やっぱりすきなものとそうではないものがあり、
ちひろさんの絵は、「だいすき」のカテゴリーだったなあ。
この絵の他にも、ちひろさんの挿し絵の
「おはなしゆびさん」「ママがあかちゃん」のページもだいすきだった。
もちろん挿し絵がだれか?なんて知らずに観ている小さな頃。
子どもの頃の絵のすき・きらいは完全に本能と感性によるもの。
ドレミファブックの本を、あれから40数年経った現在開いてみても、
やっぱりあの頃すきだったページは今もすき。
そうでもなかった絵は、不思議と今観てもやっぱりそうでもない。
三つ子の魂百まで。という諺は本当だ。
ドレミファブックを楽しみに開いてレコードを聴いていたのは4歳の頃からだけれど。
幼いころの自由なこころがすきだと感じたものは、
間違いなくそのひとが一生好むものなのかもしれないね。
百まではわからないけれど、とりあえず4つ子の魂、ほぼ50まで。って感じ?
「ことわざ」って、大人になって、実体験を重ねるとだんだん実感するものなんだなあ。
先人たちの遺した徳のあるコトバを大事にしなくちゃね。
この号のなかの「ママとふたりのクリスマス」がとてもすきです。
小さい頃、ドレミファブックの中の絵を、
レコードの歌が流れている間中じっと眺めていたから
今ページを開いても、どれもとても馴染みがある。
この「バスのうた」も、聴きながら姉妹で歌の真似をして
一緒に右に倒れたり左に倒れたりして遊んでいたっけ。
歌もすきだったけれど、この「バスのうた」の絵がまたいいんだよね。
バスの窓枠が本物なところが面白くて結構すきなページだったんだ。
ドレミファブックを聴いていた奈良の団地のあの頃、日常的に母とバスによく乗っていたから
このリアル窓枠と、絵が一緒になっていることが子どもゴコロにツボだったのでしょうね。
窓の、両方つまんで開ける部分もちょっと懐かしいね。
どころで、「ドレミファブック」で、ここに辿り着いてくださる方は意外に多い。
あの頃、同じ子ども時代を過ごしたたくさんの元チルドレンが、
ドレミファブックから受けた影響はすこぶる大きいってことなんだなあ。
同じ気持ちの方々がたくさんいるって、何だかとても嬉しい。
巻頭ページに毎号載っている「監修者からお母さまへの手紙」。
自分が母親となるまで、読んだことはなかったけれど、
「こどもたちが音楽によって豊かなこころを得られるように・・・」
という願いの伝わる文章がそれぞれの巻頭ページに綴られている。
監修に名を連ねてあるのは、服部公一氏・與田準一氏・西本三十二氏 等々。
(わたしは服部さんしかわからないけれど)
第3巻の巻頭のページ、服部公一氏の言葉の一部をご紹介。
「音楽はうれしい心、悲しい心、愉快な心、その他いろいろな人の心のたたずまいを
的確に伝えるすばらしい意志伝達の方法でもあります。
言葉がよくわからない幼児も音楽による心の言葉ならよくわかります。
音楽を感じる力は、幼児期に完成されるといいます。
だから幼児をよい音楽に親しませたいのです。音楽はすべての人間に共通な心の言葉です。」
音楽はこころの共通言語!!
深い想いのこもった「ドレミファブック」だったからこそ、
多くの人々のこころに、こうして大人になった今もしっかりと根付いているのでしょうね。
ココロから 感謝です
この挿し絵もなつかしいっ。
お馴染み、知る人ぞ知るレコード付き絵本:ドレミファブック(1970年代初頭 世界文化社発行)には、いい音楽が盛りだくさん。
そして、こどものココロを刺激するいい絵も、実に盛りだくさんだったのだ~。
当時、「ドレミファブック」の発行にあたり、この企画の担当者さん方がどれだけ心血を注いでいらしたか
そうそうたる顔ぶれの作詞・作曲・挿絵の先生方のお名前の連なりを見れば、ここからでも想像ができる。
子どもたちに、最高にいいものを与えたいという思いを込めて編集されたことが
絵本を開けば、レコードに針を落とせば、ちゃんと伝わってくる。数十年後の今でも。
ドレミファブックで育った大勢の元チルドレンの、端くれのひとりとしてお礼を言いたいくらいです。
たくさんのたいせつなことを、ドレミファブックの中の歌や絵から教えてもらったような気がします。
ココロに残る絵は、挙げて行けばきりがないけれど、
中でもこの絵にはものすごくものすごく引き込まれていたものです。
「ぐるーん・ぽん」という体操の歌のために描かれた、安野光雅氏の数枚の絵。上の絵はその中のひとつ。
自分がかけているレコード盤と同じ絵なのに、なんと 捲ると海があるんだよ!
こんなフシギな世界が繰り広げられて描かれていることが、子ども心にスゴイ衝撃だったのだなあ。
小学校1~2年生の頃、レコードもかけずにこの不思議な絵の数々に眺め入っていたことをよく覚えている。
安野光雅氏の描くフシギな絵とは、それから数年後に引っ越した町で
ともだちと毎週土曜の午後、バスに揺られて通った図書館で再会する。
絵本「ふしぎなえ」と、「ふしぎなサーカス」 これは名作中の名作。
今でもこの絵本を開くと、あの町のちょっと薄暗い図書館の匂いと、
ものすごく沈み込む大きな古いソファーに座ってこの絵本のページをめくる小さな自分を思い出す。
あの頃すごく仲良しだったあの女の子と一緒だったから、あれは四年生の頃だったんだなあ。
なにも先入観を持たない小さな頃に、絵を眺めていろんなことを想うって、ものすごく贅沢な時間。
外でも十分遊んでいたのに、こういうゆとりの時間もたっぷりあったということは、
昔の子ども時間って、現代よりもゆっくり時間が流れていたような気がしちゃう。
DVDやゲームの目まぐるしい映像に慣れっこになっている現代の子どもたちにこそ、
そんなふうにゆったりと流れる時間を、たまには持たせてあげたいものだなあ。
子どもの頃って、童話や歌に出てくる食べものを、ちゃんと想像して味わうことができたものだよね。
ドレミファブックのなかの歌にも、おいしそうなものがいろいろ。
「ふしぎなポケット」の増えるビスケットや、「アイスクリームのうた」のとろけるアイスクリームなどなど。
ちいさな頃、ビスケットをポッケに入れてたたいてみて、粉々になって困った経験のあるひと!大勢いるはず。
レコードを聴くたびに、勝手に味わっていたものだから、
今でも絵をみるだけで、あの頃の想像のテイストが口の中に蘇ってきてしまうほど。
この「ドロップスのうた」の中にでてくるドロップスも、
そこいらのあめちゃんとはひと味違うんだな。
なにしろ、「 なきむしかみさまが ゆうやけみてないて あさやけみてないて ぽろんぽろん」と出来たドロップスなんだもん。
ちなみに、二番では、「かなしくてもないて うれしくてもないて・・・」と続きます。
子どもゴコロに、「かみさま」って怖そうだけど、本当はやさしいんだなあって、思ったものです。
こんなに純真な歌詞って・・・いったいどなたが?と、改めて作詞者を見たら
ああ やっぱり!なるほど~。 まど・みちお先生でした!
ドレミファブックの歌の中でも特にだいすきだったこの歌。
サクマの缶入りドロップスの硬いフタを母に開けてもらうたびに、
この中にも「かみさまのドロップス」がまざっているかも・・・と そっと のぞいてみたものです。