時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

ねこトラ

2024-07-28 | essay
巨大な肉球〜!
トラは大きなネコ。

なんてかわいい伸びなんでしょ。

このこは春に訪れた「神戸どうぶつ王国」のスマトラトラ。
ちょうどおねむの時間だったのか
こんなに無防備にまったりしてる猛獣を間近で観たのは初めて。

「神戸どうぶつ王国」はこの夏10周年なのだそうだ。
4月末、父の法事で大阪入りする前に娘と初入国!

ここはどうぶつとニンゲンが驚くほど近い!
写真は望遠ではなく、ガラス越しほんの50cmほどの距離。
そして動物や鳥たちが割と伸び伸びと暮らしている。

ここへ行ったのはだいすきなハシビロコウが目的だったのだが、他の動物たちもすごく魅力的で思いの外すっかり長居してしまった。

写真を見返していたら…
また訪れたくなっちゃった。
近かったら、間違いなく通ってしまうであろう!

(お目当てのハシビロコウはまたの機会に記します〜)



木もひとも。

2024-07-23 | essay

「talking」

こころ惹かれる木には
勝手に名前をつける。

「talkの木」
彼らはいつみても寄り添っておしゃべりしている。
長年の友人、若しくは友人のような伴侶。

夏は葉を触れ合わせ
冬は労り合うように寄り添う。

いつしか片方の木に少し元気がなくなり葉が茂らなくなっていったことに気づいていたのだが…。

ある日忽然と姿を消した。
近づいてみると
あっさり伐採されていた。

生きとし生けるもの。。。
いつかお別れがくる。
彼は今、独り佇む。

今でも彼女に語りかけるように
優しく腕を伸ばしながら。







朝顔の木?!

2024-07-22 | essay

一瞬、木に花が咲いているのかと思ったわ〜

近づいてみると
木にぐるぐる巻き付いて咲いている朝顔でありました。

植物の生きるチカラはたくましい!
見倣おう。
こちらは2日程でサドルまで到達した蔓草。
目に見える生命力!アッパレ!





ぺんぺん草モドキ

2024-07-18 | essay
数年前に空き地で初めて見掛けてから
かわいいなぁ〜と思っていたこの野の花、この1年程であらゆる場所に爆発的に殖えてきたように思う。
ぺんぺん草にとても良く似ているのだけれど、もっとしっかりしていて一本の茎から放射状に数本が生えている。
葉っぱはぺんぺん草みたいにハート型ではなく丸い。
名前を調べてみたら
マメグンバイナズナというナズナの仲間ではあるのね。
かわいいのだけれど、
もしかしてキミらの超繁殖の陰で普通のぺんぺん草(ナズナ)は衰退しているような。。。
ぺんぺん草を目で探しながら歩いていても最近なかなか出会わないのだ。
ちょっとサミシイ。

今年は暑さのせいで畑の野菜が巨大化したり様々な変化が起きているというし、街の雑草たちにも少しずつ何かが起きているのだろう。

短すぎる梅雨も明けた様子。

やってくる酷暑、がんばって乗り切りましょう。







縁の下の護り神

2024-07-14 | essay

朝の光をまとった雨粒は最強のうつくしさ。
そのまま掬ったら水晶玉になりそう。
なんて…
洗濯物を干した後で庭の植木鉢の雨粒に見惚れていたら
なんと!ヘビに遭遇!
こんな狭い庭で出逢うのは初めてのこと。
写真を撮ってイキモノに詳しい長男に即送信。
すぐにアオダイショウと判明。
まだ細いカラダ。こどもに違いない。
ということは…
お母さまがいらっしゃるのね。

この十数年の間に近所の古いお屋敷が取り壊され周り中マンションとなり、土の地面の少なくなってしまったこの界隈。
知らぬ間にうちの縁の下は行き場のなくなった近所の主たちの避難場所となっていたのかもしれない。

アオダイショウなら毒を持たないから居てもらうのは全然構わない。

その代わり、うちの護り神として害のあるヤツをいろいろ食してしまってくださいませ。よろしく。笑。




キモチを飛ばす

2024-07-05 | essay

夕やけのはじまりがすきだ。

義父母に夕食を運んだ後、思い立って30分の夕やけウォーキングへ。
「夕焼けが見たい」と思って自分の足で出向いて行けることが既にありがたい。

空の高いところで
小さな飛行機が
オレンジ色に染まって飛ぶのを見た。
地上のここからは太陽はもうビルの向こうへ落ちていて見えないが
あの上空の機内からは黄金色に染まる雲がずっと向こうまで見えることだろう。

空を往くあんなに小さく見える飛行機でも
あの中にはヒトが何百人も座っているのだ…と想像すると改めて途轍もなくフシギな気持ちになる。

そしてあの位置から見える夕やけ雲を想像してみる。

昔、夕方離陸した便の窓からどこまでもどこまでも続く夕焼け雲を見ていた光景を思い出す。

地べたから夕空を見上げているジブン。
今空の上で飛行機の窓から夕焼けを眺めているであろうヒトビト。

遠くにいても、それでも同じ時を刻んでいる。。。

オレンジに光る飛行機に
束の間キモチを持っていかれた夕散歩でありました。


今日も既に猛烈な暑さ!
熱中症対策は万全に!


伝えるたのしさ、伝わるうれしさ

2024-07-03 | essay

預かり保育の現場でおしごとをしていると
実に多様な…というよりも
ひとりひとりが正に唯一無二の存在なのだと実感する。

子どもは毎日変化を遂げて進化する。
幼虫がサナギになり羽化して羽ばたいていくのを目の当たりにしているよう。

入園以来ずっと園ではことばを発せないとあるひとりの男の子。
あっという間に年長さん。
預かり保育にはほんのたまに顔をみせる。
最初の頃は固まったまま笑顔を見せることもなかった彼。。。

でも成長と共に最近表情がとても豊かになってきて、話しかけると目を見て伝えようとする仕草をするようになった。
先日、子どもの人数が少なくなった夕方、床でごろごろしていた彼にわたしが指で蟻の真似をして「アリさんがチョコチョコチョコ〜〇くんに登ってくよー」とくすぐろうとすると
クククッと笑って違う違うと手を振る仕草。
小さな親指と人差し指をぎゅ〜っとくっつけて『もっとちいさい』というようなジェスチャーをして服の上を這わす。
「ん?アリより小さいの?なんだろなあ?」と聞くけれど、コトバでは伝えられない彼。
でも伝えたい気持ちがじりじりと伝わってくる。

そこでハタと思いついて
あいうえおの絵本を出してきて
「〇くん!これこれ!これで指さしてみて!せんせい知りたい!」
と言ってみると…
いつの間にか字を覚えていた〇くん、ゆっくりと指さした文字は「た」。
「た」とわたしが読むと手を振り指で濁点の仕草。
「だ!だね?」と言うとうなづき、次の文字は「に」。

おお〜やった!
「わあー!ダニかー??」と
言うとうんうんとにこにこ顔。
いやはや〜うれしいなあ。
たかが2文字されど2文字!

アリさんより小さい「ダニ」と言いたかったんだねえ。

伝わるってうれしいね〇くん。わたしもうれしい。

後日、折り紙で何か折ってわたしに見せてきたので
「あ!またひらがな指して教えて〜!」と言うと、手を振って紙に書く仕草を。

「え?もう書けるの?」と聞くとうなづく。
お家で家族となら会話が出来る彼。いつの間にかもう字も書けるようになっていたんだね。

紙とわたしの魔法のにじいろえんぴつを渡すと「コウもり」とゆっくり一生懸命書いてくれた。

伝えるたのしさ
伝わるうれしさ。
ひとつひとつの経験が今、その子を形作っていく。

毎日成長していく彼らのたいせつな子ども時代の時間。
たくさんの時間の中、「預かり保育」というほんの数時間の繋がりだけれど、彼らのココロに伴走する時間はかけがえがない。
今日を生きる彼らが「たのしかった〜!」と無事に家に帰れるよう今日もわたしはわたしに出来る最善を尽くす!(オーバーだけど〜!)

いろんなうれしい気持ちを共有させてくれてありがとうね




ふわりと。

2024-06-27 | essay

あ、トンボ!と見上げた途端
フワリとわたしの日傘にとまった。

立派なオニヤンマだ。
この辺りでみるのは珍しい。
道端に立ち止まり暫し眺めてから、そうっとスマホを出して1枚パチリ。
すてきなモデルさん。

昔から蝶やトンボなどが近づいてきてくれると何だかとてもウレシイ。
そしていつも
ダレカナ?と想う。

アチラにいってしまったわたしを知る誰かなのかもしれない。なぁんて想う。

以前奄美を旅した時、不思議と何度も蝶がふわりと近くに来てくれた。
奄美では蝶はヒトの霊(たましい)なのだと云われていると聞いた。

以来特に自ら近づいてきてくれる蝶やとんぼには何だかとても親近感が涌くのだ。

1周忌を過ぎてもうすぐ誕生日が近づくオヤジさんかな〜?
お寺の蓮ももうすぐ咲きそうです。





可愛いすぎてビックリ

2024-06-24 | essay

え?あなた誰?
と二度見!
庭の片隅に何とも可憐な小さなお花を発見。

よく見たら見慣れた多肉植物からニョッキリ伸びて咲いているのだった。
義父が趣味で育てているいろんな植木鉢が庭に無造作に置かれているので、洗濯物を干しながら時に可愛い花にビックリさせられるのだ。
植物はナゾと驚異に満ちている。

雨粒をまとってうつくしいなぁ。君は葉が既に花だよね。
よくよく見たら、葉の先のピンクとお花のピンクはお揃いなのね。
DNAってすごいなあ。




六月の球体

2024-06-21 | essay
ひとには幾つもの顔がある。
それはウラとかオモテとかではなく、どれもそのひとなのである。

ひとのココロは多面体ではなく
球体なのだ。

というわたしなりの持論。
我が身に於いても。

今日は母の命日。
いつも亡くなった時刻に覚醒してしまう。
出来れば泥のように眠ったまま過ぎてしまいたいのに。

そしてまだ生きていた母の
ココロを想う。
母もまたわたしの知らない顔をたくさん持つひとりのヒトだったのだ。
わたしの「母」である以外のヒトとしての彼女。

わたしが「ただのアタシ」でありたいと時に思うように
母もまたわたしの知らない「ただのアタシ」を持っていたはずなのだから。

母のすきだった蒼い紫陽花。
あちらにも紫陽花は咲いているのだろうか。
それとももう別の姿になって此の世で今年の紫陽花をみているのだろうか。

19回目の命日
間もなく午前4時。
道路に響く新聞配達のバイクの音。。。

そして今
早起きのイソヒヨドリが
高らかに鳴いた。

まだ空は暗いのにね。

もうひとねむりしなくちゃ。




スターに変身!

2024-06-19 | essay
木の花って豪快だ。
想いもよらないカタチの花を突然咲かす。
何度も通った道でいつも素通りしていた街路樹がにわかにスターに変身だ。
モシャモシャのふわふわのお花をつけておしゃれしているのはネムノキ。

ネムノキってこんなフシギなお花をつけるのねぇ。

以前から思っていたけれど、ネムノキとオジギソウって葉っぱのカタチがよく似ている。親戚なのかな。ネーミングも何だか同じにおいがする。

一度認識すると、途端に目に飛び込んできやすくなるもの。
たまに通リかかる公園のこの木もふわふわのおしゃれさんに束の間へ〜んしん!




ひととひと、つながる時間

2024-06-16 | essay
ものづくりの活動を拡げていくなかで出逢ったひとびとがこの10年余りでたくさんいる。

それぞれに魅力的な作家さんたち。
わたしがすきになるひとは
皆自分の分野で日々切瑳琢磨し、向上心がありながら謙虚さを忘れないひとたち。
そして何よりものづくりがスキで作家活動をたのしんでいることが皆の共通点だ。

この日は丁度同じ方面に
3人それぞれの作家さんの展示が重なっていたので
お昼前から夕方まで三件ハシゴしてきた。

一件はカフェ展示だったため美味しいものをいただきながらおしゃべりは尽きず、その場でまた輪が広がっていく。
コロナ禍を越えてこうしてまた普通に集うことが出来るようになったことを改めて実感する。
こうして他愛のないおしゃべりができるってしあわせなことだ。

コロナ禍の数年、正に「不要不急」の代表格だったアートの世界。先の見えない時代に悶々としながらもものづくりへの情熱は枯れることはない。

これからも何が起きるかわからないけれど、
こうしてつながりをたいせつに慈しみながら
ものづくりに関わるすべてをたのしんでいけたらしあわせだなぁ。。。

暑い一日。夕やけも夏色でした。



夜の子ども部屋

2024-06-11 | essay
真夜中に目覚めてしまい
眠ろうとしているのに
勝手に思考が彷徨う

子どもの頃
夜更けに母が戸締まりを確認しにそっと子ども部屋に入ってくる光景を何故かふいに想い出す。

母は毎夜窓の鍵を確かめカーテンをきちっと閉めてから
ベッドで寝ているわたしたちのふとんを掛け直してくれた。
近づく母の気配。ふとんを掛け直してくれた時の手の重み。ドアを出ていく逆光の後ろ姿のシルエット…

あたたかな
しあわせな
こどもの頃の想い出

思春期くらいになってからも
真夜中に母の気配を感じると小さいころみたいにふとんを掛け直してとんとんしてほしいな…と感じていたことも覚えている。

そう言えば子どもたちが小さいころ、絵本を何冊も読んだ後で寝かしつける時にわたしも同じようなことをしていたなぁ。
3人の子どもたちに順番に布団を首まで掛け直すと
みんな「ぎゅっぎゅってして」と嬉しそうに言っていたものだ。
わたしもぎゅっぎゅっと言いながらわざとお布団を子どものからだに巻きつけていたっけ。。。

一日の終わり…眠りにつく小さな体にかかるおふとんの重みそして母親の手の重みは、どうやらすこぶる安心感を与える格別な魔法を持っているようだ。

わたしがこうしてふと母を思い出すように
彼らもまた遠い先に
ぎゅっぎゅっとされた感覚を思い出してくれるといい。

子ども時代のささやかなしあわせな時間の記憶がちゃんとからだに沁み込んでいれば
何があってもなんとかなるという気持ちの土台となる。ような気がする。

幼少期の愛情は必須栄養素なんだな。
ヒトもけものもね。

空の上の母に感謝!です。







かかりつけ医難民

2024-06-10 | essay
かかりつけ医難民となって数年。

年一の健康診断も
さぁ今年は何処へ行こうかと迷う有り様。

かつていつも診ていただいていた町医者の先生はとても大らかな御方で、毎年話をしながら気になる検査項目を増やしたり臨機応変に対応してくれていた。
検査結果も細やかに説明してくださり最後に「合格!」と太鼓判を押してもらえると、スキップして帰りたくなるような気持ちになったものだ。

ご病気で急に休業されたあと、あっという間にお亡くなりに…。まだ60代だったと思われる。とても残念だ。今でもそう思っている人はかなりの数に上ることだろう。

あの先生にかかっていた友人知人皆同様に「かかりつけ医難民」だ。

さて、今年行ってみた病院は長男を出産した産院併設の内科。
近年立派に建替えられ健診も多く受け入れていると聞いて行ってみた。

問診にあたった先生は
健診の為だけのアルバイト先生らしく、小さな声でボソボソ話すお爺さん。

「なんかね既往歴を聞けと云われていてね、この中でなんかある?」と病名の表を見せてくる。小さな声な上に小さな文字の表。ググッと近寄らなきゃ聴こえないし見えないよ。
何だかあまりに医者っぽくない事務的な聴き取りに
もしかして医者じゃないのかなと、思わず
「えっと、お医者さん…ですよね?」と首からぶら下がる名札を覗き込んじゃった。
「医者なんだけどね…」とにっこり笑うお爺さん。
失礼しました。

アルバイトだからややこしいこと聞かないでねって
言わないけれど
ココロの声が駄々漏れです。

こんなに他人事みたいに話す腰の引けたお医者さんなんて初めて会いました〜。
それにしても
あまりに近づきすぎてお爺さん先生の見事に真っ白なまつ毛をまじまじと見つめ続けた問診の時間なのでありました。
あんなに全部真っ白になるのねえ、まつ毛。

かかりつけ医難民の日々は続く。。。









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