時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

時間が変えるもの、変えないもの。

2015-07-04 | essay




大きな歯車 ←という記事を以前書いたのですが・・・これはその後日談です。

子どもゴコロに、もう会えないひとになってしまったのだ と封印した伯父と
とうとう再会を果たすことができました。

母の姉、だいすきだった「ちゃこのおばちゃん」が亡くなって40年。。。
その伴侶だった伯父との40年振りの再会。

父と姉とわたしで伯父の住む町へ。

見上げるような大きなひとだった記憶の中のおじちゃんは
89歳の、すっかりちいさなおじいさんに。

子どもだったわたしたちだってすっかりおばさん。(笑)

にっこり笑う笑顔は全然変わらず、
わたしは一瞬にして8歳の子どもの気持ちに。。。

寡黙な印象だったおじちゃんなのだけれど・・・しゃべるしゃべる!
きっと伯父にしても封印されていた過去が
突然目の前にきらきらと溢れ出していたのでしょう。

わたしが生まれた当時、伯母夫婦の営むつり池の家に同居していた我が家族。
サラリーマンだった父は週末にはつり池を手伝っていたそうだ。
ふたりが、当時のお客さんの話に花を咲かせているのを見ていて、
ふいに今更ながら 『そうか、ふたりは元義兄弟なんだ・・・』と気づく。
当たり前なんだけれど、考えてもいなかったんだなあ。

伯父は、驚くほど記憶もしっかり定かで
亡き伯母との出逢いの想い出話や、
伯母亡き後のスピード再婚の経緯など
謎だったこと、知らなかったことがすっかり陽の光のもとに融けだし、
とある午後のひととき、なんだかとてもやわらかな時間を過ごすことができました。

あれからの40年、伯父がしあわせでよかった。
昔と変わらない穏やかなそのお顔をみれば、
再婚した女性と、幸せな時間を重ねてきたことがよくわかります。
いつまでも共に元気でいてほしいものです。

懐かしいおじちゃんとの再会の時間は
一瞬で消える虹の中に身を置いていたような・・・
フシギでかけがえのない温かな時間でした。

今生で逢うことの叶う 逢いたいひとには
何をおいても、逢っておくべきなのですね。

どこで暮らしているのか、所在がわからなくなっていた伯父。
こうして再会の道へ橋をかけてくれた幾つもの偶然に感謝です。
そして、空から引き合わせてくれたに違いない亡き伯母と母にも・・・。

「わたしに会いたいと想ってくれるひとがいたやなんて・・・ほんとにうれしかった。」
おじちゃんが、最後にしみじみと言った言葉が
わたしのこころに沁み込んで、一生の宝になりました。

そして、この40年の間に「徳島のお寺」としか
誰にもわからなくなっていた伯母の納骨されたお墓の場所も
ついに知ることができたことも、大きな大きなギフトです。

ぐるりぐるりと回るみえない大きな大きな歯車。

あいたいひとには、あえるように
知らぬところでそういうふうに なっているのかもしれません。

これからも、良い前兆をみつけたら・・・!
逃してしまわずに両手でだいじに掴まえよう。

 

 

 

 


 


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