方丈記の冒頭文。
「ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは かつ消え かつ結びて 久しくとどまりたるためしなし。」
中学生の時に習って以来、ずっとすきな一節。
ちょっと行き詰まった・・・と感じる時、この一節を思い出すと
《 滞っているように見えても、ちゃんと物事は動いているから大丈夫。
なあに、たいしたことじゃない。》 って思わせてもらってきたんだ。
なのに。それなのに!
「方丈記」をちゃんと全部通して読んだことがない。ということに今更ながら気づいてしまった。
学生時代、古文はすきではあったけれど、
これから原文だけ読むのはちょっと根性がいるし、
現代語訳だけじゃ味気ないし。
と、探してみたら、ぴったりなのを見つけました。
中野孝次著 「すらすら読める方丈記」
この本はいい。ちょうどいい。すごくいい。
そして・・・ニンゲン・長明さんに改めて深く共鳴。
深い深い人生哲学であり、建築哲学でもあるこの方丈記。
なんだか、現代の日本の状況にも怖いくらい妙にリンクしているところもあり・・・。
いつの世も、ひとは天変地異に振り回され
いろんなしがらみに絡みとられつつ、右往左往しながら生きている。
~世にしたがえば、身くるし。したがはねば、狂せるに似たり。
自分の目で見て、自分で体験して綴る、生粋のジャーナリスト・長明さん。
どんな時でも、ひととして、こころ安らかにたのしく生きていく術。
いかにストレスフリーな境地へ自分を導くことができるか。
いかにこころを充実させながら生きるか。
「方丈記」は、時代を超える元祖自己啓発本的要素もある不思議な本でした。
中野孝次氏いわく、
「自由な境界に突き抜けた心の達人・鴨長明。
すべては、外にではなく、わが心ひとつにかかっている。
方丈記は無常をうたった文学ではなく、数寄(すき)をうたった文学なのである。」
ひしひしと、こころの底から共感いたしました。。。
「 読書は、ただ読むだけでなく、読んだ後で考えてこそだ。」
って言ったのはどこのエライひとだったか忘れたけれど
この「方丈記」、本当に深く考えさせられる。
さすが、1212年に記されて以来800年間もずっと読まれ続けた日本の古典名著。
今まで読まずにいたのは、とても勿体のないことでした。
人生半ば過ぎ(?)にして、ここで読むことができてよかったよ。
なにごとも、思い立った時が My Best Time なのかもしれないね。
それでも、このようにまだ読まずにいるすばらしい古典文学がこの世にはたくさんあると思うと・・・
ちょっと慌ててしまうなあ。
いやいや、長明さんを見習って、あくせくせずにゆきましょう。
~もし、念仏ものうく、読経まめならぬ時は、みづから休み、みづから怠る。
この境地ですね。身を律してばかりではくたびれちゃう。
ちょっと、自分にちゃらんぽらんにもなれること。ここ、大事ですね。(それなら得意です。)
すべてはこころのままに~~!
長明さん、あっぱれな人生です。