この前の夏の終りに、あっち側へいってしまったアノ子。
エイプリル・フール。
アノ子は、よくわたしの他愛のないウソに引っかかってくれて、
いつも悔しがっていたものだ。
夫が、「もう引っかかってくれる相手がいなくなっちゃったねえ。」と、しみじみ言う。
ホントだよ!
なんだかくやしいから、今年のエイプリル・フールは、電車に揺られて娘と一緒にアノ子のお墓参りに行ってきた。
お墓にお花を供えながら、「アンタのお墓に話しかけるなんて悪いジョーダンみたいだよ!」と、アノ子に毒づいてみる。
お墓の中にアノ子のタマシイはいないって、わかっているけれど
真新しい立派なお墓の中で、アノ子の骨は ひとりぼっち。
彼女は生まれも育ちも山陰地方。
結婚した頃から、こっちのお墓になんて入らないよ、歳をとったら向こうへ戻るって公言していた彼女。
彼女の夫も、分骨を考えて動いてくれたのだけれど、仏教と神道の間にはいろいろと難しい問題があり、
最終的に実家へは、遺髪だけを納めることに。
ママが可哀相な気がして・・・と心配そうに言うアノ子の娘に、
「モノゴトは、落ち着くところに落ち着くようになっているんだよ。決まったところが最適なところってこと。
ママも納得してくれたってことだと思うんだ。だいじょうぶだよ!」
なんて、励ましていたわたしだったけれど、それは自分に言い聞かせていたようなもの。。。
いざ納骨に参列した時、空っぽのお墓に納められる彼女の骨壺が憐れに思えて仕方がなく、
後ろ髪を引かれる思いだったんだ。。。
それでもね、
結果的に、こうして皆お参りに行けるのも、近くにお墓があってこそだもん。
彼女の家族と一緒にではなく、個人的に行くのはこれが初めてだったのだけれど、
まだ新しいお花も、すきだった缶コーヒーもきれいに供えてあった。
きっと、彼女の夫、パパさんがマメにお参りしてあげているのだろう。。。
お墓って、タマシイはそこにいないとしても、やっぱり遺された者にとっては、
繋がりに行ける「場所」なんだね。
お墓も、お葬式も、故人よりも遺された者のためにあるのかもしれないね。
家に戻って、夜になっても
なんだか一日、今までのように彼女と会ってきたようなふしぎな気持ち。
こんなふうに、アノ子の笑う面影をすぐ近くに感じるのは久しぶりのこと。
彼女もきっと、もう騙されないぞって上で笑っているに違いない。
エイプリル・フール。。。
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