時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

記憶リミックス

2012-06-08 | essay

        

学生時代のともだち、M子と久しぶりに待ち合わせた。
長男が生まれた頃以来だから、なんと16年ぶり!

電話で、わかんなかったりしてー!服の色とか教えとくー? なんて冗談を言い合っていたけれど、
幸い一目でお互い認識できて、改札前で笑い転げる。 あー良かったわ。
あの頃、ファンクラブまであった彼女は今もカワイイままだ~!

飲みながら、昔の話がつぎからつぎへと。
彼女が覚えていてわたしが覚えていないこと、わたしが覚えていて彼女が覚えていないこと。
お互いの記憶を継ぎ足していくと、すっかり忘れていたことが眼の前に浮かび上がるこの不思議。

「今、目の前に脳のCT画像が浮かんでるよー。あのへんとかこのへん酷使して記憶引き出してるよきっと~!」
救急救命室勤務の彼女が言うと、リアルだ~。

記憶って、本当におもしろい。
何かのキーワードひとつで、何十年も思い出したこともなかったひとの顔が甦ったりする。

18歳から20歳。お茶の水での あの熱い四半世紀前!の日々を、
二人分の脳を酷使して目の前に浮かべてみる。
記憶を共有するって、たのしいねえ。思いの外、いろんなことを覚えているものだ。
みんなを笑わせてばかりいた男の子の ジョークまで思い出して、
またもや大笑い。彼はどうしているだろう?
これはもう、プチ同窓会を企画するしかありませんな。

久しぶりに脳をフル起動。
あれからたくさんの時間がお互いの上に積み重なったけれど、一瞬にして気持ちはピチピチの18歳!
懐かしいともだちとの記憶巡り。 これは、愉快でたのしい脳トレ?になるね。

「たのしいこと」は、黙って待っていたってやってこない。だから自分で探しに行くんだよ~。
あ。そんな歌があったね~。365歩のマーチ?
ワンツー・ワンツー!って、常に張り切って歩くのはたいへんだから、自分らしいペースでのんびりいこう。

       



 


「サラの鍵」から学ぶこと

2012-06-07 | 映画 のこと

先週ともだちと観に行った、映画「サラの鍵」。
この映画には、いろんなことを考えさせられた。

クリスティン・スコット・トーマス主演のフランス映画。
まだあちらこちらでロングラン上映をしているので、詳しくは触れませんが・・・。

1942年7月。戦時中のパリで起きた「ヴェルディブ事件」。
フランス政府が1995年に正式に謝罪会見をするまで、政府は責任を認めずひた隠しにされてきたという非人道的なこの出来事。

ナチスによるユダヤ人迫害は誰もが知るところだが、このヴェルディブ事件は、戦時下のフランス政府当局が
ユダヤ人市民を一斉摘発、1万数千人もの人々をパリ市内の屋内競輪場に水も食料も与えず監禁し
そしてアウシュビッツ収容所などへの移送に直接手を下した・・・というものだ。

わたし、この映画を観るまでフランスの国民間でそんなことがあったなんてまるで知らずにいた。
ホロコーストは、すべて侵攻してきたドイツ兵の手によるものだと思い込んでいた・・・。

1942年当時と、現代のシーンが交互に綴られるこの映画は、
息をつく間もなく観ている者を巻き込んでいく。。。

重いテーマではあるけれど、これは質の高い謎解きの要素も含んだ歴史的にも重要な映画なのではないかな。
知らぬが仏・・・という考え方もひとつ。
けれど、耳を塞ぎたくなる悲劇でも、本当の歴史を伝えてこそ、未来の「過ち」を防ぐ手立てになるのではないだろうか。

それにしても・・・とても深いこのストーリー。
これを2時間の映画に納めるには、どうしてもかなりの駆け足にならざるを得ない。
もっとじっくりそれぞれの人物を掘り下げて描写してほしかったな・・・という場面も多々あり。
後半へ行くほど駆け足感が強く、少しもったいない印象が残る。


この物語の少女は、我が娘と同じ10歳。姿が重なり・・・酷く胸が痛む。
映画を見終えて、現実に戻り、胸を撫で下ろしたのも束の間、
帰宅した夜、TVからシリアの市民虐殺のニュースが流れてきた。
これは70年前の戦時下の話ではなく、今現在起きていること・・・。

ニンゲンは、こんなに文明が発達しても、いつまでもなんて愚かなイキモノなのだろう。 とてもかなしい。

どうか、すべてのこどもたちが理不尽な悲しい目に遭うことがありませんように。
愚かな過ちを繰り返さないよう、わたしたちニンゲンに善の部分が増えていきますように。 と、なにものかに祈る気持ちです。。。


                    



紫陽花の咲くころに

2012-06-05 | essay





母がすきだった紫陽花が、今年もまたそっと花をつけ始めた。

紫陽花が咲き誇る6月に彼女が逝ってしまってから、もうこの季節を数えるのは7回目。

木々の若葉が柔らかく芽吹くのを、そしてそれが徐々に色濃く移り変わってゆくのを
いつもいとおしそうに眺め、やさしく葉に触れていた母。
季節ごとに咲く花に、いつでもこころを寄せていた わたしのたったひとりの「おかあちゃん」。

わたしなりにがんばって乗り越えたつもりでいるけれど、
やっぱり何年経っても、気持ちは変わらないものなんだね。
何も言わなかったけれど、母が祖母や伯母を亡くした後もきっとこんな気持ちでいたのでしょう。
順ぐり順ぐり。。。ひとの命はぐるぐる廻る。

それでも時々ふいに、母と話がしたくてたまらなくなる。
母に見せてあげたいモノ。連れて行ってあげたいトコロ。 まだまだたくさんあったんだよ。

アジサイの花を見ると、どうしてもあの6月に引き戻されてしまう。
母のすきだったレコードには、今でもどうしても針を落とすことができないままだ。
歌には、聴いていた頃の周りの光景や空気をそっくりそのまま甦らせるチカラがあるんだよね。
こころの準備が整わなきゃ、それはただ痛みを伴うだけの無理な試練にしかならない。

ナミダはナシで、ただ懐かしくここちよく聴けるようになれたらいいね。
母のお気に入りのあの2枚のレコード。 ニニ・ロッソと プラターズ 

                





本物のシンガー「KIYOHIKO OZAKI」

2012-06-04 | MUSICのこと



実は いつか生歌を聴きに行きたい と思っていたのに。。。 尾崎紀世彦氏が亡くなられた。

テレビでこのニュースを聞いて、思わず「あーあ。。。ちゃこのおばちゃ~ん・・・!」って大きくひとりごと。。。
わたしが八つの時に亡くなった だいすきだった「ちゃこのおばちゃん」のお気に入りだった歌手は、プレスリーと尾崎紀世彦。

1971年のヒット曲「また逢う日まで」 
わたしは幼稚園くらいだったけれど、伯母の影響でこの曲がとてもすきだったんだ。
以来、この歌は伯母の想い出と直結していて、テレビで流れるたびにいつも泣きそうなくらい切なくなる。

子どもの頃の家に、尾崎紀世彦が洋楽のヒット曲をカバーしたLPが一枚あった。
10代の終わりか20代の初め頃、このレコードがすごくすきで、よく聴いていたんだったよ。。。

日本語の彼の歌はあまり知らないけれど、
このカバーアルバムは、抜群の歌唱力でいろんな名曲を英語で歌い上げていて、めちゃくちゃカッコいいのだ。
「My Way」とかも確か入っていたんじゃなかったかな~。
多分70年代初め頃のもの。あのレコード、もう一度聴きたいな。。。
もしかしたら録音したテープが屋根裏に残っているかな。探してみよう!

カッコイイ本物の偉大なるシンガー、KIYOHIKO OZAKI 氏。
彼みたいにバラードの似合う本物のシンガーって、日本にはほとんどいないよね。。。
とうとう生歌を聴くことは叶わなかったけれど、きっとあちら側でもそのすばらしい歌声を永遠に響かせてくれることでしょう・・・。

こころより ご冥福をお祈りいたします。

    

              
 


奄美の画家「田中一村」 

2012-06-03 | 展覧会・アート のこと

              

この春の奄美大島の旅のおわりに「田中一村記念美術館」を訪れた。

「東洋のゴーギャン」と称される田中一村。
ゴーギャンの絵はわたしはちょっと苦手。

田中一村の絵は、全然ゴーギャン的じゃない。
南の島のモチーフを描いているわりに色彩が控え目で、緻密な線がわたしはすきだな。
明るい太陽のもとで描かれているはずなのに、ひどく落ち着いた深い翳りのある絵なんだなあ。

記念館で、解説を読み進んで行くうちに、絵への傾倒の仕方や生き様が「ゴーギャン」と云われる所以なのだな・・・と理解した。
ずっと以前、モームの「月と六ペンス」を読んだ。ゴーギャンの生涯を描いたとされる小説だ。
この本は、すきなひととそうではないひとの二通りに別れるんじゃないかな。わたしは後者寄り。
田中一村が東洋のゴーギャンと呼ばれるのには・・・個人的にはなんだかちょっと抵抗を感じるなあ。

田中一村記念館では、彼の一生をなぞるように展示作品が並べられている。
東京時代~千葉時代~旅の時代。そして50歳から移り住んだ奄美での作品群。
大島紬の染色工として働き、貯えができれば絵を描くだけの生活に没頭する・・・
ということを数年毎に繰り返し絵を描きためていったそうだ。



気に入って購入したポストカード。
これは鳥や植物の明るいタッチの絵だけれど、もっとこう おどろおどろしい色合いの深い亜熱帯の森の絵も多い。

ひとのほとんどいない展示室で、ひとりでじっと大きな絵に向き合っていると・・・
夢の中で見たことのあるような深い深い森の奥へと連れて行かれそうな気持ちになる。

展示の最後に、田中一村の言葉が記されていた。
 (突然、修学旅行生の団体さんが押し寄せてきたため、急いで書き取ったので、正確ではないかも)

  「私の最終決定版の絵がヒューマニティであろうが悪魔的であろうが、絵の正道であるとも邪道であるとも
   なんと評価されても私は満足なのです。人に見せるために描いたのでなく、わたしの良心を納得させるためにやったのですから。」

この言葉で、奄美で描かれたすべての絵がより生々しく見えてくる。。。
まさに生粋の絵描きの、作品の中に今でも生きているコトバ=言霊だ。

ホンモノの芸術っていうものは、決してひとのためのものでなく、
自分でも抑え込むことが不可能な、内側から溢れ出てくるもの。 きっとそうなのでしょう・・・。

そして、「良心を納得させるさせるためにやる」というこの姿勢。
芸術家のみならず、人間として、とても崇高で眩しいくらい真正直な生き方だ。 

結局、生前評価されることなく、孤高の絵描きとして生涯を終えた田中一村。

ひとのしあわせ というものは100人いれば100通り。
このひとがしあわせだったかどうかは、わたしたちが推し量るところではない。

絵が語るのみである。



「田中一村記念美術館」は奄美大島笠利町の「奄美パーク」内にある。
高倉を思わせる素晴らしい建築仕様で、池の上に浮かぶように建つ。

大きなガラス越しに水面を見下ろしていると、突然視界に現れたツバメ2羽。
旋回したと思ったらツイ~と建物の下方へと滑り込んで入って行った。
たった今見ていた一村の絵から抜け出てきた??? なんて思えてしまうほどこの場所になんとも似合うツバメたち。

今年 初めて見たツバメでした。




懲りないひとびと。

2012-06-02 | essay



大飯原発には・・・そもそも「ベント装置」がついていない。という耳を疑うようなお話。

原子炉格納容器の爆発を逃れる最終手段のベントができなければ、もしものことが起きた時には神だのみ?のみ?

国民はもう、総有識者なんです。騙されません。

フィルター付きベントの工事は2015年施工完了予定だとか。
まだ工事中の、安全がまったく保証されていないモノをどうしてこう非情にもゴリ押しできるのかな。

さまざまな利権やら、原子力ムラのことやら、自己保身やら、いろいろなしがらみに絡め捕られているのはわかるよ。
でもまず、すべてのイキモノとニンゲンが安全に住める国であってこそだよね。

エライ人たち。なにかあったって責任とれるようなハナシじゃないのは、本当はもうよくわかっているはず。

日本は以前、よその国に比べて愛国心の薄い国だったけれど、もう違う。

どうかお偉さん方には、しがらみを振りほどく勇気を持ち、自分の為じゃなく100年後のこの国の子どもたちの為に
良心を揺さぶり起して酷使してもらいたいものです。 こころからそう 願います。。。





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