時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

時間の川

2012-08-10 | essay





「  時間の川   」  


青い 真夏の天空

望まなくとも どこからともなく降りてくる答え

見えぬどこかで 音もなく開くドア

気配だけが忍び込む あやふやな影

知らぬ間に わたしの隣に腰かけている 「許し」

長い間 封印してきたことも いつかは解かれ 煙のように消え去る


時間は みえない川

涸れることのない 深い流れ

みえない岸辺に立ち 川面に揺れては沈むあぶくを 独り眺める


確かに そこにある

掴めなくて もどかしくても それ は 確かにそこにある

誰からも教えられなくても ほんとうは誰もが最初から知っていること








「ちひろと世界の絵本画家たち」

2012-08-08 | 展覧会・アート のこと

展覧会「ちひろと世界の絵本画家たち」

毎年夏休みになると、上井草の「ちひろ美術館」へむすめと行くのがいつの間にか恒例行事になっている。

この夏は、ちひろはちひろでも、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で
「ちひろと世界の絵本画家たち」という展覧会が開催されると、ともだちが教えてくれたので
むすめとふたり、高層ビルの数々を見上げながら向かう。
美術館は42階。こんなに高層階に昇るのはとっても久しぶりだ。 


     

ちひろさんの原画、もちろんすてき。

25カ国の様々な絵本原画もそれぞれに見ごたえがあったなあ。

むすめが特に見入っていたのは、西村繁男氏「がたことがたごと」 村上康成氏「なつのいけ」
ポーランドの画家の「氷の精」(コレ、コワイよ・・・)  などなどの原画。

鉛筆片手に、出品リストの気に入った作品名に自分で
まるとか花まるとかをつけて歩いているむすめの姿を見て
なんだか、成長を感じたなあ・・・。 
低学年の頃は、展覧会などに来ても見たいものだけ観て、
あとはわたしの手を引っ張ってまだかまだかと急かしていたものだが。
背はちっこいけど、もう五年生なんだもんなあ。。。

わたしが釘づけになったのは、田島征三さんの「ふきまんぶく」という絵本の原画。
田島征三さんの絵、迫力があって以前からすきなのだけれど、そういえば原画は初めて!
この絵は、泥絵の具というもので描かれていて、立体か?ってくらい絵の具がこってりと盛られている。
いいわあ~。

それから、だいすきな絵本 ヘレン・オクセンバリーの「きょうはみんなでくまがりだ」の習作。
この絵本、かかりつけの小児科の待合室に置いてあって、実はそこでしか読んだことがない。
なので、むすめもこの絵を見て、「なんか、熱が出てるような気がしちゃうねえ~」と苦笑。

子どもたちも大きくなると、そうそう医者にかかることもなくなり、そういえばこの絵本読んだの、だいぶん前だよ。
奔放なこの一家のお話と絵の持つ味わい、わたしだいすき。
今度、この絵本は買うことにいたしましょう!



常設展の東郷青児の絵画も、このたび初めてお目にかかる。
この方の絵は、どうも・・・なんでかな、美しすぎるせいかな、わたしのこころには入ってこないのだ。

でも、一枚、これは結構すきかな。 「超現実派の散歩」という絵。   
この片手片足だけの手袋と靴下が、なんかいいな。
経歴を読むと、25歳の頃にピカソのアトリエに出入りする、とある。この絵はピカソの影響を受けたのかな~。


セザンヌ「りんごとナプキン」
ゴッホ「ひまわり」
ゴーギャン「アリスカンの並木道」

大御所お三方の絵も一枚ずつ並んでいた。

「お母ちゃんはどれがすき?」と聞くむすめ。
この三枚なら、わたしはひまわりね。 むすめはゴーギャンの秋の景色のが一番いいと言う。ほ~、なるほど~。

 五年生の夏休み。高いビルでいい絵をたくさん観たこと、きっと覚えておいてね。





 


てのひらに

2012-08-05 | essay




「てのひらに」



てのひらに 広げてみる。


わたしが今までにしたことを。
わたしが今までにしなかったことを。

てのひらに 広げてみる。

わたしに残る 青い傷痕を。
わたしがつけた 誰かの青い傷痕を。


確かめたなら ひとつづつ 先に空へ送っておこう。
持ち歩くには 少し 荷物が多くなりすぎた。

空の青さが
こっそりと 包み隠して すべてを預かっておいてくれるでしょう。
わたしがそこへ昇るまで。









おおかみこどもの映画

2012-08-04 | 映画 のこと



映画「おおかみこどもの雨と雪」 をむすめと観に行ってきた。

子ども向けのアニメ、と思い込んで何の前情報も持たずに観たら・・・。

これはむしろオトナ向けの、深い親子愛と巣立ちの物語でした。。。 
わたし、図らずもぼろ泣き。観終わった頃にはすっかりすっぴんってくらい。

いつもたいてい一緒に泣いてしまうはずの10歳のむすめが今回泣かなかったということは・・・
この映画、「ハハゴコロ」に一番共鳴してしまうのかもしれません。

「おおかみこども」でなくとも、子どもを持てばさまざまな出来事が次から次へと捲き起る。
そして、たくさんの時間を共に過ごしても、子どもはあっさりと巣立っていくもの。
昔からそういうふうに決まってる。(自分だってそうだったわけで。)

また、どんな道を選ぼうと、自ら巣立って自力で生きてゆけるよう、育て上げるのが親の最大の仕事なんだよねえ。
ときどき、そんな基本的なコト、すっかり忘れてしまうけれどね。


エンドロールと共に流れる、アン・サリーさんの唄がまた泣かせる~。もうやめて~わかったから~(涙)というくらい。

いろいろ、とってもいろいろ、ハハは想う 映画でした。

しかも・・・映画が始まる前、「ツナグ」という映画の予告だけですでにぼろぼろ泣かされていたわたし・・・
「おかーちゃん!予告から泣いてるし!!」と むすめに後からつっこまれました。この映画はわたしには観れませんな~。






 


蝉しぐれの街

2012-08-03 | essay



八月。

気がつくと、あちこちで力強く蝉が鳴いている。
関東の蝉は「みーんみーんみい~~ん」やら、「ジー・ジ・ジ・ジ」と、とても暑苦しい音色。

先週、父が二度目の心筋梗塞で倒れ、急遽大阪へ。
強運に恵まれている父はまたもや奇跡的に素早い復活を遂げた。

久しぶりに歩く灼熱の大阪の街。。。
父の無事を確かめ、ほっとしたわたしの耳に
ふいに飛び込んできたものは、懐かしい蝉の鳴き声。

あちらの蝉は、「シェシェシェシェシェ・・・」とさざ波のように鳴くんだ。
緑の公園の傍を歩いたら、シェシェシェシェシェ・・・と滝の流れるような大合唱。。。

関東はほとんどアブラゼミやミンミンゼミ。関西はほとんどがクマゼミなんだな。
子どもの頃、毎年夏を過ごした鳥取でも、
子ども時代を過ごした大阪でも、いつもこのさざ波のような蝉しぐれの中で遊んでいた。


蝉しぐれの中、立ち止まってひとりでじっと耳を澄ませて聴いてしまうと、

グラグラと体まで揺さぶられるような錯覚がして、少し怖いような気持ちになったのを覚えている。
父も、同じようなことを以前言っていたっけ。

滝の音のような蝉しぐれの中を歩いていると、自分がコドモに戻ったような・・・妙な気持ちになる。
父は今回も、ありがたいことに命拾いをしたけれど、まさか永遠の不死身ではあるまい。
遠くないこの先「コドモのわたし」を知るひとがひとりも居なくなる。。。ということに、このたび初めて思い至った。
だれもが歳をとれば、それは自然の摂理なんだけれどね。わたしがお先に失礼!ってこともないとは言えないし。

こんな心もとない気持ちは、蝉しぐれの中でココロまで翻弄されるあの感覚とよく似ている。


夕暮れの森に身を置いて、こころを撫でてくれるようなヒグラシのカナカナカナ・・・って声を聞きたいな。


 大阪の街路樹の傍でひとやすみ?のクマゼミ。



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