奄美のともだち Mっちが新妻Wちゃんとともに東京に遊びにやってきた。
恵比寿にて待ち合わせ。
Mっちの東京時代の旧友、Moさん、Soさんとは わたしは初対面。
ともだちのともだちはみなともだちなのだ~~。(ふるいか)
懐かしいひとと逢う機会は年々増えるけれど、
新しいひとと出逢う機会って滅法減る。
近頃あまりないことなので、とても新鮮な気持ち。
こういうの、なんかたのしいなあ。
Moさんお薦めの美味しい「ゆず塩冷麺」を食べてから
渋谷にある行きつけのいいかんじなMUSIC BARへ連れて行ってもらった。
みんな おんがく好きなほぼ同年代。お店で流れる曲も、わあ、どんぴしゃ。
やっぱり、ともだちのともだちだ。こころやすいね。
MっちにはもったいないくらいなWちゃん。(みんなそう言う!)
けれど、そう言われて 「彼の方がわたしにはもったいないんですう」と
アワアワするWちゃん。ごちそうさ~ん。
外側も内側もとっても可愛い女性だなあ。
Wちゃんと一緒になったから、もう安心だ。 よかったよかった!
と頷きあう周りのわたしたち。
島の結婚式へ行った時、Wちゃんとはゆっくり喋る時間がなかったから
こうしてまた逢えて話せたことに感謝~!嬉しかったよ~。
もう だいすきなともだちのひとりです。
タイトスケジュールな真夏の東京!めいっぱい楽しんでください。
Mっち。たのしい時間をありがとう! お土産にいただいた奄美の海辺のサンゴ。
家族5人分の箸置きに・・・って。うれしいなあ。
いろんなともだちの為に、二人でサンゴを見つけながら海辺を歩く・・・。
光る海、美しい浜辺・・・(妄想中)
ひゃ~。しあわせのお裾わけ。まぶしいっ!だいじにします。
夢のフシギには時に本当に驚かされる。
昔から鮮明な夢をよく見る父とわたし。(そして息子も!)
「お父さんが、アラブ系外国人と英語で商談してる夢をみたよ~」
と、大阪の父にメールをすると・・・
父から、とても驚いた様子の返信があった。
「昨夜は夢の中で、アラブのスラム街の雑踏でわからない英語で苦労してた!」という。
同じ夜、夢の共通の場所で会っていたのか~!?
わたしの方のシュチュエーションは、日本の何処かの雑踏だったのだけれどね。
父は、クーラーをかけていなかったから暑くて汗だくで目覚めたんだそうな。
なるほど。だからアラブね~。
オモシロイからこの能力をもっと開発したいものだな。
そうしたら、なかなか逢えないひととも、
夢の中で待ち合わせ出来るようになるかもしれないよ。
じゃあ、今夜 夢のあの場所でね! なあんてね。いいかも~。
チャレンジしてみたい資格試験があり、
このところ夏休みの学生に混ざって図書館で勉強していたのだけれど。。。
一時間もすると眠くなる。
午前中なのにウトウト・・・あくびが止まらない。
と思ったら隣の女子も大あくび。
反対隣の男子はカクンとうな垂れて
どうやら眠りの森のなか。
毎回同じような状況になる。
気合いが足らん?
いやいや、図書館で短時間集中だ!と
気合いは十分。
で、わたし、気づいてしまった。
これは酸素不足だよ。(言いきる)
ここのスペースは、窓側に据え付けられたカウンター席。
室温調節のためか窓にはブラインドが下ろされ
ブラインドに向かって横並びで皆一斉に勉強しているという状況。
勉強する脳は相当な量の酸素を必要とする。
一斉に使われる酸素。
一斉に吐き出される二酸化炭素。。。
このあくびは酸素不足にちがいない~。
って、ウトウトしながら考えていたら
わたしも とろとろと眠りの森の中へ・・・。
いかんいかん。
図書館員さん、窓を開けたいですう。
ってか、ここは、はめ殺しの大窓でしたよね。
いい酸素のエアシャワーが
こう、頭上からサア~と降り注ぐ装置とか
あったらいいだろな・・・。
って、また妄想しながらウトウト。
やはりこれは・・・、ただ修業が足りんだけかも?
我が家の中3料理男子特製の野菜のてんぷら。
上出来!
お昼ご飯にざるうどんと一緒に皆でおいしくいただきました~。
いやはや。
彼が野菜を育てると言いだしたのは、いつだっけ。
5月?6月頃だったかな。
ホームセンターへ苗を選びに行き、
当然庭でしょ!と言うわたしに、
葉っぱが伸びて育つところを傍で観たいと譲らず
彼は子ども部屋の窓際にプランターを置いて
甲斐甲斐しく育てていた。
けれど!!あぶらむしは湧くし、カビは生えるしっ!!
そして、とうとうやはり日照不足で瀕死の状態になってしまってから
やっと庭へ移動~。
植物関係にはプロ並みのおじいちゃんの手を借りて
なんとか命をつなぎ・・・!
立派に育って実がなりました。
そして収穫!
息子の手により、てんぷらへと変身~。
もぎたてナスとピーマンのてんぷらはとっても美味でした。
時間がかかってもね、手塩にかけて育てると、実がなるのだなあ~~。
息子よ、学んだかいな?
キミの中にあるはずの芽も、育てりゃ大木にもなるのだ~!(念・・・)
がんばりイ~~。
どうしたの~? ミンミンゼミ。
そんなに鳴いて。
もう真夜中の1時だよ?
車の音の途絶えた夜の街に突然鳴り響く蝉の声。
夜でもあちこち明るいからね。。。
隣のマンションの外灯のそばで鳴いているのかな。
それにしても深夜に突然大声で鳴かれると気になるものだ。
静かな夏の夜。。。
我が家はこのところ、たいへん静か。
末の娘が一週間のサマーキャンプへ出掛けてもう5日。
こんなに長く家を空けるのは初めての娘。
ちゃんと馴染めているかなあ、とちょっと心配していたら
娘からの葉書が届いた。
「みんなと仲良くなって楽しい日々を過ごしているよ。
ほんとに楽しいよ~~!」 元気な文字のお便り。。。
なんだか、ほっとしちゃったなあ。
わたしの方が子離れできていないのかもね?
静かな夜に鳴く蝉の声さえも、なんだかもの悲しい響きに聞こえてしまう。
それにしても、ひとりいないだけで静かだな・・なんでだろ?
と考えてみたら なんてことはない。
中三次男坊と小六末娘の日々の兄妹ケンカがない分、こんなに静かなんだな~。
「いいかげんにしなさーい!」とか「ケンカするなら離れてなさい!!」とかね
自分の尖んがった声もない 束の間の静かな夏休み。
高三長男がオトナになってきたせいか、そういえば男子ふたりはもうケンカをしない。
小学生の頃はいつも二人遊んだりケンカしたり、あんなに毎日一緒にいたのにね。
今は、上手く互いに避けあってる?? (静かな縄張り争い?)
思春期ってヤツは全くもってややこしい。
こんなふうに、静かな夏休みが普通になるのも
そう遠くないはないってことなんだなあ・・・。感慨深い。
騒がしい日々を遠く懐かしく思う前に、今だいじにしなくちゃなあ。
何はともあれ、小学生最後の夏休み!
ムスメよ、存分に、こころおきなく自然の中で遊んでおいで~。
深い深いかなしみから立ち直るための
最適な方法ってのは、ひとそれぞれに違うわけで。
わたしに有効な方法は、もしかしたら他のひとには逆効果かもしれないし
ひとの真似をしてみても、わたしには効かないって場合もある。
自分のこころの指す方向へ。
気づいたら歩き出している方向へ。
「かなしみ」を知らないオトナなんてどこにもいない。
ひとはひとの。自分は自分の。それぞれの道。
それでいいんだって思うんです。
時に、「悲しみ」にすっぽり捲きとられて、涙の止まらない夜があったり、
悲しみを上手に忘れるほどに 夢中になれる何かをたいせつにしたり。
わたしの中を流れていくそれぞれの時間。
闇の中へと こぼれ落ちていった時間、
光の中へと 溶けて消えた時間。
あの頃のあの時間をそっくりここへ運んでくるのは
できないことだと、ちゃんとわかってる。
わたしがそっちへ行くまで、もう一緒に笑うことはできないけれど
わたしはずっと忘れないよ。
こっちでちゃんと笑っているから、空の上で心配しないでね。
ぶきっちょなりに、上手にリカバリー!
がんばらなくても いいよね。
気づいたら、ちょっと大丈夫になってた。。。ってくらいが ちょうどいい案配です。
ハッとするほど魅惑的な空に出逢うと
ちょっと幸運な気持ちにしてもらえる。
思わず「うわああ~」と独り言。あぶないあぶない。
夕立の後の、ぐんぐん形を変えてゆく雲。
高い高い上空の風の動きを、下界にまで展開して見せてくれる。
夕焼け前の、グラデーションも魅力的。
どの夕焼け空も、その日しか観れないOne night onlyの 空のスクリーン。
首が痛くなるほど長いこと 空を眺めていたのは
なんだかちょっと久しぶりだ。
すきなだけ立ち止まって、空を眺める。。。
それって、なんでもないようだけれど
実はとっても贅沢な時間なんだよね。
思いがけなく出逢う魅惑的な空は、
こころをたっぷりと潤してくれるとっておきの処方薬です。 68年前の今日を想いつつ。
明日の世も平穏な一日であるように・・・と、空に祈ります。
今、勉強している教本。
へえ~とか、なるほどねえとか、読み物としてもたいへん面白く
勉強って、何歳だろうが本当にしたい時にすべきものなんだなあ・・・
と 改めて実感している。
誰にだって思い通りにならないことってたくさんある。
いろんな満たされない気持ち。さまざまな欲求不満に耐える心的能力を
フラストレーション・トレランス (欲求不満耐性) と言うのだそうだ。
子ども時代に、ひどく満たされない状況に置かれたり、
逆に周りに溺愛されて欲求不満を経験しないような環境では
この心的能力が養われにくくなる。という。
そりゃそうだよね。ちやほやされて育ったぼんぼんやおじょうさんは
耐性がつかずに、いざって時にちょっとのことにも適応できないってこと。
ニンゲン、多少思い通りにいかないくらいが丁度いいのねえ。
逆境には強いわたし。
それもこれも、幼少時から適度のフラストレーションの波に翻弄されたお蔭ってことね?
先日、自分はドリーマーだ という話を書いたら
ともだちの何人かに笑われてしまったものだが・・・
dreamer と言えば。
Daryl Hall の 「Dreamer」 とてもいい曲です。だいすき。
1972年に作ったまま未発表だったというこの曲を
近年のダリル・ホールが再録音したもの。
ホール&オーツの CD・Box 「Do What You Want Be What You are」 の
一番最後の最後に収録されている曲。
夢をみながら、自分らしさを貫いて生きるって
実際はとてもヘヴィーなこと。
だからこそカッコイイのだなあ。
常識やしがらみに囚われて、いつのまにか夢みることを忘れたオトナが
世の中には圧倒的に多いけれどね。
どエライ夢じゃなくたっていいんだよ。
ただ 自分が「スキ」なことを大事にして
ユメみたいなことを想うココロも忘れずに
大人になっていってほしいものだなあ。
これから大人になるひとたちには特にね。
わたしはと言えば・・・夢追い人というものではなく
現実を伴わないただの夢想家だな~。
まあ、それもいいかな。って思う。
そりゃあ、誰の上にも、いろんなことがあるよね~。
でも、それはそれ。これはこれ。
自分をふわふわと浮遊させながら、おばあさんになっていけたなら
それはそれで幸せなことでしょうね。
ときどき こころから思うけれど
コトバって、時にすごく良く効く万能薬。
メゲちゃってるときもね、ともだちのほんの一言で
一気に上昇気流に乗せてもらえちゃうことってあるよね。
コトバって、生き物だから
逃さず上手に受け取らなきゃ
するっと何処かへ行っちゃう。
ひとに渡すときにもね、
気をつけなきゃ、ただふわふわと空へと飛んで行ってしまう。
だいすきだった伯母は、
小さかったわたしに
「mikoの話、たくさんたくさん詰めていってや~」
と、小さなビニール袋を手渡して
わたしが 笑いながらしゃべって膨らんだ袋の口を
大切そうにゴムで結んで
いくつもいくつもお話で膨らんだ袋を作ったものだ。
「mikoが帰っても、毎日ひとつひとつ開けて聞くから
もうさみしイーないで。」 と にっこり笑った。
少女のようにお茶目で優しくて大らかな、
だいすきだった「ちゃこのおばちゃん」
彼女は、わたしが8歳の時に49歳の若さで他界してしまったけれど
わたしのコトバをたいせつに袋に詰めてくれたその光景は
生涯忘れられない特別な想い出。
コトバのたいせつさを、最初に教えてくれたのは
その時の彼女だったのかもしれないね。
袋の中身は空気だったとしてもね、たいせつなものは目には見えないもの。。。
小さな頃に、誰かに大事にしてもらった記憶って、
子どものこころの、計り知れないほど頑丈な礎になるものなんだよね。
だいすきだった伯母は、
40年経った今でも、わたしのこころの中のあたたかな太陽です。