時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

Next Step

2013-10-11 | essay




思考回路の働き方って
ひとによって違うよね。

A地点からB地点まで、思考を巡らせるとして

あるひとは、真っ直ぐ一直線に。
またあるひとは、真っ直ぐじゃつまらないからCを通ってB地点へ。
いやいや、Dを通るよ ってひともいるだろう。

思いあぐねて、ぐるりと回って振り出しに戻ってまた考えるってひともいる。

じっと考え過ぎて、A地点から出られないって場合もあるよね。

何が言いたいのか? 自分でもよくわからないけれど
ココロの動き、思考の順序、次の一手、次の一歩。。。
全部、自分でしか決められないってこと。

わかっているんだけれどね。

こうすればカンタンなことだよ。って押しつけても駄目だね。

自分なりの方法で、自分なりの道筋でなけりゃあ、
ココロは納得しないものだもんね。

押したり引いたり、ぐるぐる回ったり・・・?
毎日が修行僧のようなこの頃です。
そのうちアタマ丸めちゃうかも~。


   



 


1st Step

2013-10-08 | 古い建物 のこと

 旧新橋停車場。当時のその場所に駅舎やホームが復元されている。

 

日本初の鉄道。日本初の駅舎正面玄関の階段の一段目。
明治5年の石の階段がたいせつに保存されている。

ガラス張りのビルだらけの谷間に、ひそやかに佇む1872年の面影。

当時、駅舎へ入る人々は皆、この最下段の階段を踏んで
わくわくする気持ちを抱えて、初めての汽車に乗ったのね。。。
昔と今が交差する空間って、何だかとても厳かな気持ちになるよ。
141年前の秋。。。
不思議だねえ。
その頃ここを歩いていたニンゲンはもう誰ひとり、カタチはない。
それでも、当時を偲ばせる場所・モノはこうして今も存在している。
ここを歩いたひとびと、設計に携わったひとびと、建設に携わったひとびと
この石を山から切り出したひとびと。 
様々な想いが積もったまま、こうしてここに。

そして、そのそれぞれの子孫の方々がそれぞれに今生に存在していて
今日もしかしたら街のどこかですれ違っているかもしれない。
そんなことを考えながら街を歩くと
見知らぬひともみんな、過去のどこかの時点で
何やら関わりがあった方々やも知れぬ・・・なんて思えてくるよ。
まあ、遡れば・・・人類みな兄弟!?

この日たまたま通りがかった場所なんだけれどね。
後になって、いろいろ物を想わせてくれる1st Step でした。







「スミス都へ行く」 Mr.Smith Goes To Washington

2013-10-07 | 映画 のこと



きっと一生涯、だいすきな映画。
「スミス都へ行く」(Mr.Smith Goes To Washington 1939年アメリカ)

この映画はもう何度観たかわからないくらい観ているのだけれど
こんな清々しさは、どの映画にもないくらいね。

大自然の田舎から引っぱりだされて上院議員になったひとりの男が
政治世界の中心で大義を貫く、あっぱれ!正義の物語。
監督はフランク・キャプラなので、ユーモアもたっぷり。気持ちの良い映画です。

アメリカ万歳!的な、愛国教育映画の要素も多分にあるのだけれど、
(実際、戦争に突入していく時代だったしね)
いいのいいの、それはちょっと横に置いといて。
わたしは、この映画の中の清々しさとユーモアがすきなのだ~。

この映画を初めて観たのは、二十代前半。
仕事帰りに学生時代のともだちと待ち合わせては
今はなき「銀座文化」で古き良き名画にどっぷり浸っていた頃の話。

実はこの映画は、わたしの人生を変えるキーワードを
啓示してくれた映画なのだ。

新卒で入社して2年余り。浜松町にあった職場にストレス満杯だったわたしに
ジェームズ・ステュワート扮するジェフ・スミスの言うコトバがじわじわと浸み込んだ。

「トンネルの先に見えてくる光・・・。トンネルから出た時の感動をいつも忘れずに生きる・・・」
というようなセリフに、ジーン・アーサー扮する秘書のサンダースがこころを動かされる・・・というシーン。

  そうか。わたしは今、トンネルの中ににいるんだな。
  こんなところで、ストレスを後生大事に抱えてうずくまってる場合じゃない。
  ここから出よう。光をみよう!!

って 気づかされちゃったんだなあ。
その時、わたしにはジェームズ・ステュワートが神に見えたものです~。


その後、俄かにエンジン起動。(あ。政治家を目指したわけではありません~)
あのまま居たら、ココロが崩壊するか、
もしくは何も感じないようにガチガチの岩になるかしかない・・・

というような状況だった老舗メーカーの営業事務職から、
小さいけれど、やりがいはたっぷりありそうな若い出版社へと
転職に踏み切ったのであった~。

安易なヤツ。という声も聞こえてきそうですが・・・、
何かを決断する時ってのは、
案外そんなもんだよね。
何かがピカッと知らせをくれる。っていうかね。

あ、そうだったのか!ってみえていなかったことに気づくっていうか。。。

自分の気持ちを確かめたくてなのか、鼓舞したくてなのか、
2週間ほどの上映期間中に、確か3~4度足を運んだ。
この時すでに50数年も過去の映画に、わたしは光と未来を見出したのだった~。
もちろん、この映画のみで決断したわけではないのでして、
この頃読んだ本やら、ともだちのコトバやら
いろんなものに同時に背中を押されたのだけれどね。

先日、図書館でDVDを見つけて、
久しぶりに、じっくり観た。
何度観ても感動に涙!ちりばめられたユーモアに笑い
清々しい気持ちで幕!議長の隠れスマイルがまたいいんだよねえ。

日本の政治家の皆さんも、この映画を観て、
こころを洗って出直してコイヤ!って言いたいくらいだ。

・・・現在、アメリカ政府も何やら大変なことになっちゃって
この古き良き映画は、すっかり昔々の夢物語でしかないとしてもね。

ところで、この映画、昔から解けない疑問がひとつ。
ジーン・アーサーが演じるサンダース。
ファーストネームは「クラリッサ」なのだけれど、
本人は言いたがらない上に、初めてファースト・ネームを聴きだしたジェフ・スミスは、
「あ~・・・」という感じに言葉を濁して、皆と同じく「サンダース」と呼ぶことにするのよね。
何でなんだろう????
クラリッサって、例えばすごく古臭い名前とかなのかな。
日本でいう「ウメ」さんとか、「トメ」さんみたいな???
若しくは、この時代、誰もが知る有名な「クラリッサ」がいたとか?

改めてまたその謎が、ココロに引っかかっちゃった。
思えば初めて観た頃からもう20数年もの謎なんだなあ。
へえええ!って納得な答えにいつか出遭えるかな~。






書くことと、話すこと。

2013-10-05 | 本 のこと



先日、寂聴さんがテレビで話しているのを聴いていて
とても意外に思ったことがあった。

あんなにお話し上手で、講演や法話など常にお話していらっしゃる方なのに

~皆さんに話をすることは出家したから義務。すきだから喋っているわけではない。
  自分の一番すきな時間は書いている時。書くことが快楽です。~

というようなことを仰っておられた。

少し前に読み齧った小林秀雄著「私の人生観」の冒頭で
小林秀雄氏が、同じようなことを言っているくだりに行き当たり、心底驚いたばかり。
 (「私の人生観」は、講演の内容をのちに書き起こしたもの)

講演CDもたいへん人気がある小林秀雄氏なのに

~どうもわたしは講演というものを好まない。
  自ら進んで講演をしたことなどない。(略)
  書きたい主題はたくさん持っているけれど
  進んでしゃべりたいことなど何もない。しゃべることでは現れて来ない思想というものがあって
  これが文章という言葉の特殊な組み合わせを要求するからであります。~ (抜粋)

ほんの少しの期間に、ふたりの大人物が同じようなことを言っていることが
偶然こころに飛び込んでくる このフシギ。
小林秀雄氏のこのコトバは昭和23年のものだというのに。
こういう、わたしのなかで何かが合わさってゴ~ンと共鳴する瞬間って・・・おもしろいなあ。
すきだなあ。こういう感覚。

物書きを天職とするひとって、「書く」ということってそういうものなんだねえ。

小林秀雄氏の本にハマってから、とても多くのことに気づかされる。
「答え」を求めて読んでいるわけではないのだけれど、
ギラっと光を放つ一文に、人生のヒントが隠されているんだなあ。
出逢えてよかった。。。(ハマったのは近年「ゴッホの手紙」を読んでからです)

講演CDにもとっても興味があるのだけれど、読みたい本がまだまだたくさん。
CDは老後のたのしみにとっておこうかな~?



 


気持ちのものさし

2013-10-04 | essay



ココロのものさしって ひとによって違う。

くるしさとか、かなしさとか、痛み、とか
たのしい気持ちも、愛情もね。
あらゆる感情は、ひとそれぞれ尺度がちがうもの。

なのでね、ひとと比べなくていいんだよ。
というか、比べようのないものだと思うのよ。

「わたしが誰よりも一番かなしい」 とか
「あのひとのくるしみに比べたらマシ・・・」 とか

そういうの なんか チガウ って思う。

それぞれの感情。
かなしみやくるしみ、アイや情の深さなど 一番も二番もない。
それぞれに目盛りの違う定規では、そんなの測定不可能だもん。

そのひとなりのココロの動き。
そのひとなりのココロの適温。

「他のひとと同じように。」 って、簡単に誰もが口にするけれど。。。

同じ  ってもの自体、それぞれの幻想でしかないから
だいじょうぶだよ~。そのまんまで。

 

 





 


待てば・・・

2013-10-02 | essay



ちょっと、いやいやとっても、うれしいことがあった帰り道。

強い雨の降る中、傘をくるくる回しながらひとり歩く。

こんなふうに傘をくるくる回転させて歩くのは、なんて久しぶり。
一瞬、たのしいことが目白押しの小学生に戻ったみたいな気分。

頭の中には、「雨に唄えば」の「Singin' In The Rain」が鳴りだして
タップ踏んで歩きたくなりそうだったー。自制しましたが。
(たぶん・・・顔はにやけていたことでしょう)


待てば海路の日和あり。 

信じて待つ って、とってもしんどいことだけれど
どしゃぶりのち、一瞬晴れ!
そんなこともあるものです。
たかが一歩。 されど一歩です。

    ・・・浮かれすぎずに見守ろうっと。



栗ごはん修業

2013-10-01 | essay

いただいた新米と収穫したての栗。

とくれば、栗ご飯でしょう!

栗ご飯、だいすきだよ。
子どもたちにはイマイチ人気ないのだけれどね。

毎年、栗のシーズン中、一、二度は作る我流の栗ご飯。
でも今回は、せっかくいただいた新米と栗を活かして
特別おいしい栗ご飯を作ってみたくて
次男坊を見習ってネットで検索。美味しい栗ご飯レシピ。

わたしにしては、珍しくひと手間もふた手間もかけてみました。
へええ、剥いた生栗を砂糖水に浸たしてから、冷凍3時間~~。
思い立ったら、すぐ作りたい、すぐ食べたい性質のわたしには
長い長い修業の道のりとなりました。
美味しい栗ご飯への近道はどこ~。
普段のわたしのテキトー栗ご飯だって、おいしいにはおいしいのですがね。

そして、炊き上がり。「おおー!」と思わず台所でひとり叫ぶ。
これは。
料亭の栗ご飯です。きっぱり。

見た目、さほど美しくないし、ちょっと予定より黄色くならなかったのだけれど
ほんのりやさしい甘さ、ほくほくの食感!
いつもべちゃっとしちゃうお米も、良い感じよ。
さすが自家製こしひかり新米!&山陰の山の自然栗。大満足です~。

旬のさんまも焼いて、秋の味覚満載の晩御飯となりました。
(たまにはね、ちゃんとお料理するんですよ~)
ちょっと渋皮のこってるのはご愛嬌ね。

     

 

 


本が教えてくれたこと

2013-10-01 | 本 のこと



作家・山崎豊子さんが亡くなられた。

二十代のころ、「大地の子」「二つの祖国」を続けて読み
学校では教えてくれなかった戦争の真実を目の当たりにし
心を鷲掴みにされ大きく揺さぶられてしまった。

なにも知らずに安穏と過ごす現代の日本人。そのひとりの自分。

戦争という狂気に酷く憤りを感じて、突き動かされるように
太平洋戦争についての本を次から次へと読みあさった。

残留孤児、残留婦人についての本。
従軍慰安婦についての軍人の手記。
東京裁判について。などなど。
「東京裁判」は、VTRも借りてきて観たっけ。

ほんの20数年前だけれど、
当時は家にPCなどもなく、あちこちの図書館をハシゴして読んだものだ。

夜な夜な夢でうなされてしまうほど悲惨な現状を知れば知るほどに
不条理を筆に乗せて世に知らしめてくれた山崎豊子さんは
類をみない「勇気のひと」なのだと知った。

わたしの“ふわふわ行き当たりばったり人生”の中のあの一時期、
深く深く真実の海の底へと連れていってくださった
山崎豊子さんの本には、今でもとても感謝しているのだ。
 (そうそう、本を薦めてくれた父にも感謝しなくちゃね)

こころよりご冥福をお祈りいたします。




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