水のなかの空。
水の中のおてんとさん。
公園は、あたらしいみどりで溢れてる。
紫陽花も蕾をつけているかな~? と覗きこんだら
葉っぱのゆりかごで、イモムシベビちゃんがスヤスヤと。
いい場所みつけたねえ。
こちらの葉っぱのうえでは
蟻が仲良くお食事中? それともなにやら密談中?
つくづく、自然の色はうつくしい。
間違えることなく自分の色を発色するって・・・すばらしいこと。
ニンゲンも見習わなくちゃね。
初夏なのに、思い掛けない真夏の海のような日差しを受けて思わず瞼を閉じる。
そして、ふいに思い出したのは・・・!
ドレミファブック 「ツッピン とびうお」
おもしろいものだなあ。
ちいさな頃に刷り込まれたものって
なにかの拍子にスイッチが押されて
記憶の引き出しからポンっと飛び出す。
本物のトビウオが飛ぶ映像をテレビか何かで目にしたのは
もっとずっと大きくなってからだけれど
ドレミファブックのこの歌のおかげで
「ぎんのつばさ」が光に反射してキラキラと眩しい様が
瞼の裏にすっかり焼き付けられてしまった。
この軽快な 「つっぴん つっぴん と~び~う~お つっぴんぴん♪」 の歌
だいすきだったなあ。
キラキラ光る海。
白い砂。
子どものころ、毎年過ごした母の里、鳥取の夏。
わたしの記憶の中の「ツッピンとびうお」は、
鳥取の夏の海の記憶と直結して、
よりリアルに銀色に輝いているのかもしれません。
個人商店はGWとは無縁~。
よいお天気でも、一日中店番しつつ
ちくちくと制作していると
あ~~ 外歩きたい。 となる。
結局店を閉めてから
夜のさんぽ。
今夜はおぼろ月が幻想的な夜です。
ipodをシャッフルで聴きながらウォーキングしていたら
J.D.サウザーの曲の次に
亡き友の、娘kちゃんの唄が流れてきて・・・。(彼女はミュージシャンのたまごです)
きれいな月をみあげて、彼女の唄声を聴いていたら
なんだか泣きそうになってしまった。
バイトとバンドで忙しい彼女に、
おぼろ月の写真をメールに乗せて送ったら
しばらくして
「今日すっごくきれいな月だよね~帰り道に見て感動しちゃった!」 と彼女。
同じ月をみていたんだね。うれしいな。
月をみあげて
誰かを想う時、
その誰かもまた、同じ月をみているかもしれない。
って想うと、急に距離が縮まって、そばにいるみたいに感じる。。。
月がひとつでよかった。
なんて想う ちょっとおセンチなおぼろ月夜でありました。
「アルケミスト」 パウロ・コエーリョ著
本との出逢い方って、いろいろあるけれど
この本は、目にはみえない幾つもの糸に手繰り寄せられて
ある日遂にぽとんと わたしの手の中に落とされたような・・・
そんな自然の仕組みが働いて
ページを開くことになるようなフシギな本。
読み進めるうちに、共感や共鳴を通り越して
主人公と同化していくような・・・
うっかりするとするりと
本の中の世界に落ちてしまいそうになる。
わたしは普段からひどく遅読派。
文章の中にすっぽり身を置く癖がある。
本の中の情景を、視覚化しながら
ゆっくり読み進めるのがすきなのだ。
この本は・・・
特別に、
吹く風や土のにおいや地面の感触まで
実感してしまいそうなほど五感を刺激する。
きっと、読むたびに違う部分のコトバがピカリと光るはず。
二度目に読む前からそう予感させる本って、とても稀少。
羊は羊としてでなく、砂漠は砂漠としてでなく
きっとそのたび読む人に必要な形に変化して
メッセージを伝えてくれることだろう。。。
いつも中途半端で、道の途上にいるようなわたしには
道標のように感じる物語だ。
これは、おとなでも背中を押してもらえるようなキモチになるから
これから道を探す若者達にも、ぜひ出逢ってもらいたい本だな。
今、ちょっと興味が湧いたアナタ。
きっといつの日か、わたしと同じように
みえない糸に手繰り寄せられ・・・
ある日ページを開くことになることでしょう!?