LKR日記

日常の身辺に起きる四方山な出来事を書き連ねたブログを始めました。
興味のある方は、お立ち読みください。

もうすぐ、平成23年3月11日の記憶が・・・

2024年03月17日 11時05分29秒 | 雑談・その他
 今朝も明け方東北地方を震源とする地震が発生しました。
珍しく小便がしたくなり、トイレに着座したときでした。
未だ夜間頻尿にはなっていませんが、妙に揺れが感じられました。

 表題の平成23年3月11日は東北の震災が発生してから、もう13年もの時間が経過しようとしています。
今年の元旦に能登半島地震が発生してからも、3ヶ月が経過しようとしています。
以前にもブログに書きましたが、たまたまその日は持病の心臓疾患の検査の日でしたので帰宅していました。
当地でもあの揺れは「家が倒れて下敷きで死ぬのかな!」と想像したほどでした。
揺れが収まってから取りあえず当時使用していたJST-245とNRD-545の電源を入れて7MHzを含めた短波帯を受信していました。
でも、どこの局も電波を出していませんでした。
よくよく考えると、電離層の状態を考慮すると地震発生時の時間帯ですと、電離層反射はおそらく東北地方と関東地方はスキップしていたと思います。
そのうちに、NHKの放送で東北地方を震源とする大きな地震が発生したことを知りました。
夕刻になり、道路が渋滞していたので、久し振りにスーパーカブを車庫から出して、近所のホームセンターに米と紙パックの購入しに購入しに出かけました
我が家でも、全員帰宅したのは深夜のことでした。
その後の原子力発電所の厄災は想像も出来ませんでした。
その晩から、我が家のお米の炊飯は電気を止めてガス炊飯にしました。

 先日から原子力発電所のメルトダウンの経過記録を何冊か購入してあったので、まとめて読みましたが、事後の記録では当時の国内の危機が改めて悲惨な状況であったことが今さらながら驚きました。
この後の数年間は当地での原木椎茸の栽培出荷もセシウムの影響で制限をされていました。
マスゴミで報道されていましたが、米軍関係者が日本から待避する指令を出した事が記憶にありますが、「そんな事はないだろう!」と疑問視していましたが、信憑性のあった事実だったのですね。
 3月の月末でしたか、仕事でお会いする議員さんと、仕事の部下とで話をしていましたが、3人ともに理系で専攻が近い関係でしたから、その話になりました。
その数日前に、ある地方都市で核反応でしか生成されない元素が検出されたことが話題になり、「メルトダウンだよね!」と話していたことを覚えています。

 今回のメルトダウンの経過記録を読んでいたら、福島の原子力発電所の当時の吉田昌郎氏はたまたま私と生年月日が2日違いの同年代でした。
お元気なら今頃はお孫さんを抱きかかえていたのかもしれません・・・
読み続けて考えさせられるのは、現場の技術者の判断は机上の空論よりも正しいのかなとつくづく考えさせられました。

 今回の記録を通して、昼呑み昼寝をさせていただいてるボケ爺さん予備軍の我が身にとりましては、改めて考えさせられる経験でした。
今日は昼間から真面目な爺さんの戯言でした。
コメント
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