ここしばらくの間、自宅に籠って晴読雨読に集中していたのでブログの更新も出来ませんでした・・・
リタイアしてから現役時代に出来なかったことがありすぎて、少しずつこなしていますがなかなか手が回りません。
あんなに周囲にはリタイアしたら「無線三昧・・・」と言いふらしていたのですが、アンテナもまだ建てていません。
ここしばらくゾルゲ事件の事を資料漁りしていたのですが、なかなかまとめ切りません。
そんなこんなで、今日は当のゾルゲ氏の墓参りに出かけました。
自宅から電車を乗り継いで1時間、閑静な多磨墓地の片隅にゾルゲ氏と石井花子氏の墓所がありました。
70年以上も前の日本を震撼させたゾルゲ事件の当人とは思えない清楚な墓所でした。
誰が供えたか判りませんが、白と赤のカーネーションが小春日和の日差しに眩しく光っていました。
ゾルゲ氏の命日は11月7日、そうソビエト革命の日ということは世界史の教科書にも記載されています。
70年以上も前の日本を震撼させた大事件でしたが、アマチュア無線家の立場から俯瞰すると当時の技術やQSTからの知識の吸収や技術の視点からは考えさせられることが沢山あります。
でも、資料を読み解く事を進めると、当時のゾルゲ氏の周りの人間関係や世界情勢を含めて考えると、考えさせられることが山のようにあります。
でも、今日の多磨墓地のゾルゲ氏の墓所を訪れてみると氷解したような気持ちです。
愛人であった石井花子さんのゾルゲ氏への気持ちが「ひしひし」と伝わってくるような気がしました。
多磨墓地自体がたいへん広大で、日本史に出てくるような故人の墓所であることは知っていましたが今回広大な墓所を拝見してつくづく考えました。
ほとんど、雑木林の様な墓所もあれば、ゾルゲ氏の墓所の様に清楚な墓所もありました。
こんなことを書いていたら、急に中島みゆきの「世情」が頭の中に流れてきました・・・
自分の事を考えると、ちっぽけな存在であるとつくづく考えました。