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ローマに雪が降った?
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昨日の日曜は、冷たい寒の戻りの雨もやんで、美しく晴れ渡った。信者さん達の月に一度の集いのために、カステロ・ロマーノ(ローマ南東60キロほどの丘陵地)の修道院に出かけた。
広い庭を見て、ハッと息をのんだ。緑の芝生のはずのところが、一面真っ白なのだ。雪???? まさか!
太陽の日が燦々と降り注いでいるのに、それはないだろう。
レンズをスーパーマクロに切り替えて足元を映すと、それは直径1.5―2.0センチの小さな白い花の群生だった。
イタリア人はいい加減だから、これもマーガレットと呼ぶが、果たしてそうか、私は疑っている。日本で知っているマーガレットは、地面にへばりついて一面に展開することはない。株として固まって高さも50センチ程の茂みを作る。花の直径も4センチ以上あるだろう。ところがこれは背丈は5センチがせいぜいで、タンポポのような雑草状に地面に敷きつめているのだから。
では、ローマでは雪は降らないのか。いや、たまに降る。去年の今ごろに珍しく降った。その時書いたものを、ツイッターでこのブログを知った皆様には初公開だから、あらためてお披露目するとしよう。
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《 「暗殺事件」-(完結編) が難産で、苦し紛れの時間稼ぎと言われるなかれ!これも無関係ではないのだから。》
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白は雪の色、教皇の色
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朝起きてみたら雪だった(一年前の話)。
カトリック教会では、我々ヒラの神父は黒、司教は紫、枢機卿は赤、そして、教皇ただ一人白と、それぞれ身分に応じて式服の色が決まっている。
今日はローマの4つの神学校の関係者が教皇ベネディクト16世と食事をする日だ。
真っ白な雪はそんな日に相応しい。
私のローマ10年余りの生活の中でも、雪は過去に1―2度しか経験したことがない。
神学校のロビーから中庭を見ると、うっすらと雪が積もっていた。
庭に出てみると、咲き始めたミモザの花も雪にかすんでいる。
アーモンドの花も雪があると無いでは趣が違う。
中南米やアフリカ、東南アジアからの神学生たちの多くは、生まれて初めて降る雪を見、その冷たさに触れたに違いない。彼らは、もう少年のように雪合戦に夢中になっていた。
その向こうを、右手にステッキ、左手のロザリオをしっかり握った日本の神学院の院長平山司教様がお散歩をしておられた。足取りは、病気された昨年よりしっかりしているように見受けられる。
お寒かったでしょうと、お部屋に誘導して、景気付けに薬草入りグラッパをキュッと一杯。五臓六腑に沁み渡る。
これは数日前、聖ベネディクトのゆかりの地、スビアコのサンタ・スコラスティかの修道院で仕入れてきたもの。
夕方には、教皇様との夕食会が待っている。これはローマ教区の歴史でも初めての試み。
ラテラノ教会に隣接するコレジオ・ロマーノにローマの「日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院」を含む4つの大神学校の神学生と養成者が一堂に会し、パパ・ベネデットと出会うことになった。
私のもとにも立派な招待状が届いた。
会場の聖堂にはテレパチェのニュースカメラが入った。その夜遅く、信者たちの集まりに出たら、
私もしっかり映っていたとの話だった。
教皇は一同を前にして、たっぷり30分ほど力を込めて、司祭の使命について、心構えについて、話をした。
原稿は手元にあったようだが、それを読むことはなく、しっかり一同を見渡して自由に話す姿は珍しい。
その後、場所を移して晩さん会となった。
「神学校院長秘書」と言う肩書は、こんなときに威力を発揮する。教皇の直ぐ斜め前のテーブルで、ローマのツチア補佐司教と平山司教と、写真には手しか映っていないがローマ教区の会計総責任者のモンセニョールが一緒だった。
食事も無事終わって退出する教皇ベネディクト16世。教皇とこんなにま近に接する機会は珍しいが、
セキュリティーは思いのほか厳重だった。前のヨハネ・パウロ2世教皇の時とは全く雰囲気が違った。
あの時は、まだ神学生だった私は、近寄って握手することも許されたのだが・・・
(1枚だけ給仕に撮ってもらったのを除いて写真は全て谷口)
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こうして一年前を振り返ってみると、私が同じ出来事に対して、すでに同じ思いで受け止めていたことがあらためてよく分かる。 教皇暗殺事件 について、以前から心に引っかかっていたことを、次回こそははっきりと言葉にしてみたい。