〔終 幕〕 または、「従順の勧め」 -第3場-
Non resistete al male!
「従順」シリーズを締めくくるために、私は新・旧約聖書の語句索引(いわゆる「コンコルダンス」)を隅から隅まで渉り歩き、結局、文字通りには上の言葉を見つけることに成功しなかった。
何か大きな思い違いをしているらしいことに初めて気がついた。
私は、ギリシャ語は試験のためだけにチョイかじり。ヘブライ語は全くお手上げ。ラテン語は若い頃、日本人としてはそこそこやったつもりだが、今は無用の長物となった。だから、50歳になって、あらためて聖書に親しんだのは、専らイタリア語を通してであった。
表記の言葉「ノンレジステーテアルマーレ」をローマの8年間、いや、3年前のサバティカルも含めると通算9年間、耳にたこが出来るほど、何百回となく聞いていて、歌にも歌ったりしてすっかり身に染み付いてしまっていた。だから、この言葉は「そのまま」聖書の聖句だと信じて、夢にも疑っていなかった。
今回その言葉をめぐって一筆書くにあたり、ちょっと格好をつけて(何の、何章、何節)と出典を括弧書きしようと思った。ところが、開けてびっくり!?!無いのである!このイタリア語の表現は、わたしなりに訳せば、
「悪に逆らうな」または「悪に逆らってはならない」
と言うあたりに落ち着くはずだと見当をつけて探し始めたが、全く駄目。全然見つからない。念のため、イタリア語に戻って再度調べてみたが、これも空振りに終わった。
散々苦労をして、何処に行き着いたか?結局、それに関係するのは「マタイ5章39節」しかないことがわかった。ほとんど同じような意味内容だが、日本語(新共同訳)でも、イタリア語(エルサレム訳)でも、表現は微妙に違っていた。
「悪人に手向かってはならない。」(新共同訳)
“Non opporvi al malvagio.”(エルサレム訳)
↑↓
(これって上下同じこと?)
↑↓
“Non resistete al male!”
「悪に逆らってはならない。」
なんとなく釈然としなかった。
それで、ちょっときざだが、最近買ってきた Green のギリシャ語・英語の逐語対訳“The Interlinear Bible” を開いてみた。そこでは、
“not do resist the evil”
となっている(嫌味だから、一語一語対応するギリシャ語はあえて省略する)。なーんだ!私の直感の「悪に逆らってはならない」の方が原典に近いではないか、と、まずは一件落着。そして、その言葉のあとに、
「だれかが貴方の右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。誰かが、1ミリオン行くように強いるなら、一緒に2ミリオン行きなさい。」(マタイ5章39b-41節)
と続く。
これが「従順」問題の最終的答えであろう。自分の良心が、「それは不当な命令である。それに従ってはならない」と叫ぶとき、私は、信仰に基づく高貴な魂の行為としては、そのような命令に対して「従順」することは断じて出来ない。
そのような場面で浮上してくるのが、この「悪に逆らってはならない」という教えである。つまり、キリストはそのような状況をあらかじめ想定して、それに対応するための道としてこの言葉を用意してくださっていたのである。
私はイエスのこの言葉に対してわたしの「従順」を向ける。それなら出来る。全然難しくない。結果は無論全く同じである。行為としては、私に不当な命令を下した人間の指示を文字通り忠実に行うことになるだろう。しかし、私の魂はその人間の命令に「従順」をもって応えてはいない。
「疲れたもの、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜なものだから、私の軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11章28-30節)
わたしは、過去3年間、つまり、2度にわたる棄民の間。全く理不尽な司教の命令の重荷を負って、無理して「従順ごっこ」をして、疲れ果て、消耗し切っていた。
今回、あらためて「第3次棄民」を前にして、状況はさらに悪化する可能性がある。なぜなら、一回目は1年、二回目は2年、そして今回は期限が無い。無期限(少なくとも現司教在任のあと一年半ほどの間は絶望的)の棄民である。ここで初めて、まことに遅蒔きながら、わたしは「悪に逆らってはならない」と言う神の言葉への「従順」を学んだ。神に感謝である。それは、なんと「負いやすい軛」、なんと「軽い荷」であることか。
3年間の忍従と犠牲と祈りの末に、神様は人間の歪んだ定規で真直ぐな線を引くことがおできになる事を、神学校の素晴らしい未来を見せて、得心させてくださった。神様は、人の破壊の負のエネルギーを、神学校を昇格させ、可能性を広げ、確固たる基盤の上に移し植える契機として、正のエネルギーに変えられた。
「悪に逆らってはならない」
これは、「黄金原則」、「永遠の真理」である。人はただ「悪に逆わない」だけで足りる。あとは全て神様が計らってくださる。それはまた、人間の知恵や努力がなしうる範囲をはるかに超えた偉大な業に道を開く。「裁きは神にあり」である。
振り返ってみると、思い当たることが無数にある。聖書の言葉は、それに1対1で対応する具体的場面では、突如、神のみことば、命ある生きたことば、として働き始める。そして、必ず結果を生む。毎日が新しい発見の連続、驚きの連続であった。あらためて簡単にプロットしてみよう。
● 何を恐れてか、どんな偏見と先入観を持ったためか、高松の今の司教様(敢えて「様」をつけよう)は、着任以来最近まで、一度もわたしと相対して真面目に話し合うことをしてこなかった。
● 何も話し合わぬまま、程なく、1年間の「サバティカル」(休暇年)を申し渡した。意図はすぐ読めた。わたしを遠ざけたいのだな、と思った。しかし、わたしを司祭に叙階した司教様とその後継者に対して誓った「従順」の行為として、1年間ローマに留まった。司祭の身分証明書も紹介状も無く、十分な生活の保証も無く。(第1の棄民)
● 間もなく一年が過ぎようとしたとき、一通の手紙がローマに届いた。引き続き2年間の教区外生活を命ず。必ず元の教会の主任司祭として戻すと言う約束は反故にされた。日本の何処に住め、どうやって生活せよ、何をせよ、など、一切のヒントも助言も無しに・・・・。勝手にどこかで生き延びろ、わしは知らん、ということらしい。別に帰国の挨拶などに来ても来なくてもよし、好きなようにしろ、と言われれば、足がすくんで司教館に訊ねるわけにも行かないではないか。真直ぐ、ひっそりと古巣の三本松教会に私物を取りに行き、ろくに信者たちに挨拶することも無く、そのまま野尻湖の山荘に直行し、そこに引き篭もった。それから二年の間、司教様からも、司教館からも何の通信も来なかった。かろうじて、わたし宛の迷った郵便物が思い出したように機械的に三本松から転送されてくるのみだった。後で知ったことだが、私の本を読んで司教館に問い合わせの電話をした人がいたが、最初の応対は、「そんな人ここに居ません」という木で鼻をくくったような冷ややかなものだったそうだ。司教館のスタッフは薄々知ってはいても、表向きはわたしが何処にいるのかさえ知らないことになっていたのだろうか。人が司祭に叙階されたときは、司祭として、牧者として、宣教者として、何処かの教会など、腕を振るうべき働き場が用意されていて、それなりの期待と支援があるものと思うではないか。全てを剥奪したうえ、孤立無援、むしろ何もしないことが期待されるなどと言うことを、だれが想像し得ただろうか。ローマの街角の聖具屋で、同情してくださった恩人からの送金でミサの道具を買い求めたのがあった。雪の山荘で孤独にミサを捧げるとき、凍てつく冷気のなかで、無数の天使たちがキリストの聖体を礼拝する姿が見えた。わたしは、この不当な処遇をじっと耐え忍ぶことを犠牲として捧げ、それが破壊され葬られようとしている神学校を救う力になると信じた。人間的には苦しかったし、わたしの良心は「これは不当だ」と叫んでいた。二年の歳月が流れすぎようとしたが、なんの音沙汰もなかった。(第二の棄民)
しかし、わたしの苦渋に満ちた「従順」は、予想をはるかに超えた素晴らしい結果をもたらした。反対者が声高に叫び、司教が全精力を傾けて潰しにかかってくれたからこそ、まさにそのことのお陰で、神学校には名誉ある輝かしい未来が約束されることになった。破壊の強大な負のエネルギーを、神様は素晴らしいみ業に転換されたと言える。「神様は、人間の曲がった定規で真直ぐな線を引かれる」と、かつてのわたしの霊的指導者ヘルマン・ホイヴェルス師が言われたことがある。なるほど、それはこういう意味だったのかと納得した。具体的に検証してみよう。
● 日本の教会当局の冷たい逆風から護るために、教皇様は「父性的な配慮を示すために」神学校をローマのご自分の庭にそっと一時移植してくださった。(カトリック新聞のように、原文の“per esprimere la paterna sollecitudene del Santo Padre”を、ただ「温情」と一語で訳すのでは足りないと思う。)カトリック新聞の表現は、原文をわざと曖昧に翻訳しているために実にわかりにくい。原文によれば、この高松の神学校は、ローマのレデンプトーリス・マーテル神学院の施設の中に移植されるが、独立した一個の神学校であり続けることをやめるわけではないことがわかる。つまり、吸収され、合併されて、溶けて無くなることはないのである。これはあくまで一時的な措置であって、このユニットは近い将来必ず日本国内に帰ってくることを想定してのことであろう。
● 「高松教区立」という一司教区のためのローカルな神学校であったものを、新たに「日本のためのレデンプトーリス・マーテル神学院」と命名された。それは日本全体のための、つまり日本の全司教区のための神学院となったことを明確にするためであると考えられる。
● この神学校が日本の司教団とかかわりのあるものであることを明確にするために、日本の司教団の一員である平山元大分司教を新たに院長として任命された。
● この神学校を出た司祭たちに対しては、彼らの日本の教会の中での身分と働き場が保証されるために、“Vicario”を日本に派遣されることになった。カトリック新聞は訳し方に困って(或いは正しいニュアンスを伝えたくなかったから)、原語のまま引用し、括弧書きで(代理者)と直訳を添えているが、わたしは原文の前後関係から、「教皇代理」と訳してもかまわないと思った。(高松教区の教区民宛の発表では、単に「特使」となっているが、それは誤りであろう。)この「代理者」の意味合いは大きい。通常、教皇の“Vicario”は司教(又は、司教権限を持った「モンセニョール」)であり、その任務は重要であり、権限は絶大である。現在、日本には16の司教区があり、16人の教区長司教がいるが、この“Vicario”は、ある意味で教皇様に任命された日本のための17番目の司教(それも全国区の)に匹敵するほどの重みを持つ人事だと直感した。それが正しいことは、今後の展開を見れば明らかになるだろう。
● そして、現司教の意向として閉鎖後は売却処分、が噂されていた神学校の土地・建物についても、他の目的への転用は認められなかった。これは、現司教の引退後に、同神学校がローマから同じ場所に戻ってくる可能性に道を残したものと考えることもできる。
● わたしが司教様に最後に会ったときも、彼はローマに対して絶対に譲れない1点として、高松の神学校を司教権限で閉鎖した後、一定の冷却期間、同神学校が全く存在しない状態、を置くことを挙げていた。その期間が経過した後にローマが何をしようと関心はない(彼はどうせその頃は引退していて権限も無い)が、その一点だけは絶対に譲れないし、なぜか必ず聞き届けてもらえると楽観していたように見受けられた。
しかし、結果はどうだったか。バチカン国務省長官ベルトーネ・タルチジオ枢機卿は、その文章(公文書番号N.85.227)の中で、「教皇様は、上記の計画が実現されるまで、高松の『レデンプトーリス・マーテル』神学院の現状を維持するよう、溝部司教様に要請されました」と明記しているではないか。
高松教区立としては閉鎖することを許すが、その閉鎖と同時にローマ直轄として格上げし、中断期間無しに、連続的にその存在を維持するという意味である。
まさに“Te deum laudemus!”「神に賛美」である。教皇様ご自身のローマの神学校は別として、世界に70数校ある「レデンプトーリス・マーテル神学院」の名を持つ姉妹校の中で、このような特権的な扱いを受けた例が他にあっただろうか。他はみな、今もって高松教区立と同じローカルな神学校に過ぎないのである。
既にわたしに対する「第三次の棄民」は始まっている。最近わたしのブログにまた「コメント」あった。同種のものはほとんど保留のままにしてあって読者の目に触れることは無いが、これは敢えてここに紹介しよう。
「従順に志度で開拓宣教をせよ。当面は三本松教会に住め。
永遠にサバティカルをとってもよい!」
この口調は、まるで司教自身のもののようにも取れないか?まさかとは思う。現に彼は、わたしの質問に対して、「あなたのブログは読んでいない、読んだことはない」と明言された。本当か、嘘か、はわからない。しかし、言葉の弾みに、全く別のコンテクストで「何ならこのことはブログに書いてもらってもかまわないよ」とポロリと言われたから、ひょっとして実は・・・・との思いもある。
まさか司教自身の書き込みではないにしても、上の言葉は、司教の主要な支援者、取り巻きの重鎮たちの本音であると見て、まず間違いは無かろう。
わたしが今、この第三の棄民を甘んじて受け入れ、それを犠牲として捧げるなら、再びそこから素晴らしい善が生まれるに違いないと信じるものである。
最後に、日本に大勢いる平(ひら)の司祭、修道者、修道女の皆さんに言いたい。貴方たちの高貴な「従順」を大切にしていただきたい。従順に値しないと良心が叫ぶとき、自分を偽ってまで無理な「従順」をしないで戴きたい。その代わり、ナザレのイエスがわたしたちに勧めてくれたように、「悪に逆らってはならない」を実践することを勧めたい。結果として、貴方の行為はその命令に対して、現象としては忠実な形をとるだろう。しかし、貴方の良心は晴れやかで、軛は負いやすく、荷は軽くなるのである。
最後に一言。わたしのこのイエスの言葉への「従順」が、すぐに思いがけない「奇跡」に繋がることがあるかもしれない、と予感させる何かがある。
(表紙の写真はグアムの姉妹校「レデンプトーリス・マーテル」を、自分で操縦するセスナの窓から撮影したもの。ここで高松教区司祭の黙想会が開かれた。)