~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「人間の歴史は二本の紐を撚り合わせたもの」
(ヘルマン・ホイヴェルス師のことば)
創造と進化(2)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私は「創造と進化」(1)で、司祭であり、詩人であり、同時に、哲学者でもあったヘルマン・ホイヴェルス神父の言葉を引用して、「哲学者はなつかしい神についての話をする権利を有していない」、「哲学者が神について論することは不敬です」、と記した。
それなのに、ホイヴェルス神父が「神を知っている人にとっては、哲学するほど楽しい知的遊戯はない」と言っているのは、どういう意味だろう。この二つの主張は矛盾するのではないだろうか。
上の問いに答える前に、一つの話をしたい。
私は二十歳代を通して、よく京都は洛北の安泰時という破れ寺で座禅をしていた。座禅の師は澤木興道という曹洞宗の老禅師だった。1週間ほどの接心には、一人の尼僧(名前を忘れた)が影のように師の身辺のお世話に寄り添い、内山興正老師とか、京都大学の哲学科の優秀な学生たちが多数参禅していた。朝4時頃だったか、興道老師の内弟子だけが許されて老師のお部屋でお茶をいただく習慣があった。一日中沈黙が支配する安泰寺では、この時間だけ老師と親しく言葉を交わすことができた。
当時、私は全くの若輩ではあったが、澤木老師は、お前は耶蘇(カトリック信者)だったな。まあいい、そこに座っていなさい、と優しく受け入れてくださった。
さて、座禅だが、私は、座る作法、姿勢、息の使い方、心の持ち方などをしっかり手ほどきして戴いて、それを忠実に実践したが、心が鎮まるにつれ、「無」や「空」に向かう筈の心の中に、どっこい、しっかりと神様(キリスト教の三位一体の神)が現存されるのを意識しないではいられなかった。だから、その神様を「迷い」として振り払ってまで、敢えて「無」に向かい、「空」に向かうことはとうてい出来なかった。
澤木興道老師が、日本の曹洞宗の世界では「昭和の最後の雲水」と言われた超有名な高僧であったこと、大先輩ではあっても澤木老師を前にしては兄弟子ぐらいにしか思っていなかった「折り紙の神様」の興正さんが、彼自身偉大な内山興正老師として後年人々の尊敬を集めていることを知ったのは、ずっと後のことだった。
私は何を言おうとしてるのだろう。
言いたいことは、澤木老師にとっても、内山先生にとっても、座禅するということと、私がキリスト教の神を信じているということは、何も互いに排除し合う両立しない事柄ではなかったということだ。
同様に、ホイヴェルス神父にとっても、その弟子である私にとっても、哲学するということと、神をすでに知っていて信じている、ということとは、決して両立しない矛盾を含むものではないということではないのか。
哲学することが、自殺することになるか、狂気に終わるか、はたまた、楽しい精神の健全な営みになるかを分けるのは、神を知っているかどうかの一点にかかっているというホイヴェルス師のことばには、実に深い重要な意味が秘められていると思った。
私は、信仰の恵みを戴いて、生ける神、天地万物の創造主にして「愛」である神 を体験として知っているから、人を迷わせ、死にいざない、狂気へと駆り立てることもできる高貴にして危険な哲学の道を、楽しみながら普段に散歩することが出来るのだと思う。
これは、哲学的問題を前にして、人間の理性を頼りにその「解」を見出そうという、困難で険しい道から飛躍して、非理性的に宗教の世界に 逃避 するのではない。また、哲学の力で 神の内面の命 を解き明かそうとしたり、あるいは逆に、神の非存在 を人間の理性で論証して見せよう、というような、不遜にして傲慢な誘惑に身をゆだねるのでもないのだ。むしろそれは、理性と精神の王道を、ゆとりをもって楽しく散策する恵まれた道だというべきだろう。
私はこのブログの冒頭に、「人間の歴史は二本の紐を撚り合わせたもの」と書いた。それはヘルマン・ホイヴェルス師が私に遺された言葉だ。二本の紐とは、何の紐と何の紐 のことだろうか。
今回、そのテーマに向かって書き始めたが、思いのほか前置きが長くなってしまったので、ここで一区切りつけて、本論は次のブログ以下に委ねよう。
この、中学生時代からの質問に答えてくれる“教師”は、残念ながらいなかった。僅かに、太宰治や中島敦の小説の中に、その端緒らしきものを見出しただけだった。大学に行って、哲学を中心に学んでみても、わからないものはわからない。私の母校の高校には、「哲学の道」という散策路が出来ていると聞いた。今の私の後輩の哲学のレベルが、どれほどのものか私は知らない。