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「人間の歴史は二本の紐を撚り合わせたもの」
(ヘルマン・ホイヴェルス師のことば)
創造と進化(4)
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人気のシンガーソングライター、中島みゆきはテレビにはあまり出ないが、ちょっと低めのビロードのような声が素敵で、以前から聞いている。
最近の彼女の「糸」の世界は演歌なみに単純明快。 「縦の糸」と「横の糸」は男と女。遠い空の下で「わたし」と「あなた」が、ある日出逢った。
なぜこの時に? なぜこの人と? それは偶然? それとも必然・・・? なんて、野暮な詮索はしない。
それに引き換え、須賀敦子の世界は格段に意味合いが深い。1929年(昭和4年)生まれ。聖心女子大の一期生。国連難民高等弁務官の緒方貞子と同期。6年後輩には上皇后美智子様がいる。敦子は慶応の大学院を中退してパリに留学。ローマへ、ミラノでイタリア人と結婚、わずか5年で夫と死別して帰国。慶応、聖心、上智の非常勤講師をしながら、52歳で博士号。62才のとき「ミラノ霧の風景」で女流文学賞を受賞して彗星のごとく文壇にデビューしたが、短い煌めきを残して69才で帰天。癌だった。
須賀敦子の「縦の糸」は夜の無人の駅で列車を待っている「時間」。「横の糸」は夜行列車が駅ごとに乗せていく「祭の賑わい」。
夜行列車は駅ごとに人間の生の営みを乗せ、無機質で希薄な時間に生命を吹き込んで「時」を紡いでいく。
皆さん!皆さんは私のこんな退屈な語り口に飽きて、そろそろ忍耐を失いかけておられるのではないでしょうか?
じつは、「<創造と進化>シリーズはつまらない」、という声が早速わたしの耳に届いています。わたしが生きているうちに、いつか本腰を据えて真面目に取り組もう温めてきた大切なテーマ。本論に入る前に読者に飽きられてしまったらどうしよう、と焦ります。
〔原題〕"A BRIEF HISTORY OF TIME"
「車椅子の物理学者」の異名を持つホーキング博士は、“A brief history of time” という本の中で、物理学の数式を一つ多く入れるたびに読者は半減すると言って、特殊相対性理論の方程式
E=mc2
以外は、一切の数式を排除して、狙い通り一冊をベストセラ―に導きました。
私の場合は、方程式の数の問題ではない。一体どこをどう工夫すれば、無事ホイヴェルス神父の
「人間の歴史は二本の糸を撚り合わせたもの」
という命題まで、皆さんの興味を繋ぎ止めることが出来るのでしょうか。
そもそも、ホイヴェルス師の「二本の糸」とは何だったのでしょう。それは中島みゆきの糸とも、須賀敦子のそれとも次元を異にします。
ホイヴェルス師によれば、「歴史とは、<神の英知>と<人間の愚かさ>の二本の紐が撚り合わさって創られるもの」と定義されます。
それは、みゆきの「2次元」の平板なものではなく、敦子の、時間によって紡がれていく人間の賑わい、つまり、「3次元の空間に時間を添えた「4次元」の話しでもありません。
ホイヴェルス師の話は、須賀の4次元の世界を遥かに越えて、全く異次元の存在「神」を持ち込むことで、一気に広大無辺の世界に飛翔していくのです。しかも、師は「神を知る人の哲学的探求ほど、心楽しい知的な営みはない」とまで言われました・・・。
ちょ-っと待った!
師は、一方では、神を知らない哲学者が、まじめに存在の根拠と人生の意味を問い続けるなら、最後には藤村青年のように華厳の滝から身を投じるか、ソクラテスのように毒盃を仰いで死を選ぶか、はたまた、ニーチェのように精神を壊して病院に入るしかないと言われました。
他方では、哲学者の存在理由はどこにあるか、という問いには、「存在の根拠を探求し予感し、驚くこと」と言うにとどめ、暗に、それ以上進むことは危険だ、と警告しているかのようです。
さらに、「哲学者」と題する小品の主人公の口を借りて、「僕らはドン・キホーテのような悲劇的な格好をした騎士ですよ。私たちが神について論ずることは不敬です。」と言わせ、「私たち哲学者は Vom lieben Gott(なつかしい神についての)話をする権利を有していない。」と結んでいます。
それらは、「神を知る人の哲学的探求は、実に心楽しい最高の知的遊びだ」という師のことばと、どこかで矛盾しないでしょうか。この見かけ上の矛盾を一体どう解消すべきでしょうか。
答えは次回のお楽しみ。