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友への手紙
ーインドの旅からー
第7信 月夜のデッキ
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今回の手紙は短い。そして、難しい話は一つもない。自分が読み返してみても好きになれる数少ない一編だ。皆さんも楽しんでください。
M君、明日はセイロンだ。素晴らしく静かな今宵の海は、粉々に砕かれた月を浮かべてキラキラと輝いていた。
深夜を過ぎても、フロントデッキでは、我らエコノミークラスの貧しい旅人たちが、月夜のダンスパーティーを楽しんでいた。
ギター、チャイニーズバンジョー、ハーモニカ、フルート、トランペット、ウクレレ、みんな愛用の楽器を持ち寄った。ドラムはその辺の空き樽が用いられ、歌い手は台湾人の青年が買って出た。
満月以外の誰が計画したわけでもなかった。
偶発的で、しかもとても自然な雰囲気が盛り上がった。
ぼくもアイルランド人のお姉さんにリードされてぎこちなく踊ってみた。まんざら悪くはなかった。
ところで、原発反対のデモはどうだった?こちらの新聞でずいぶん古くなったニュースに接して、少し心配になったものだから・・・。怪我などしていなければいいがと思って。
これは君へのお見舞い状だよ。
第7信はこれだけ。
当時わたしは反戦運動-特にベトナムの政治囚のこと—、反公害運動、同和問題など幅広く頭を突っ込んでいたが、反原発も例外ではなかった。
しかし、遠く日本を離れて異国の海を行くうちに、それらはいつのまにかみな遠くの出来事のように思えてきた。
いまは、この船の中だけが自分の世界だった。マルセイユと横浜を往き来するフランスのラオス号は、タイタニックやダイヤモンド・プリンセスのような豪華船とはまるで違う地味な貨客船だったが、それでも特等、一等、二等、エコノミーと乗客の格差は歴然としていて、我々が外の空気を吸うことのできるのは、船首の投錨機のまわりの雑然としたスペースだけ。デッキチェアーひとつあるわけでもない実に殺風景な場所だったが、そこで出会う貧しい乗客たちは日を追って親しみを増していった。
受験英語のままでほとんど話す練習のできなかった私は、アイルランド人のお姉さんから英会話を教えてもらったりしていた。
シンガポールを出港し、マラッカ海峡を抜けてインド洋に出た頃には、若者たちはみな互いに知り合うようになっていた。波静かな夜、満天の星空の下で、誰が企画したわけでもないのに、いつの間にか楽器が和音を奏で、一組、二組とダンスが始まった。僕もアイルランド人のお姉さんに手を取られて立ち上がった。上智の学生会の資金集めパーティーで、壁の花一掃のために無手勝流で踊ったほかは久しくこの道に縁がなかったが、いつの間にかその雰囲気に溶け込んでいた。
ゲーテではないが、思わず「時間よ、止まれ!」と言いたくなるような・・・、こういうのを青春と言うのだろうか。今あらためて淡い郷愁に耽っている。