:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ アメリカレポート ボストン-⑨ レセプション

2012-06-14 23:23:11 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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アメリカレポート ボストン-⑨

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

Boston Symphony Hall

《 レセプション 》

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 シンフォニーは軽い興奮と精神的充足感の余韻に包まれて無事に終わった。家路につく人の流れの一部が、ロビーからまっすぐ出口に向わず、右に逸れていく。廊下の先の広間には、特別招待の人たちのために、食事つきレセプション会場が準備されていた。

 いかにもお金持ち風の車いすのユダヤ人のご婦人が、ウエイターにカクテルを注文している。ふとみると、オヤ? この色の靴どこかで見たような! ハテ どこだっけ ?? あっ そうだ! 思い出したぞ! ローマの教皇ベネディクト16世が儀式のときに履いているのと同じ色だ。バチカンの聖ペトロ大聖堂で、わずか数メートル先のこの靴を撮る絶好のチャンスを私は逃した。珍しく自重してカメラを持参しなかったのが、未だに悔しくてしょうがない。教皇のはフェラガモ製だそうだ。


 レセプション会場では紳士淑女が席に着き始めていた。キッパをつけたラビの姿はほとんどなかったが、私のようなキコ側の関係者以外は、多くがボストンのユダヤ人社会の名士たちと思われる。

 

 1番テーブルには、キコとオマリー枢機卿が着いている。キコがスペイン語で歓迎の挨拶をすると、髭の若い神父がよどみなく英語に通訳をする。キコは、自分の夢であるイスラエルの古都エルサレムでの建設計画を披露した。

 彼は既に、イスラエルの北部、ガリレア湖のほとりの山上の垂訓の丘にドームス・ガリレアと言う広大な施設を計画し、2000年の聖年に前教皇福者ヨハネパウロ2世を招いて部分的落成式を行い、今は立派に完成して年間15万人のユダヤ人が訪れるキリスト教(カトリック)とユダヤ教の一大交流センターになっている。

 その間の消息は、私のブログ 「ガリレアの風かおる丘で」 シリーズに詳しく紹介しているから、是非ご覧ください。


キコは もともとプロの画家だから 自分の構想をたくさんのスケッチに描いている


手書きの 真上からのプラン 一番外側の複雑な形の線が どうやら敷地の境界線らしい

と言うことは ドームス・ガリレアとは違い 狭い敷地に建物がいっぱいいっぱいに建っていることになる

 

この新しい構想の建物を キコは ドームス・エルサレム と呼んでいる

彼のイメージスケッチによれば エルサレムの旧市街の城壁の外

谷一つ挟んだ向かいの丘の上にあるのがわかる

 

立体模型も出来ている キコは21世紀の教会建築の新しいスタイルを模索している

ロマネスク ゴシック バロック ・・・ の延長線上に 「キコック」 様式(笑) なんて変な名前が出来るかも? 

 

 

 おや? 塔を兼ねた聖堂の屋根の上に十字架があるぞ。ドームスガリレアには目立つところに十字架は無かった。と言うことは、ここはユダヤ教とキリスト教の交流の場と言うよりは、やはり、キリスト教徒(カトリック)のセンターを意図しているのだろうか?

 

 ドームス・イスラエルの建設予定地から望むエルサレムの城壁に囲まれた旧市街。真ん中に回教の黄金のドームが光って見える。エルサレムは、世界の3大一神教、ユダヤ教、キリスト教、回教(イスラム)の共通の聖地だ。アラー(イスラム)の神も、ヤーウエ(ユダヤ・キリスト)の神も、同一の神のことを指す。その3者共通の最も神聖な場所に、いまは回教のモスク、黄金のドームが建っている。

 それにしても西暦70年にイスラエルの国がローマ帝国軍によって滅ぼされて以来、1948年にイスラエル国家の独立宣言をするまで、ローマ帝国、オスマントルコ、英国の統治などを経て、ここはパレスチナ人(多くは回教徒)を中心に複雑な宗教と人種のるつぼとなっていた。そして、紀元前から栄えたこの町は、その土地のどの1平方センチをとっても、帰属の決まらない中立な空き地などあるはずはないのだ。そして、現在のイスラエル政府は、中世十字軍の時代からキリスト教が死守してきた点としての土地と建物の占有維持は容認するものの、キリスト教の新規の恒久建造物の建設は原則として認めてこなかったようだ。

 それなのに、どうしてキコはドームス・イスラエルの建設用地を見つけ得たのか。キコは中近東の古いキリスト教の所持している土地を買い取る話をつけているようだ。キコの運動がそれを所持する言うことではとうてい纏まらなかったはずの話を、土地を取得し建物を建てたら、それをそっくりローマ教皇に献上するという条件で見事に切り抜けた。

 キコの指導する「新求道期間の道」は、本来、霊的(精神的・知的)財産は持つが、流動資産である基金の他は、土地・建物などの物的財産は一切持たない形で運営されている。この点は、教会の歴史の中であらゆる修道会や運動と一線を画す。世界にある86の神学校の土地・建物も例外ではない。高松の神学校も、共同体が土地・建物を手当てしたが、それをそっくり教区に寄付した。だから、司教が変わって閉鎖を決めれば、黙って退去するが財産はそのまま教区のものとして残ることになる道理だ。 

 

 キコはドームス・エルサレムの構想を熱く語った。山上の垂訓の丘の上のドームス・ガリレアと同じように、イスラエルの政府は例外的にこのドームス・エルサレム構想を認可するもののようだ。その秘訣は、やはり出来上がったものがローマ法王に献じられるというところにあるのではないだろうか。


 

 人々はキコの話に熱心に耳を傾けている

シンフォニーの余韻も おいしいワインも 食事も 人々の心を優しく 柔らかにする効果があったのだろうか


オマリー枢機卿も 応援と推薦の言葉を添える

 

キコは言葉を継いだ このプロジェクトの

趣旨にご賛同の皆様は どうか寛大なご協力をお願いいたしたい


キコの後ろの大型液晶ディスプレーには


神様がこの美しい夢を叶えてくださるように祈りましょう

ドームス・エルサレム

 私たちのために祈ってください

キコ・アルゲリオ  カルメン・エルナンデス  マリオ神父


と映っていた


レセプションがお開きになっても 余韻を楽しむ人たちが まだあちこちで立ち話しを

オマリー枢機卿と何やら話し込むユダヤ人夫妻


客を送り出した後 ボストン・シンフォニー・ホールの外に出た まだ初夏の陽は暮れかねていた


(つづく)

 

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1 コメント

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クロアチアより (セツ清水)
2012-09-06 20:39:52
キコのDVDをクロアチアで見ました。それからずっとキコに会いたいと願っています。
私はクロアチアに住むヴァイオリニストです。今年シルビオ司祭と「遣わされしものたち」を作曲してCDを作りました。
http://www.gospel-light.info/?pid=45960371

8月28日の朝、大きな重い扉が開いたと感じました。クロアチアに初めて来てから10年目です。今は明るくて広い場所にいます。手を伸ばすとキコが見えます。そこまで行きたいと思います。
ウサギの日記が再開されたのを見て「ドキッと...」しました。「こんなに早く日本にキコの情報が届いている」と驚きました。ユダヤ人がエルサレムへ帰る時です。その為にヴァイオリンを弾きます。
ご連絡を頂けると嬉しいです。 j-ties@lala.cc
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