:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ アメリカレポート ボストン-⑧ シンフォニー開

2012-06-10 19:06:05 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

 

キコの横顔とアウシュヴィッツの囚人輸送貨車のモンタージュ写真

 

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アメリカレポート ボストン-⑧

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

Boston Symphony Hall

Sunday, May 6, 2012 - 2 PM

シンフォニー開演

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開場の時間が来て 外の入り口の扉が開いたのだろう 待ちかねて道にたむろしていた人々がどっと入ってきた

その人の波に乗って キコも後ろから入ってきたのには驚いた てっきりすでに舞台の袖に控えているものと思っていたからだ

リングに向かうストイックなボクサーよろしく セコンドに神学校の院長のトニー・メデイロス神父を従えて

 

  

私は前から2列目のやや右寄り 特等席に居るのだが 見る見るうちに私の周りはボストンのユダヤ人社会のエリート

つまり ユダヤ教の教師(ラビ)たちや ユダヤ人の銀行家 大企業トップの大物とその夫人たち で埋まり始めた

男性の服装は背広姿で 色も黒とは限らない

頭の上に小さなキッパ(お皿型のキャップ)を載せていなければ どの人物がラビかはわからなかっただろう

 

 

おや? 私の後ろに変なお爺さんが一人座ったぞ キッパをつけていないから もちろんユダヤ人のラビではない

垢汚れてクサイというほどではないが みすぼらしい服装 伸び放題の髭 どこか浮浪者のような空気を漂わせて

それに どう見てもインテリの顔ではない

ユダヤ人上流社会の中にポツンと一人 アメリカに居て 英語もわからず なんとも場違いな感じだが・・・

だが ここにいるからには 招待券は持っているのだろう

(この人物の素性 いずれ詳しく紹介することになるはずだから 一応ここで顔見知りになっておいていただきたい)

 

舞台の正面右に 昨夜オーケストラのメンバーをカテドラルに迎え ミサを司式し

一行を音楽による宣教に派遣したオマリー枢機卿 性的虐待のスキャンダルから ボストンの教会を再生させた立役者

今日は質素な茶色のフランシスコ会の修道服姿で現れた

向かって左は 枢機卿の側近 神学校のトニー・メデイロス院長

 右はフランチェスコ イスラエルのドームス・ガリレアのスタッフ 英語はもちろん ヘブライ語  アラビア語の達人

この日はキコの通訳もした

 

 ところで、このコンサートだが、初めから普通の音楽会とは違うことは、皆さんももう薄々ご承知だろう。

”A Symphonic Homage and Prayer”

と言う表題は、翻訳者泣かせのいやな言い回しだ 英語に自信のある方は助けていただきたい 貴方(貴女)ならどういう訳を当てますか?

苦し紛れに、

「賛美と祈りのシンフォニー」


と訳してみましたが、元の英語から受けるニュアンスとはかなりかけ離れてしまうことを痛感しています。かといって、他にどんな訳語がぴったり来るでしょうか・・・なかなか思いつきませんね。いい考えが浮かんだ方は、是非このブログのコメント欄に投稿してください。すぐに採用してこの部分を編集し直したいと思います。

 とにかく、キコの考えでは、この夜のステージは三つの要素で組み立てられているようです。 

                ① ことば-(人間の言葉、神の=聖書の=ことば) 

             ② 音楽-(キコのシンフォニー) 

             ③ 祈り―(キリスト教の、ユダヤ教の、その他どんな信条のものでも・・・)

 

① 先ず、キコのことば

キコがボストン、そしてアメリカのユダヤ人社会の出席に感謝し、オマリー枢機卿を紹介し、・・・と一連のセレモニーの後、キコは「無垢なるものたちの苦しみ」のテーマについて短い話をした。

無垢なものたちの苦しみ
-シンフォニーと祈りの祭儀-

 愛する兄弟姉妹のみなさん。わたしが作曲を手掛けるなんて、とんだ思い上がりではないでしょうか? 私の傲慢の故でしょうか? それとも私の虚栄でしょうか?何はともあれ、ある年寄りの司祭はかつて私に言いました。 「虚栄に陥ることを恐れて善を行わないというのは悪魔からの考えだ」 と。

 「善を行う・・・」、作曲を試みるのは善を行うことになるのでしょうか? 私は、無垢なものたちの苦しみと聖母マリアの苦しみを、祈りを込めて、また信仰を深める手だてとして、小さな音楽作品にして披露したいと思いました。もしかしたら、このような意味深いテーマについて、音楽が何かより深いものを表現できるのではないかと期待して・・・。

 無垢なものたちの苦しみ・・・。哲学者サルトルは言いました。「神の指で壁に圧し潰される者は災いだ」と。そしてニーチェも言いました。 「神が存在するとして、その神が苦しむ人を助けないなら、そんな神は化け物だ。また、もし助け得ないのなら、それは神でもなんでもない」 と。

 壁に圧し潰される人たち。道に放り出され、凍え死ぬ人たち。捨てられ、恐怖の孤児院に拾い集められ、犯され虐待される子供たち。私が近所で知り合った、夫に捨てられ、精神を病む息子に物乞いをしに行けと棍棒で家から叩き出されたあのパーキンソン病の女・・・。彼女の中に、また他の実に大勢の人々の中に現存する十字架上で死んだイエスを前にして、私の心は圧倒されました。

 他の人間たちの罪を背負わされたこれほど多くの無垢な人たちの苦しみとは、何と言う神秘でしょう。近親相姦。聞いたこともないような恐ろしい暴行。ガス室に向かって列をなして行進する裸の女と子供たち、そして、それを見ているうちに、心の中に「お前も服を脱いでその列に入って彼らと一緒に行って死になさい」という、何処から来るのか分からない声に促されて、その通りにした一人の看守の味わったあの苦しみ・・・。

 アウシュヴィッツの恐怖を経験した後では、もはや神を信じることなどできるものではない、と多くの人は言う。違う! それは嘘だ。神は、全ての無垢なものたちの苦しみを自分自身の上に引き受けるために人となられた。口を開くことなく屠所に曳かれる子羊のように全く無垢な彼が、全ての人の罪を背負った。

 この小さな作品では、無垢なものたちの苦しみの躓きのもとにある処女マリアが、ご自分自身の肉、ご自分の子の肉の中にその苦しみを体現する。彼女の魂を剣が刺し貫いた時、ソロが 「ああ、何という苦痛!」 と歌いあげる。

 この音楽的スケッチによって、オリーブの園で罪人たちのために用意された杯をイエスが飲むのを天使が助けたときのように、天使が処女マリアをどれほど支えたかを共に讃えたいと思います。私たちは処女マリア-預言者エゼキエルの言葉によれば、神がご自分の民の罪のために用意された剣を受け入れた処女マリア-そして今や、この剣で魂を刺し貫かれたこの可哀そうな婦人のことを思いめぐらし、彼女を支え励ましたいと思います。マリア、マリア! 神の母! 聖なるテオトコス(神の母)、どうかしっかりして下さい! あなたは、私たちのために罪となり全ての人の救いのために御自分をお捧げになる神の母。神の母にして、私たちの母。さあ、みなさん一緒に歌いましょう。

② シンフォニー

 新進の若い指揮者、パウ・ホルケラが聴衆に向かって一礼。くるりと向きを変えると、静かにタクトを振り下ろした。

 

  

演奏中の姿はリハーサルの時にさんざん撮った

 今は心静かに聴くときだろう 各ムーブメントの表題は: 

- うめき -

- 悲しみ -

- 彼らを赦したまえ / シェマー・イスラエル -

- 剣 -

- 復活 -


演奏が終わった フロアーも 2階、3階のギャラリーも 総立ちのの拍手が長く鳴りやまなかった 

 

キコが近寄って指揮者をねぎらった

 

キッパをかぶったユダヤ教のラビ(教師)たちも 初めて聞くキリスト教の祈りの音楽に

何千年のイスラエルの民の歴史に満ちた苦しみと悲しみ ホロコーストの恐怖がダブって

強く心を揺さぶられる思いがしたに違いない

 

③ 祈り 

オマリー枢機卿が祈りと祝福の言葉を聴衆に贈る

 

アンコールに応えて シェマ―・イスラエルが再び演奏された

ラビたちは立って声いっぱいに唱和した 夫人たちの目には涙が光っていた

兄である 旧約のイスラエルの民 (ユダヤ人)

弟である 新約のイスラエルの民 (キリスト教徒 / カトリック)

が 互いに許しあい 抱きあい 一つに溶け合う瞬間を キコは見事に演出した

同じアブラハム ・イザーク ・ヤコブの神=ヤーヴェの神=を拝む唯一の民として

ラビたちの歌声は キコのオーケストラの演奏に導かれて

祈りとなって 叫びとなって 天に昇っていく

♪♪ シェマ―・イスラエル シェマ―・イスラエ~ェ~ル! ♪♪

聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。

あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、
子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。

旧約聖書 申命記 6章4節~)

ラビたちは子供のとき母親からこれを暗記させられ いま子供たちに伝え聞かせ 子々孫々に語り継いでいく。


 招待されたラビの代表の挨拶があって、シンフォニーホールは無事終演。引き続き、特別招待者にはホール隣接の広間で晩餐会が用意されていた。次回はそのパーティーの取材に移るとしよう。

(つづく)

~~~~~~~~~

「うーん! 100年見てきたが、こんなことは初めてだな!」

と言う声が、突然天から聞こえてきた。

「えっ? あなたは誰?」 

はっ、と振り向いて上を見ると・・・



声の主 それは

3 階のギャラリーのまだ上 天井近く

100年前からホールの高みで ずっとボストンシンフォニーの歴史を見守ってきた

一体彫刻だった

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