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このままでは明日の日本も香港並みか?
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密かな電話盗聴。スマホのSMSやパソコンメールの監視。ブログの検閲。など、プライバシーにかかわる情報がどんどんチェックされ、削除されていく。日本の社会は既にそういう怖い世界になっているのか、と背筋の寒くなるような名誉な事態が、ついにわが身にも起こった。
今朝、ブログの編集画面を立ち上げたら、上の方に見慣れない赤い文字が並んでいた。何気なく目を落とすと:
アフィリエイト、商用利用、公序良俗等の規約違反により、又は、法令上規定された手続により現在、1件の記事を公開停止させていただいております。
- 該当記事を確認する
記事の再表示をご希望の場合は、該当箇所の修正(テキスト・リンク・画像削除等)をしていただき、gooID・該当記事URLを明記の上、info@goo.ne.jpまでご連絡ください。修正の確認が取れた場合のみ、再表示いたします。
非表示理由は上記「該当記事を確認する」をクリックするか、ブログが表示されなくなったらをご覧ください。
とあった。
グーグルによって「公開停止」の処分を受けた記事を自分で読み返してみたが、テキストの内容に公序良俗や法令に触れるような不適切なものがあったと思い当たる箇所はなかった。ではリンクだろうか。しかし、問題の記事にリンクは一つも存在しない。では、画像だろうか。画像としては写真が4枚貼りつけられているが、もしかしてそれが原因なのだろうか。まさか!
法令上規定された手続により非表示にした理由は「ブログが表示されなくなったら」をご覧ください、とあるので、そこをクリックしたら、驚くなかれ、全4章60条、各条に1~11項、平均4~5項として、合計250項以上の長大な規定が延々と続く。いずれも表現は抽象的で、私のブログの何がどの規定に反したために公開停止処分になったのか、ちょっと目には全く見当がつかない。
私は、卑屈になって、処分側の意向を忖度して、当たり障りのないテキストに書き直してまで、ブログの再表示の許可を求める気はない。よく見れば、2017年7月8日にアップした古い記事で、今頃公開停止処分を受けても何の痛痒も感じない。多くの人に読まれてすでに過去のものとなったブログではないか。
ただ、私のブログの愛読者の皆様には、どんなブログが公開停止処分の対象になったのかを知っておいていただきたいとは思う。皆さんの目から見て、なるほど、それは仕方がない、という内容のものと判断されるか、あるいはこの処分は理由が分からないと思われるか、改めて読んで判定していただきたいと思った。
それで、取り敢えず写真が問題であったかもしれないという想定の下に、そのブログで使用した4枚の写真は削除して、再表示としてではなく、新規のブログとして、類似の論旨をあらためて構築してみようと思った。
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1位は本当に癌なのか? 日本人の死亡原因
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私は或る目的でインターネットを検索中に、偶然一つの漫画と出会った。
「透明なゆりかご」 沖田X華(おきたばっか)著(1-5巻)
【ここに一枚目の写真を入れよう】
(マンガ透明なゆりかごの表紙を私が写真に撮って貼りつける)
副題に「産婦人科医院 看護師見習い日記」とある以外には著者情報のない謎の女性マンガ家の作品だ。
日本では、中卒で准看護学校に入ったものは高卒の年齢で准看護士の資格を得て医療の現場に入ることが出来る。正看護師より一段低く見られながら医療の現場の底辺を支えているのだが、正看より実技に長け、医師や正看の上からの目線が見落としている看護の現場の現実を赤裸々に見つめている者も少なくない。バッカ嬢はそのような女性の一人なのだろうか。
個性的と言えばそれまでだが、この稚拙な絵のマンガの第1巻は215万部突破、第2巻220万部、3、4巻と続いて、第5巻に至っては260万部突破と、その売れ行きは半端ではない。俗物の計算だが、1冊400円の本の印税が40円とすれば、第5巻260万部のX華嬢の収入は単純計算で1億400万円、シリーズ全5巻で合計約5億円になる?まさに「たかがマンガ、されど・・・」と言う他はない。
ではなぜこの漫画がそんなに売れるのか?それはバッカ嬢の堕胎の現実に対する優しい、暖かい、前向きの視点が、日本全国に何百万といる堕胎経験女性のハートを捉え、良心の疼きに触れたからではないだろうか。
【ここに第2枚目の写真】
羊水の中の生きる胎児の平和な横顔。親指を口で吸っているように見える。
(この種の画像はどこにでもある。どこから借用した写真だったか記憶しないが・・・)
准看護士バッカさんの語録をいくつか拾ってみよう。
〇 不思議だ、毎日中絶している場所なのに新しい命が生まれるんだ。(1巻P.21)
〇 産婦人科って毎日が喜びにあふれている場所だと思っていた。このバイトをするまでは。(同P.26)
〇 「ねえ、見える?あれが外の世界だよ。山バッカだけどキレイでしょ」 (バラバラにされた胎児の残骸に山の景色を見せてやる場面)
〇 ムダなことと分かっていたけど、日の光も見ないで暗い所に入れるのはかわいそうだったから・・・そして、いつものようにお別れを言いながら棺を持って歩く(業者に火葬のために渡すまで) (同P.25-26)
〇 マニュアル通り流産、中絶した胎児の処理をする、これが私の仕事だった(同P.79)
〇 男は逃げることが出来るけど 女は 全て背負わなければならない たとえ心の準備が出来ていなくても・・・(同P.87)
〇 (堕ろされた)胎児はエタノールにはいると鮮やかな朱色になって光り輝く(同P.98)
〇 何もしゃべれないのに・・・その存在だけで人の命を救うなんて 赤ちゃんてすごいなあ 生きようとする力で みんなに希望を与える 赤ちゃんは「生きるかたまり」 命そのものなんだ・・・(2巻P.24)
〇 (捨て子) よくぞ この子を殺さず 捨ててくれたと思った この子は 置き去りにされたから 生き残ることが出来たって・・・ 逆に親に感謝したい気持ちになった・・・ きーよしー こーのよーる ほーしは ひーかりー (3巻P.66)
〇 命に代えてもやりとげたいことって 人生にどれぐらいあるんだろう
「子供を産むこと」は そのひとつかもしれない(同P.99)
〇 何故「透明な子」は出来るのだろう
一度「透明な子」になったら子供達には過酷な運命が待って居る
でもその中で子供は 色々な夢や希望を思い描き
必死で自分が絶望に引き込まれないようにしている
その願いが届きますように 救われますように 少しでも幸せになりますように
私は祈ってしまうのです。(4巻P.40)
〇 授かった命には死産でも中絶でも皆意味と役割がある(5巻表紙)
では日本の中絶件数は公式統計ではどうなっているのだろうか。(公式統計に表れない数はどれほどだろうか?無視していいほど少なくはないはずだが・・・)
国の統計が把握した日本人女性の中絶件数は、 1955年 117万件 だった。
件数は減少に転ずるが、その後も6年間は100万件の大台を維持した。
100万件を割ったのは 1962年 98.5万件
1963年以後も中絶件数は減少を続け、 1993年 38.7万件
何故1993年の数字が大事かと言うと、それはこの年の妊娠中絶件数が最近の日本の死亡原因第1位とされるの癌による死亡者数、37.0万人を超える最後の年だったからだ。つまり、1933年以前の日本では、常に堕胎が日本人の死亡原因の第1位であって、癌は2位だったことを意味する。
人は言うかもしれない。胎児は人間には数えない、出生して初めて日本人の数に入る、と。もしかしたら、あなたもそう思っている一人かもしれない。しかし、沖田X華(おきたバッカ)著のマンガ「透明なゆりかご」を密かにむさぼり読んで涙した大勢の中絶経験者の女性たちは、その意見に同意しないだろう。
因みに、最近の厚生労働省の統計「日本人の死亡原因」(2016年6月2日)によれば、その順位は:
① 癌 28.7% 37.0万人
② 心臓病 15.2% 19.6万人
③ 肺炎 9.4% 12.1万人
④ 脳卒中 8.7% 11.2万人
⑤ 老衰 6.6% 8.5万人
⑥ 事故 3.0% 3.9万人
⑦ 自殺 1.8% 2.3万人
⑧ その他 26.6% 34.3万人
となっている。
もし、老衰、事故、自殺が日本人の死亡原因の中に数えられるのなら、老人以上に弱い立場にある無抵抗の胎児の他殺(しかも母親の決断による)はどうして死亡原因として挙げてはならないのだろうか。
堕胎した女性はそれが9週目であれ、それ以前の小さい命であれ、自分が堕したのは紛れもない自分の子供であり、一人の人間であることを本能的に知っている。
【ここに第3枚目の写真】
片腕と頭部と右腕がちぎれて横に置かれ、首のない胴に続く股は大きく開いてお腹からは太くねじれたヘソの緒が長くくねっている。思わず目を背けたくなるような写真。
【続いて第4枚目の写真】
胴のところで上下真っ二つにちぎれ、胸には左腕、右腕と頭部は別々に離れ、部位の分からない肉塊と共にバラバラになった胎児の写真。
いずれも堕胎の際に掻把で破壊され殺された胎児の無残な姿だ
(この2枚ともアメリカのカトリック司教協議会傘下の反堕胎運動 “Prolife” の日本版「プロライフ」のクレディットの入った写真だ)
この2枚の写真を見ていただきたい。アウス(掻把)されてズタズタになった命のカケラをガラスのシリンダーに集めるのも、准看護婦見習いバッカちゃんの毎日の仕事だが、業者は病院を回ってそれを集め、マニュアル通り火葬に付す。と言うことは、日本の社会もそこに人間の生命の尊厳を認めている証拠ではないだろうか。
胎児も500グラムほどになると、野蛮な掻把の対象とするのは母体に危険なのだろうか。人工的に強制分娩で取り出すが、呼吸して弱々しい産声を上げるのもいるそうだ。放置すればすぐ死ぬとしても、その気になれば、今の医療は滅菌保育器の中で未熟児として生き永らえさせ、哺乳して育て上げる技術を確立している。だから出生前の胎児は人間ではないと強弁することにはどうしても無理がある。だとすれば、堕胎もれっきとした日本人の死因の一つだと言うほかはない。
では、かつて日本人の死亡原因のトップだった堕胎の直近の数字はどうか。2009年には22.3万件だったが2017年は約20万件だそうだ。つまり、癌に次いで第2位、そして、心臓病19.6万人が第3位でそれに続く。
ふーん、今はそういうこと。堕胎が1位でなくなってひとまず良かったね、と妙な安ど感で話はお終いなのだろうか。バッカちゃんの「透明なゆりかご」はそこまでで一区切りつけて、それ以上追及していない。
と言うことは、過去はともかく、やはり今日の日本の死亡原因の第1位は「癌」の37万人と言うことか。そして第2位が「堕胎」の20万人、第3位が「心臓病」の19.6万人・・・と続くのだろうか?それでは当たり前すぎて、このブログ面白くもなんともないことになってしまう。それでいいのか?いいわけがない!
私はこの際、乗りかけた船で、なお隠されている真実に向き合わずにはいられないのだ。だから・・・(私はこの後2回にわたって、ブログを通して、どっこいそうではない、やはり堕胎が1位だという話を展開した。)
(続く)
さて、ブログ愛読者の皆さん。上の記事を見てどう思われましたか。これのどこが公序良俗に反し、あるいは法令に触れる「公開停止処分」に該当するのでしょうか。「1位は本当に癌なのか? 日本人の死亡原因」という設問自体が厚生省かどこかの意向に沿わなかったのか。さもなくば、ただ出典不明の写真(羊水の中を漂う胎児)が一枚混ざっていたことが法に触れたのか。写真を外して再構築したこの新しいブログが、再び「公開停止処分」を受けるかどうかで、問題の本質が消去法的に明らかになるのではないでしょうか。
なお、2017年7月21には「日本人の死因はやはり癌ではなかった」と、同年7月25日には「=反響=癌は死因の第1位ではなかった」という二つのフォロー記事が今も「公開停止」処分を受けずに残っているので、興味のある方は併せてご覧ください。
驚きました。
善良な(?)一市民と思っている私たちの身の回りにも、監視の目、障子の穴があるのでしょうか。空恐ろしく思います。
神父様のこのブログは、まだ記憶に残っています。(大変失礼ながら)教会や信仰のことを書かれた内容については、拝見した時には、感動したり、同調したり、神父様の博識や見解に敬意を表したりいたしますが、その一つ一つを記憶に残してはいません。
しかし、ブログの内の幾つかは長く残ります。それ程、あのブログは問題を提起してくれました。
しかし、読後、ほのぼのとした気持ちになったり、神に額ずき、心から頭を垂れる心境にはなれませんでした。余りに生々しいい実態、人間のはらわたを抉るような、人間の業とでもいえるような、心の底の罪に近づいていたからです。
私たち凡人は、日常の生活において、大なり小なり常に罪を犯し、その罪を何かにカモフラージュして生きています。そうしなければ生きられません。恥ずかしい事や人殺しのような大罪に向い合うこと等避けたいことです。神や仏、天は私の行動の一部始終をご覧になっており、隠すことなど不可能なことと知っていても、やはり素知らぬ顔をしているのです。悪い奴です。
もし、その罪に面と向かい、自己に立ち向かうには、相当の覚悟を持った修行、自我・本性を凌駕する戦いに挑み、神や仏の世界に近づくための試練に耐える戦いに挑む必要がある、と思うのです。しかし、ほとんどの人間はこのような戦いは好まないでしょう。神父様の5月22日付けブログには、キリスト教ですら、時代の変化と共に、現世の利益を求める様になったと、嘆いておられます。
善悪、正邪を措けば、現在の世相、一般社会人の常識は、何が本質か・・と問うよりも、多くの人々の感情や感性に同一化して生きています。「赤信号みんなで渡れば・・」です。
神父様の捉えられる「真実」は、残念ながら現代社会では、(重要ではあるが)あえて目を背け、見て見ない振りしながら過ごしているのではないでしょうか。
私は「公序良俗」ついて、法律的見解も知識もありませんが、今日の良識「公序良俗」の判断基準は、神父様の書かれたブログの内容が、「公序良俗にそぐわない(違反)」と判断するレベルでしかなくなっている、と思うのです。
神父様が常々指摘されている、現政権の良識も「信」も同様ではないでしょうか。
感想として述べるには、余りにも稚拙ですが、思いつくまま書きました。 (U.T.)