★回想「田村塾」のことは、この(その3)でお仕舞いです。細かい字の難解な長文にもかかわらず、たくさんのアクセスを頂いて恐縮しております。
野尻湖のウサギ (野尻では、私はこんな姿で棲息しています)
「田村塾」のこと (その-3)
第二バチカン公会議は今
しかし、第二バチカン公会議の新しい指針は、カトリック教会の大多数から直ちに理解され、危機感を伴って受け入れられたわけではなかった。
公会議の決定に頑なに背を向け、声高に反対を唱えたルフェーブル司教が破門され、彼が教皇の警告に反して叙階した司教や司祭たちも、同様に今なお破門状態にあるのは、大改革にありがちなまことに不幸な例外と言わざるを得ないが、大切なのは、教会に留まり、今もカトリックの信仰を生きている信徒や聖職者の間で、この公会議の意味と重要さがどの程度まで理解され、受け入れられ、実践されてきたかである。
第二バチカン公会議が幕を閉じて、早くも半世紀近い歳月が流れたが、教皇のお膝元のイタリア、ローマにおいて、また特に、ローマから最も遠い日本の教会において、その改革がどこまで実を結んだかは、今あらためて冷静に検証される必要がある。
地球規模の情報化に伴って、恐ろしい勢いで神不在の世俗化があらゆる場所に浸透している。現代世界においては、かつてのキリスト教社会における教会と世俗の権力との蜜月関係は、既にとっくの昔に終わっている。この世の支配者がキリスト教の衣を脱ぎ捨てて、その本性を露骨に現しはじめているのに、この厳然たる事実から目を背け、今なお過去の幻想に生きようとする教会、またそのような教会の現状に無批判にしがみついている宣教地の教会は、これから先、一体どうなっていくのであろうか。
現実社会では、圧倒的多数の信者は既に生活の根底から世俗主義に汚染され、その軸足を完全に世俗主義的価値観に置いている。世俗社会が少子高齢化していく中で、教会社会においてもそれに正比例して信者の家庭の少子高齢化が進んでいるのが、その明らかな証拠である。
神様の摂理に敵対し、新たな生命の恵みを拒否する少子化は、物欲と快楽を極限まで追求しようとする現世主義、自己中心主義の明白な印であり、信者の魂の世俗化の度合いを示す目に見えるバロメーターでもある。そしてその先頭に日本の教会がある。
日本では、世俗化に毒された信者たちは、子供たちにより高い教育と、より収入の多い仕事を与え、より多くの財産を残すことには熱心でも、信者である親自身が、信仰の賜物を何物にも換えがたい最高の宝だと思っていないから、子供たちに信仰を受け渡すことにはほとんど情熱を感じていないように見受けられる。無論、それは日本だけの現象ではないかもしれない。事実、伝統的キリスト教国においてさえ、子供が生まれても洗礼を授ける例がめっきりと減ってしまった。子供たちは、伝統的風習として幼児洗礼を受けても、親から霊的に養われないから、世俗主義に抗して思春期を越えて信仰を保ち続けるだけの内的な力を欠いている。そういう社会では、たとえ生物学的に子供が生まれたとしても、信仰的には死産したのも同然である。大人の信者が、自分の子供に信仰を伝える活力を失っているのだから、少子化により社会の人口が徐々に減少していくよりもはるかに速い勢いで、教会から信者の姿が消えていくのは当然である。信者が減れば、そして特に子供たちに信仰が伝わらなければ、明日の教会を導き、福音宣教の先頭に立つ司祭や修道者が生まれないのも必定である。
公会議は、それに対する根本的改革、問題解決の指針を40年以上前に示している。それなのに、その指針を無視して、信徒の数が減少するのを当然の前提とし、教会の統廃合や、いわゆる共同司牧などの小手先の対応で済まそうとすれば、たとえ今日、明日の辻褄を合わせることが出来たとしても、また、過去からの遺産を食い潰すことにより現在の教会の指導者、聖職者、修道者の老後の生活が安泰であったとしても、迫り来る教会の壊滅の危機を回避し、信仰の遺産を未来に受け渡することは全く絶望的である。神なき世界に喘いでいる1億3000万の日本人の魂に対する福音宣教の責務を放棄したと言うほかはない。それでは、神の国を託された牧者としての使命を果たしたとは言えないのではないか。審判の日、なんと弁明すればいいのだろう。
未来への展望
私は、1989年の終わりごろから8年間、神学生としてローマにいたから、直接に関与することはなかったが、日本で教会を挙げて公会議のことが声高に叫ばれた最後の機会は、ナイス-I、-II の頃ではなかったろうかと思う。それらがいずれも掛け声とお祭り騒ぎだけに終わって、その後の教会の決定的、抜本的改革には繋がらず、結局、公会議前の体質から脱皮できないまま今日に至ってしまったのではないかと思う。
小さきもの、貧しいもののところへ出かけていって関わろうとする、散発的な善意の試みが無かったわけではない。しかし、教会全体としては、軸足があくまでも公会議前の体制に残っていて、自らの内的小ささ、貧しさに向き合う基本的な姿勢の転換、集団的な回心には繋がっていかなかったように思われる。
強者との馴れ合いの時代の心地よさへの郷愁から、とっくに強者に棄てられている現実に今もって正面から向き合うことが出来ず、強者が少子化を推し進めれば、自らも率先して少子化への道を邁進する信徒たちの中に、また自ら進んで回心し、信者らの意識の改革を促すだけの霊的な活力を欠いた教会指導者たちの中にも、公会議の刷新の影響はほとんど見られないと言っていいだろう。挙げて、生命の恵に背を向けた死の文明に完全に毒されている。
公会議後の教会は家庭の重要性を強調しているが、そこで言う家庭とは、「中国の一人っ子政策」を先取りするかのような「産まず女」的信仰の場のことを意味するものではない。公会議は、至聖三位一体の内面に満ち溢れる愛にかたどられ、その果実としてのたくさんの子供たちに恵まれた豊堯な家庭をイメージしているのである。
この世では、小さく貧しく、また、たとえ社会から疎外されることになったとしても、世俗化の流れに逆らって公会議の精神を忠実に生き、神様の摂理に信頼して常に新たな命の賜物に対して開かれた、豊かで英雄的な夫婦愛の営みを証しする家庭に対しては、神様の恵みと祝福があふれるほど注がれるに違いない。
しかし、問題なのは、そのような家庭は、強者の側に軸足を置いた従来の教会社会の中では生きていけないという現実である。個人主義、利己主義、自己責任主義に支配され、個々の家庭がばらばらに孤立した教会共同体には、そういう貧しい子沢山のカトリック家庭のために全く場所がないという現実がある。教会共同体全体が回心して、そういう家庭がたちまち直面する住居費、教育費などの諸問題を他人事とはせず、自分たち自身の問題として受け止めて、経済的、精神的に暖かく支援する体制が絶対に必要である。
もしも、教会の最小単位である家庭がたくさんの子供たちに恵まれ、教会共同体が一体となって、物心両面からその命に満ちた家庭を護ることに成功すれば、教会は若い信徒にあふれ、再び司祭、修道者への多くの召命に恵まれ、やがて多くの牧者と宣教者を迎えることになる。そうなれば、教会は周りの神なき社会に対して、福音を述べ伝える活力を再び取り戻すことが出来るだろう。
しかし、教会の指導者が今もって公会議以前のコンスタンチン体制による強者の宗教の幻想にしがみつき、世俗主義に妥協した信仰に基づいて、クリスチャンホームの少子化を当然の前提として教会の未来を設計するならば、バブルがはじけて景気が悪くなった世俗の業界同様、合併や整理・統廃合による小教区や修道会の縮小均衡しか方策を思いつかないとしても何の不思議もない。それは、神無き俗世社会の浅知恵と同列である。これが、日本の教会の今日の姿ではないだろうか。
しかし、ここに公会議の改革を忠実に実践し、コンスタンチン体制以前の弱者の宗教としての本来のキリスト教の姿に立ち返り、回心と洗礼の豊かな恵に生きようとする新しい共同体が息吹き始めている。
若い家庭には子供たちが溢れ、その中から司祭職や観想修道生活を志す豊かな召命が生まれている。伝統的神学校が軒並み召命の減少を嘆く中で、彼らを受け入れる神学校は多くの志願者で活気に満ち、高齢化が進んでいた観想修道女会にも若い後継者が生まれている。
子供たちは両親から生きた信仰を受け継ぎ、周囲の世俗主義に流されることなく、思春期の困難な時期を乗り超えてその信仰を守り抜き、やがて同じレベルの信仰を生きるもの同士が信仰によって結ばれ、その新しい家庭はまた、多くの子供たちに恵まれるという、豊かな循環が機能し始めている。それこそ、第二バチカン公会議を家庭において生きる道である。
日本を筆頭に、第一世界の一家庭当たりの出生率が軒並み1.3前後であるとき、それらの国のカトリック家庭の平均出生率も、それと大差ないのが現実である。しかし、この新しい共同体に限って言えば、その割合は平均で5前後であると言われる。10人もそれ以上もの子供を擁する家庭も決して少なくない。そればかりか、望んでも子供に恵まれない夫婦の場合、3人、5人の養子を迎えるケースも稀ではないのである。ちなみに、平均5人の子供という数字は、第3世界の多くの国々や、回教圏の数字をも上回るものである。
公会議の改革を真剣に生き、コンスタンチン体制以前の教会に回帰し、オプションフォーザプーァ(貧しく生きる者の側に立つこと)を選択して、新しい生命の賜物に対して寛大に、英雄的に開かれた家庭の群れに対して、公会議後の教会を導いてきたパウロ6世、ヨハネパウロ2世、ベネディクト16世の三代の教皇が、一致して熱い期待の眼差しと豊かな祝福を送ってきたのは当然といえる。
むすび
公会議の精神を誠実に生きる新しいキリスト教が、現代世界の貧しい人々の間に広まっていくなら、世俗社会の支配者に対して教会は再び無視できない脅威として対峙することになるだろう。コンスタンチン体制以前に厳しく存在した聖と俗の間のあるべき緊張関係を、第三千年期に入った教会は再び取り戻さなければならない。
私が、田村譲次さんを偲んでこのような総括をすることが出来たのは、半世紀近く前に、聖イグナチオ教会の入り口で、毎朝、田村さんを囲んで熱く教会の未来を語り合った日々のお陰であると考えている。その意味で、私は「田村塾」の正統・忠実な塾生であったと自負している。
あの頃の若い仲間たちの中から後に司祭になったものは、そのほとんどが真直ぐ神学校に進んだ。従って、今日の日本のカトリック教会を支え導いている65歳以上の司祭たち、司教たちの多くは、公会議前の、つまりトレント体制の、もっと広く言えば、コンスタンチン体制下の教会の養成を受けたはずである。
一方私は、ドイツ、アメリカ、イギリスの三つの異なる国際金融市場に働き、海外を転々とする長い放蕩の旅路の末に50歳で神学校に入ったから、公会議後の神学がすでに成熟し十分に形を整えた時期に、ローマのグレゴリアーナ大学でゆっくりと8年間に亘って勉強することが出来たから、年齢的には彼らと同世代でありながら、公会議後の新しい神学で養成を受けたことになる。この違いは大きい。これは神様の大きなお恵みだったと思う。今まで述べてきたようなことが自然に頭に浮かぶのは、恐らくそのためであろうと思われる。
私にとって「預言者」であり「養育係」であった田村譲次さんは、私が今、紆余曲折の放蕩人生の末にこのようなことを書いているのを見て、天国からどう思っているだろうか。彼のコメントはいつも辛口であった。早く天国に行って、口角に白い泡をためて、煙草をくわえた口をゆがめながら笑って話す彼の言葉を直接に聴きたいものである。
私は、あの懐かしい四谷の聖イグナチオ教会の時代を含む今日までの足取りをローマでサバティカルを楽しんだ昨年9月に1冊の本に纏めた。毎日新聞に好意的な書評が載ったことも幸いして、一年を待たずに再版にこぎつけることが出来た。この短い文章の背景として、また参考文献として、それについて一言ふれて筆をおきたいと思う。
それは、「バンカー、そして神父」-放蕩息子の帰還-、谷口幸紀著(231ページ)、亜紀書房(2006年9月)という本である。新宿の紀伊国屋や四谷のサンパウロなどにはあるようだが、直接亜紀書房に注文するか、インターネットのアマゾンなどで取り寄せることも出来るから、是非ご一読くださるよう強くお薦めする。
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