【書評】「LGBTとキリスト教――20人のストーリー」(中)
私たちは、意図して阿(おもね)る“なりすまし”を区別する
見識を持てるか――共感を寄せる前に取り組みたい「心理学」的考察
評者/司祭 谷口幸紀
LGBTへの対応――日本の現状は
県や区の条例に見る行政の姿勢
日本という国は政府のトップから末端の行政機関まで、自分で確固たる価値基準を持たないために、海外でスポットライトを浴びて議論されているホットな話題は先進的でカッコ良いと思い込んでいるのか、いち早く無批判に飛びつく悪い癖がある。LGBTはまさにその一つだと言えよう。
東京・渋谷区では、「男女・性自認・性的指向をめぐり現実に起こっている多くの問題を改善し、多様な個人を尊重しあう社会を実現するため」として、2015年4月1日に「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」が施行された。
同区では、「この条例に基づき、性的少数者の人権を尊重し、性のありようにかかわらずだれもが活躍できるジェンダー平等な地域社会の実現にむけて取り組みを進めています。パートナーシップ証明は、法律上の婚姻とは異なるものとして、男女の婚姻関係と異ならない程度の実質を備えた、戸籍上の性別が同じ二者間の社会生活における関係を『パートナーシップ』と定義し、一定の条件を満たした場合にパートナーの関係であることを証明するものです」と説明する。
また、埼玉県議会では既にLGBT条例が成立しているが、その第1条(目的)で、「この条例は、男女という二つの枠組みではなく連続的かつ多様である性の在り方の尊重について、その緊要性に鑑み、性的指向及び性自認の多様性(以下『性の多様性』という)を尊重した社会づくりに関し、基本理念を定め、県、県民及び事業者の責務を明らかにするとともに、性の多様性を尊重した社会づくりに関する施策の基本となる事項を定めることにより、性の多様性を尊重した社会づくりに関する取り組みを推進し、もって全ての人の人権が尊重される社会の実現に寄与することを目的とする」と謳(うた)い、第2条(定義)では、「この条例において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる」として、①性的指向 自己の恋愛又は性的な関心の対象となる性別についての指向をいう ②性自認 自己の性別についての認識をいう ③パートナーシップ・ファミリーシップ 互いを人生のパートナー又は家族として尊重し、継続的に協力し合う関係をいう――と規定している。
一応もっともらしい作文がなされているが、“ジェンダー先進国に追従するのが進んだ自治体だ”とする風潮に流されているだけのことで、その先進国がいま直面しているさまざまな不都合が今後日本でも発生するようになったとき、どう対処するつもりかについては何も考えていない。
さらに、今年(2022年)9月15日の東京都議会の文教委員会では「女性用トイレの維持及び安心・安全の確保に関する陳情」が審査され、満場一致で「不採択」になった。この勢いで9月20日には「東京都職員の福利厚生の条例改正案」が提出される予定だが、これは11月1日の「東京都パートナーシップ制度」のスタートに合わせるための手順。東京も渋谷区や埼玉県と同じ方向に進みつつある。
ノートルダム清心女子大の取り組み
カトリック女子修道会が経営するノートルダム清心女子大学(岡山)のウェブサイトを開くと、いきなり《重要なお知らせ》として、「2023年度からの多様な学生の受け入れについて/学長メッセージ」という記事が目に飛び込んでくる。主な部分を引用しよう。
――〈ノートルダム清心女子大学は、本学の教育理念の実現に向け、自身の性自認にもとづき、本学で学ぶことを希望するトランスジェンダー女性(戸籍上男性であっても性自認が女性である人)を2023年度から受け入れることを決定しました。
トランスジェンダー女性は「多様な女性のうちの一人」です。出生時の性(戸籍の性)が男性であることに違和感があり、自認の性(女性)で生きることを切望している人です。
本学では、それぞれが自分らしく生きることができるよう様々な場面で、共生社会に向けての学びの機会をこれからも作って参りたいと思います。
ノートルダム清心女子大学学長 シスター 津田 葵〉――
これに対して、「NO!セルフID 女性の人権と安全を求める会」は同大・津田学長宛に、「女子大である貴学が2023年度からトランスジェンダー学生を受け入れるというニュースに接してたいへん驚きました。これは一大学の方針転換にとどまらない大きな問題だと考えます。そのため、女性の人権と安全を求める立場から、いくつかの看過できない問題を指摘するとともに、強い抗議の意思を表明いたします」という文書を送った。理路整然とした抗議文は、拙稿書評の内容とも整合している。
ノートルダム清心女子大がここで男女共学に踏み切らなかったのは、女子大としての特色は残したいが、少子化による定員割れを恐れて、〈性自認が女である男性〉も受け入れよう――ということなのだろうか。
同大学の『トランスジェンダー女性受け入れガイドライン』は、起こり得る不都合を想定したのか、「虚偽の性自認による“なりすまし入学”が発覚した場合には、学則に基づき退学処分にする」と書いている。
しかし、入試願書に「わたしの性自認は《なりすまし》です」と書けば受験は許可されないから、“確信犯”的受験生なら「わたしの性自認は女性であることに間違いはありません」と虚偽の記載をするに決まっている。とすれば、トランスジェンダー学生全員に“なりすまし”の疑惑が最初から付き纏(まと)うことになるのではないか。
万一、学内でレイプ事件が起きたら、一人の学生の退学処分だけでは済まされないだろう。女子学生や父兄の動揺は小さくないだろうし、翌年以降の入試にも影響するに違いない。女子大としては存亡にも関わる深刻な問題ではないか。だから、トランスジェンダー学生に門戸を開いた女子大の学長は、いつ起こるか分からない事件の影に日夜怯(おび)えることになるだろう。
そもそも、学長のシスターは、ナミュール・ノートルダム修道会の修道女である。それならば、同修道女会に「わたしの性自認は女です」と自称する男性信者が入会を申し込んで来たら、本人の自己申告を根拠として入会を認める覚悟があるのだろうか。「とんでもない。そんな人は断固受け入れません」と言うのであれば、なぜ同じ会が経営する女子大に「性自認は女」を自称する男子を受け容れることができるのか。そんなダブルスタンダードが社会に通用するわけがない。
このような重要な決定を、国際本部の総長の承認なしに、日本管区長の了解だけで行い得るのだろうか。カトリック教育を所管するバチカンの監督官庁はどう考えているのか?
まだある。在学生は今のところ皆、この大学は女子大であると信じて入学した女子学生ばかりだ。「来年から“女性を自認する男子”を受け容れる」という突然の発表に接して『裏切られた』と感じる学生や父兄がいないだろうか。いまさら転校もままならず、“清心卒”の肩書を期待していた学生は身動きが取れない。せめて現在学生が卒業し終わる4年後まで猶予期間を設け、来年以降の入試要項には「2026年からは《性自認が女性の男子学生》も受け容れます」と予告するだけの配慮が必要ではいか。このままでは拙速の誹(そし)りを免れまい。
ICUは“オールジェンダートイレ”で物議
プロテスタント系ICU(国際基督教大学)のオールジェンダートイレの問題にも言及しておこう。
男女共学のICUは、もともと性の多様性に配慮した取り組みを積極的に行ってきたといわれる。一部の建物を除き、「全ての男女トイレの区別を廃止して、誰でも入れるオールジェンダートイレのみとする改革」に携わった学生部長の加藤恵津子教授は、取り組みの必然性をこう述べている。
「オールジェンダートイレの設置は、人権を大切にするICUのポリシーであり、メッセージでもある。どんなジェンダー、セクシュアリティー、障害、人種にせよ、どんな背景を持っていても、人間が人間である限り全員平等でなければならない。人間が全員持っている、幸福で安全に暮らす権利なんです」
しかし、これは女性に対する配慮を欠き、性犯罪を誘発する可能性を孕(はら)む“悪しき改革”なのではないか。ハリーポッターの作者・ローリング女史が警告したのは、まさにこのような事態だった。そしてただそれだけで、彼女は殺害予告の脅迫を受けた。
LGBT 論者が「トランスジェンダー女性は『多様な女性のうちの一人』です」というとき、論者は「その女性が神様から戴いた身体(からだ)は依然として男性である」という厳然たる事実から目を背けている。心は女のつもりでも、性欲の興奮を覚えれば、反応するのは“彼女”の中の“男としての肉体”だ。女囚の監獄で性自認の囚人がレイプ事件を起こすことがあるのはその証左である。
トランスジェンダーイズムの嘘
――LGBTに関する不都合な真実
性転換悔悟“Sex Change Regret”
私は我那覇真子(ガナハ・マサコ)という女性がウオルト・ハイヤー(Walt Heyer)という心理学者とアメリカのノースカロライナで行ったインタビューをYouTubeで見た。
ハイヤー氏は性転換手術を受け、48年間ローラという名の女性として生きてきたが、カリフォルニア大学サンタクルーズ校で心理学を専攻し、その研究を通してトランスジェンダーを克服して“Sex Change Regret”(性転換悔悟)という理念に到達し、De-transition”(転換消去)という方法を用いて、いわゆる「性転換」を行って後悔している人々に、本当の人生を取り戻す手助けをしている。
ハイヤー氏は日本ではまだほとんど知られていないが、この十数年間で数千人のケースに関わったという。彼のウェブサイトには200万件のアクセスがあり、1万通以上の問題メールに対応してきた。結果、180ヵ国に援助の手を差し伸べ、多くの人々をジェンダーの苦しみから救い続けているという。
このインタビューからは、いま世界を席巻しているLGBTの問題、世界の隅々まで浸透しつつあるレインボーキャンペーンに冷水を浴びせ、LGBTの仮面を剥(は)ぐ数々の真実が見えてくる。
ハイヤー氏の主張「ホルモン療法や
性転換手術は史上最大の医療詐欺」
若いころ、自分の性的アイデンティティーの悩みを持ったハイヤー氏は性転換ができるというクリニックの宣伝を信じて「性転換手術」を受けた。が、彼の心の問題は解決しなかった。そしてその後の心理学の研究によって、それがまやかしであったことに気づいた。
彼は、彼にホルモン療法や手術行った外科医をカリフォルニアの裁判所に訴えて、彼を男から女に変えたことを証明するよう求めた。しかし、被告はそれができなかった。そして、彼はその医師から「施した処置では性別を変えることはできない」ことを認めた文書を取り付けた。
それらの処置は男性の外見を少し変えただけで、〈術後も男性であるという事実はいささかも変らない〉という当たり前のことが確認され、それらの処置を「性転換」手術と呼ぶのは、「医療詐欺」以外の何ものでもないことが証明された。
LGBTの「T」は大ウソである
歴史上かつて誰一人として「男」から「女」に、またはその逆へと、性を移行した者はいない。人の性別は精子と卵子が結合した瞬間に確定し、個体を形成するのであって、それが変わることは生涯にわたって原理的にあり得ないのだ。だから、性別のトランジション(移行または転換)があったかのように語るジェンダー論は「大ウソ」以外の何ものでもない。
宝塚の少女歌劇で女性が男役を演じる、歌舞伎役者が女形(おやま)を演じる、能楽師が女の面をつけて舞うからと言って、役者・俳優の人間としての性別が変わるわけではない。変わったのは「ペルソナ」だけである。「ペルソナ」とはもともと、ギリシャ語の仮面劇で役者がかぶる「仮面」のことだった。男が女の仮面をかぶっても、演じているのが男であることに変わりはない。今はやりの「性自認」も同じで、そこには「わたしの自認する性は女性であると主張する男性」がいるだけのことで、生物学的にも人間としても、彼の性別が変わったわけではない。
ジェンダーディスフォリアの訳が「性同一性
障害」なら、性別の問題とは何の関係もない
「ディスフォリア」は「ユウフォリア」(幸せを感じる、満ち足りている)の反対の「不幸感、失望感、つまり、自分(の性)が好きになれないこと」を意味し、それは何かの原因に由来する「症状」を示している。
たとえば「熱がある」「味がしない」などは「新型コロナウイルス感染症」という病気の症状であって、病気そのものではない。同じように、「性同一性障害」とは「自分が好きになれない」何らかの問題(原因・疾患)の表われ(=症状)であって、その症状の原因である「疾患(病名)」を特定し、それに対応した適切な処置(治療)を施さなければ、決して問題の根本的解決にはつながらない。
だから、「性同一性障害」の本当の原因とは向き合わず、「その『病気』にはホルモン療法や性転換手術が効く」などと言ってそれらの処置に誘導するのは、明らかに「医療詐欺」である。
それは状況を悪化させるだけでなく、悪くすればその人を精神的、あるいは肉体的な「死」に至らしめる。事実、性同一性障害者の自殺率は、「詐欺的な手術」後に19倍に跳ね上がっている。
「なぜ自分が好きではないの?」と言う問いの重要性
この世には「不変の真理」というものがある。「三角形の内角の和は180度」とか、「人は理由なしに嘘をつかない」などがそれだが、「社会的、心理的に、感情的、性的にも満ち足りている人は、自分の性を変えたいと思わない」というのも、その種の真理の中に含めていいだろう。
前述のハイヤー氏自身は、専攻した心理学の研究を通して、自分に内在する問題点に辿り着き、それを克服した。彼の場合は、4歳ごろから祖母に女子用の服を着せられ女の子のように育てられたが、それを嫌った父親から暴力的に矯正され、叔父から性的虐待を受けたこともあって、結婚後もアルコール依存で自己破壊的な人生を歩んだ。しかし、心理学の研究を通してそれらの体験を克服し、今は人を助ける立場にいる。
「自分を好きになれない」「自分を変えたい」背景には、何か「自分を嫌いになった原因」が常にあることを、彼は自身の体験から会得した。だから、相談に乗り、一緒に時間を過ごすうちに、100%の確率で必ずその人に起きた「何か」を知ることになる。
“自分ではない別の誰か”になりたい人々の多くは、性的虐待(レイプ)を受けたり、精神的虐待や肉体的虐待を受けたり、罪を犯してしまったり…… といった体験を持っていて、自分を嫌いになる何らかの原因が必ずそこにある。その原因が特定できれば対処も可能で、対応が進めば再び自分を肯定し、好きな自分を取り戻すことが可能になる。騙(だま)されて「医療詐欺」であるホルモン療法や性転換手術に至る前にこの対応がなされた人は幸いだ。
だが、不幸にして騙された後で気付き後悔した場合でも、ウオルト・ハイヤー氏が48年かけて問題を克服し、今は多くの犠牲者を救っているように、“Sex Change Regret”(性転換悔悟)を通し、“De-transition”(転換消去)によって、再び自分を好きになることができる。
自分を好きになれず、自分を消し去りたいと思う人は自殺を思う。生きたまま別の誰かになりたい、性を変えようとすること、つまり、「トランスジェンダー」を試みることは、生きたまま自殺を図る行為であり、外科的処置を受けることは、命を構成する37兆個の細胞の数パーセントに対して自殺を決行することである。しかし、からだの一部を切除しても死に切れず、自分の人格崩壊が深まるだけに終わる。
彼女(彼)の周囲にいる者は、対象者が問題の本当の原因に辿り着くために、「なぜ自分が嫌いなのですか?」「なぜ自分を破壊したいのですか?」「自分が嫌いになるほど恐ろしかったとは、何が起こったのですか?」と問い続け、対象者が思い出したくなかった、誰にも言えなかった出来事を、忍耐強く優しく寄り添うことを通して、答えてもらわなければならない。なぜなら、そこには必ず何かあるからだ。
そこから見えてくるものはさまざまな「社会的人格的外傷」、例えば性的虐待、精神的虐待、肉体的虐待などによるPTSD (心的外傷後ストレス障害)、統合失調症、Ⅰ型双極性障害――等々である。ハイヤー氏と同様の活動をシアトルで行っているグレース・ダンカンという女性によれば、彼女が相談に乗った女性は100%、性的虐待を受けているということだった。
さらに、ポルノ依存症も原因の一つになる。アルコール、薬物、ギャンブルなどの依存症が人間の脳を破壊するのと同様に、ポルノ依存症は脳を物理的に破壊する。また教育の現場において幼児、低学年児童に対し「性別は自由に選べる」と教え込む、悪しき洗脳教育もある。これは非常に有害で破壊的ないわゆる「文化的マルクス主義」のなせるワザだ。子供たちの〈自分についての考え方〉を変え、両親に対する考え方、人生の捉え方、性別に関する考え方をも変えてしまう。子供たちを洗脳すれば、男女関係を破壊し、人生の土台を形成する「家庭」を破壊し、次の世代を破壊し、国を破壊し、世界とその歴史を滅ぼすことができる。
アメリカでは浸透しにくい正論
ハリーポッターの作者、J・K・ローリング女史が、LGBTに反対の声をあげた結果として多くの殺害予告を受けたように、ウオルト・ハイヤー氏も自身を危険から護る必要性を感じている。LGBTが社会的勢力を伸ばしているアメリカで、ハイヤー氏は自分の住所を隠すなどの防衛策を取っている。
彼の正論――すなわち、トランスジェンダーは「虚偽」であり、ホルモン療法や性転換手術は「悪質な医療詐欺」であるという真実――を、歯に衣着せずに語る人は、闇の勢力を苛立(いらだ)たせ、怒らせ、潰しにかかる攻撃を絶えず誘発する危険の中にいる。しかし、ロシアのテレビ番組はそんなハイヤー氏を招いた。ロシアではトランスジェンダーイズムによる家庭崩壊の弊害が目に余るほどになっているからだ。チェコでもテレビに出演し、その結果チェコでは、トランスジェンダーイズムについて学校で教えるカリキュラムが全て停止された。
スペインからも、チリ、ニュージーランド、オーストラリア、カナダからも招聘され、ハイヤー氏は今やアメリカ以外でよく知られる存在だ。しかし、日本で彼を紹介する動きは鈍く、その意味で本誌『福音と社会』に彼の名が載ることは画期的な出来事と言える。
そうした状況下で、イギリスのリズ・トラス首相が就任後の第一声で「反トランスジェンダー」に舵を切ったと報じられたが、それは、ことの本質を考えさせる意味で、画期的な一石になったと思われる。
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