神が宿るところ

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蔦の細道

2011-05-03 22:24:19 | 史跡・文化財
蔦の細道(つたのほそみち)。
場所:藤枝市岡部町岡部~静岡市駿河区宇津ノ谷の間の峠道。国道1号線の「平成宇津ノ谷トンネル」の岡部口の近くに「蔦の細道公園」、静岡口の近くに「道の駅宇津ノ谷峠下り」があり、それぞれ駐車場がある(ただし、後者は道の駅なので、一般ドライバーの駐車場利用も多く、混んでいる。)。
「延喜式」によれば、駿河国の古代東海道は、牧之原台地上の「初倉」駅から現・焼津市の「小川」駅を経由して日本坂を越えてゆく。いわゆる「駅路」は都と地方を結んでいるが、移動の効率を最優先して、郡の役所である「郡家」はもとより、国の役所である「国府」すら、直接には繋いでいないことも多い。かつては、古代官道は国府の前を通る(=国府は官道に面している)のが当然と考えられていたが、発掘結果などによって必ずしもそうではないことがわかってきた。駿河国と古代東海道もそのようで、国府の所在地は確定してはいないが、いずれの推定地も、古代東海道は素通りしている。したがって、郡家と郡家、郡家と国府を結ぶ道路が別にあったと考えられている。これを、講学上「伝路」ということが多い。
古代の駿河国にも伝路があり、宇津ノ谷峠を越える道が伝路であったとされている。在原業平(825~880年)が「伊勢物語」の中で、この宇津ノ谷峠越えについて「駿河なる 宇津の山辺の うつつにも 夢にも人に あわぬなりけり」と、蔦が生い繁る峠の寂しさ・心細さを歌ったことから、「蔦の細道」という地名が生まれたとされる。
日本坂峠を通る古代東海道は、「官道」(駅路)なので、国司が往来するのに通っただろうという考えから、「花沢の里」(焼津市)に「焼津辺に・・・」の万葉歌碑が建てられたと思われる。しかし、有力説によれば、駅路は緊急の伝令や軍隊の移動に使われたもので(因みに、駅家に関する記述は「延喜式」兵部省の部に記載されている。)、国司の赴任などは急ぎの旅ではなかったので、伝路を通ったはずだ、という。
さて、駅路たる古代東海道が次第に衰退すると、宇津ノ谷峠越えの道がメイン道路になっていく。ただし、元々「細道」であったことから、軍隊の移動に不便だとして、豊臣秀吉が別路を開いた。これが近世東海道となっていく。


静岡市のHPから(蔦の細道)


写真1:「平成宇津ノ谷トンネル」岡部口付近にある「坂下地蔵堂」


写真2:地蔵堂境内にある「蘿径記の碑」


写真3:「蔦の細道」石碑。ここから急な坂道になる。


写真4:峠の少し手前にある「猫石」。この石のある辺りを「神社平」などともいい、「猫石」は旅の安全を祈った「磐座」ではないか、ともいう。


写真5:「宇津ノ谷峠」。本文にある在原業平の歌の石碑が建てられている。
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