八幡神社(はちまんじんじゃ)。別名:駿府八幡宮。
場所:静岡市駿河区八幡山1-1。県道384号線(高松日出線、通称:久能街道)と県道407号線(静岡草薙清水線、通称:南幹線)の「八幡2丁目」交差点から東南へ約400m。駐車場有り。「八幡2丁目」交差点から先(東南)は急に道路が狭くなり、曲がりくねっているが、これも「久能街道」で、「静岡浅間神社」(富士新宮)~「駿府八幡宮」~「久能山東照宮」(旧・「久能寺」)を結ぶ参詣の道となっている。
社伝によれば、創建は推古天皇5年(597年)で、豊前国一宮「宇佐神宮」の御分霊を勧請した、という。しかし、「宇佐神宮」自体の創建が欽明天皇32年(571年)とされているので、いささか早すぎるのではないだろうか。一説によれば、駿河国の国府八幡宮として祀られたともいう。因みに、遠江国では、国府想定地(「御殿・二之宮遺跡」、磐田市中泉)の北、約1.2kmのところに「府八幡宮」が現存し、古代東海道を挟んで「遠江国分寺」と向かい合っている。
祭神は八幡三所神(応神天皇、比売大神、神功皇后)。八幡神は、源氏の氏神とされたために、平安時代末期頃から各地に勧請されたようで、当神社もそうした神社の1つだっただろうと思われる。ただし、八幡山は静岡平野に浮かぶ島のような小山で、古代東海道を北に見下ろす位置にあって、古代から聖地であっただろうと思われる。例えば、八幡山中腹、当神社本殿の西側に「渡神社」という小社があるが、祭神は「渡大神」という正体不明の神で、元々は当地の地主神だったかもしれない。また、八幡山には古墳もあり(「八幡山古墳群」)、特にその「2号墳」は当神社本殿の向かって左側にあり、一説には「有度郡牛麻呂(うとべのうしまろ)」(奈良時代の防人で、万葉集に歌が収載されている。)の墓ともいわれているが、勾玉等も出土していることから、当地の有力者の墳墓であった可能性が高い。なお、この古墳は入口が露出していて、「静岡浅間神社」または「駿府城」~「久能山東照宮」とトンネルでつながっているというトンデモ説があり、当神社の説明板にも記載されているが、当然ながら「構造上そのようなことはありません」とあっさり否定されている。
ところで、当神社本殿の向かって左手に「庁の宮」と呼ばれる小祠がある。祭神は高皇産霊神(タカミムスビ)とされるが、「庁の宮」は、なぜか「静岡浅間神社」の庁守太夫という神職が神事を行うことになっている(なお、「静岡浅間神社」には「庁の宮」という社はない。)。「静岡浅間神社」のうち式内社「神部神社」は駿河国総社であったとされていることや、「庁の宮」という名からも、国府と何らかの関係があったことが窺われる。
「00shizuoka静岡観光おでかけガイド」さんのHPから(八幡山古墳群)
写真1:「八幡神社」正面鳥居。社号標もシンプルに「八幡神社」
写真2:拝殿は山麓にあり、本殿は拝殿背後の急な石段の上、八幡山中腹にある。
写真3:本殿
写真4:「庁の宮」
写真5:八幡山には中世に「八幡山城」が築かれた。
写真6:八幡山上から見える富士山。手前は、再開発が進むJR「東静岡」駅周辺。
場所:静岡市駿河区八幡山1-1。県道384号線(高松日出線、通称:久能街道)と県道407号線(静岡草薙清水線、通称:南幹線)の「八幡2丁目」交差点から東南へ約400m。駐車場有り。「八幡2丁目」交差点から先(東南)は急に道路が狭くなり、曲がりくねっているが、これも「久能街道」で、「静岡浅間神社」(富士新宮)~「駿府八幡宮」~「久能山東照宮」(旧・「久能寺」)を結ぶ参詣の道となっている。
社伝によれば、創建は推古天皇5年(597年)で、豊前国一宮「宇佐神宮」の御分霊を勧請した、という。しかし、「宇佐神宮」自体の創建が欽明天皇32年(571年)とされているので、いささか早すぎるのではないだろうか。一説によれば、駿河国の国府八幡宮として祀られたともいう。因みに、遠江国では、国府想定地(「御殿・二之宮遺跡」、磐田市中泉)の北、約1.2kmのところに「府八幡宮」が現存し、古代東海道を挟んで「遠江国分寺」と向かい合っている。
祭神は八幡三所神(応神天皇、比売大神、神功皇后)。八幡神は、源氏の氏神とされたために、平安時代末期頃から各地に勧請されたようで、当神社もそうした神社の1つだっただろうと思われる。ただし、八幡山は静岡平野に浮かぶ島のような小山で、古代東海道を北に見下ろす位置にあって、古代から聖地であっただろうと思われる。例えば、八幡山中腹、当神社本殿の西側に「渡神社」という小社があるが、祭神は「渡大神」という正体不明の神で、元々は当地の地主神だったかもしれない。また、八幡山には古墳もあり(「八幡山古墳群」)、特にその「2号墳」は当神社本殿の向かって左側にあり、一説には「有度郡牛麻呂(うとべのうしまろ)」(奈良時代の防人で、万葉集に歌が収載されている。)の墓ともいわれているが、勾玉等も出土していることから、当地の有力者の墳墓であった可能性が高い。なお、この古墳は入口が露出していて、「静岡浅間神社」または「駿府城」~「久能山東照宮」とトンネルでつながっているというトンデモ説があり、当神社の説明板にも記載されているが、当然ながら「構造上そのようなことはありません」とあっさり否定されている。
ところで、当神社本殿の向かって左手に「庁の宮」と呼ばれる小祠がある。祭神は高皇産霊神(タカミムスビ)とされるが、「庁の宮」は、なぜか「静岡浅間神社」の庁守太夫という神職が神事を行うことになっている(なお、「静岡浅間神社」には「庁の宮」という社はない。)。「静岡浅間神社」のうち式内社「神部神社」は駿河国総社であったとされていることや、「庁の宮」という名からも、国府と何らかの関係があったことが窺われる。
「00shizuoka静岡観光おでかけガイド」さんのHPから(八幡山古墳群)
写真1:「八幡神社」正面鳥居。社号標もシンプルに「八幡神社」
写真2:拝殿は山麓にあり、本殿は拝殿背後の急な石段の上、八幡山中腹にある。
写真3:本殿
写真4:「庁の宮」
写真5:八幡山には中世に「八幡山城」が築かれた。
写真6:八幡山上から見える富士山。手前は、再開発が進むJR「東静岡」駅周辺。