神が宿るところ

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将門土偶之墓

2021-09-11 23:28:38 | 古墳
将門土偶之墓(まさかどどぐうのはか)。
場所:茨城県取手市市之代。茨城県道328号線(谷井田稲戸井停車場線)「みずき野十字路」交差点から北東に約1.7km、小貝川に架かる「稲豊橋」西側の感応式信号機のある交差点を左折(北西へ)、約50m。駐車場なし。
「将門土偶之墓」は、明治7年の道路改修の折、甲冑を着た武者の土偶が出土したのを、平将門軍の兵士とみて、再び埋葬したものとされる。ただし、どこから出土したかは不明。因みに、当地の南に「島広山」という地名(将門の本拠地とされる「島広山・石井営所跡」(2012年10月13日記事)と同じ。)があったといわれている。現在、現・茨城県守谷市みずき野となっているところは、元は「郷州原」(字郷州)と呼ばれる荒地、雑木林だったらしい(同町内に「郷州小学校」がある。)。昭和54年から広い住宅団地が開発され、古い面影は殆どないが、かつて「郷州海道」という道があり、ここから、現・取手市の高井~山王とを結んでいたとされる。現・取手市下高井に「(下総)高井城址」があり、伝承では、将門の敗死により、常陸国信太郡(現・稲敷市ほか)に逃げた将門の後裔が長治年間(1104~1106年)に戻ってきて築いた城で、ここから相馬氏を名乗ったともいう。その真偽は不明だが、戦国時代の相馬氏の支城であったことは間違いなく、「郷州海道」というのは、市之代~高井~山王と、小貝川沿いの河岸段丘を進む軍事道路だったのかもしれない。また、みずき野の南西に「乙子(おとご)」という地名があるが、これは「守谷城」の落とし口(脱出路)、即ち「落口(おとご)」に由来するともいう(「守谷城址」(2021年7月24日記事参照))。つまり、この地区でも、相馬氏により将門伝説が流布された可能性がある。
さて、土偶であるが、市之代の小貝川沿いに「市之代古墳群」(前方後円墳2基、円墳19基の計21基)があり、土偶はこれらの古墳からの出土品だろうと思われる。築造時期は5世紀後半~6世紀中葉とされている(「市之代古墳群第3号墳調査報告書」による。)ので、もちろん将門の時代のものではないことは明らかだが、武者といえば将門に結び付けられることの素地があったのだろう。
また、近くに「姫宮神社」がある。江戸時代の創建で、現在の祭神は櫛稲田姫命ということしかわからないが、地元では、将門の愛妾、または娘を祀っているとの伝承があるとされる。この姫様は、餅草で目を突き、片目になったという。民俗学的には、神様が植物の根に躓いて目を傷め、その植物の実を食べないという伝承は各地にあるが、この場合はどういう意味なのだろうか。


写真1:「将門土偶之墓」。コンクリート製らしく、昭和12年銘がある。現在も、水などを手向ける人があるようだ。もちろん、祟りなどという話は聞かない。なお、碑は右に傾いているし、覆屋もゆがんでいる。


写真2:「市之代古墳 第三」石碑(「稲豊橋」西詰。駐車場なし。交通量が結構多いので注意。)。第3号墳は長さ約20mの前方後円墳(だったが、道路工事により後円部は消滅)。土師器、人物形埴輪などが出土したという。


写真3:写真2の奥は竹林になっていて、どこがどう古墳なのか、よくわからない。


写真4:「姫宮神社」鳥居(場所:茨城県取手市市之代500。「将門土偶之墓」から北西へ約300mのところで右折(北東へ)、約100m。駐車場有り。)。元は「西蔵寺」(廃寺)の敷地だったらしく、地区の集会所や共同墓地、ポスト、火の見櫓、ごみ集積所などが集められている場所にある。


写真5:同上、社殿


写真6:同上、社殿の「比め美屋」という額。もう1つ「稲田姫尊」という額も掛かっている。比較的最近のものとみられるが、彫刻がリアル。


写真7:同上、鳥居横の仏堂。中央は如来像だが、手指が欠けている。隣接して市之代地区の共同墓地があることから、阿弥陀如来かもしれない。他に石造の大師像らしきものもある。

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2 コメント

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Unknown (残念)
2021-09-12 11:49:20
せっかくの写真水平出して撮って下さい。イラってします。
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Unknown (ブログ管理人)
2021-09-12 14:27:57
残念さま。
コメントありがとうございます。
「将門土偶之墓」の写真のことでしょうか。まさに残念なことに、これは、碑自体が傾いているのです。加えて、覆屋は碑と逆の方に傾いています。
素人が撮影しているので、稚拙なことはご容赦くださいますように。
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