神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

大杉神社(茨城県稲敷市)

2022-06-04 23:35:45 | 神社
大杉神社(おおすぎじんじゃ)。通称:あんばさま。
場所:茨城県稲敷市阿波958。国道125号線「大杉神社前」交差点の北側。駐車場は、交差点から北東へ約50m。
社伝等によれば、「常陸国風土記」行方郡の条にいう「安婆之嶋」は現・当地の台地を指し、そこに生えていた巨杉は関東平野東部に広がっていた巨大な内海である所謂「香取海」の海上交通の目印として信仰されていた。神護景雲元年(767年)、勝道上人が「香取海」を通って下野国日光(現・栃木県日光市)に向かう途中で暴風に遭い、不動尊に祈願すると「三輪明神」(大和国一宮「大神神社」の祭神・大物主神)が現れ、当地に無事上陸できた。そこで、巨杉を神籬(ひもろぎ)として、その下に祠を建てて「三輪明神」の神像を祀ったのを創建とする。一般に、「三輪明神」こと大物主神は杉の巨木に下りてくる(酒の神でもあって、新酒ができたときに酒蔵に杉玉を下げるのは、これに因む。)という伝承があるので、当初は巨杉自体を信仰対象とする自然崇拝だったのを、「三輪明神」に後付けした可能性があると思われる。延暦24年(805年)には別当寺として「安穏寺」(次項予定)が開基され、以後、神仏混淆となる。中世には、地名から「安場大杉大明神」など称され、疫病除けの御利益ありとして信仰を集めた。「応仁の乱」(1467~1477年)のとき神領を奪われるが、慶長年間(1596~1615年)には徳川幕府より「安穏寺」に領地20石が安堵された。また、常陸国が大旱魃となった折り、現・稲敷市江戸崎の「不動院」(「江戸崎不動尊」)住持だった僧・天海(後に大僧正となり、慈眼大師と諡号された。)が「大杉明神」を龍神として勧請し、大雨を降らせたとして、天海が「安穏寺」住職も兼任することとなり、以後、「安穏寺」は「日光山 輪王寺」の直兼帯寺院となったという。こうしたことから、疫病除けや水上交通の守り神として信仰圏が広がり、関東を中心に約670社あるという「大杉神社」(通称:あんばさま)の総本社となったとされる。明治時代の神仏分離により「安穏寺」は廃寺となり、明治6年に村社、後に郷社に列した。現在の主祭神は倭大物主櫛甕魂命(ヤマトノオオモノヌシクシミカタマ。大物主神の別名)。
なお、御神木は、「太郎杉」が寛政10年(1878年)に西隣の旧・神宮寺村で起きた火災の飛び火で焼失、現在「次郎杉」(幹周り約7.5m、樹高約40m。社殿の背後・駐車場の奥)と「三郎杉」(幹周り約7.5m、樹高約28m。社殿西側)がある。また、境内社として「大国神社」、「稲荷神社」、「天満宮」、「白山神社」などがあって様々な御利益に応え、さながら祈願のデパートのようになっているが、中でも異色なのは「勝馬神社」だろう。古名を「馬櫪社(ばれきしゃ)」といい、祭神は不明ながら「厩神」として民俗的な馬の守護神とされる。平安時代、常陸国信太郡に兵部省所管の官営牧場「信太馬牧」(現・茨城県美浦村信太付近?)があり、そこに貞観4年(862年)に創祀されたという。平安時代末期に馬牧が廃絶した後、鎌倉時代に「大杉神社」境内に遷座したとされる。現・美浦村には日本中央競馬会(JRA)の美浦トレーニングセンターがあり、その関係者や競馬ファンなどが多く参拝に訪れるとのこと。
蛇足:天海大僧正については、明智光秀と同一人物説があるが、当神社の伝承では、織田信長と同一人物であるとする。信長は「本能寺の変」を生き延び、江戸崎城主・土岐氏の領地である常陸国東条荘(信太東荘)に僧として身を隠していた。その後、再び世に出るきっかけは上記の通りだが、当神社の社殿前にある一対の唐金灯籠は、元は上野「寛永寺」にあった江戸幕府第3代将軍・徳川家光の廟「大猷院」から移されたものとされ、それだけ将軍家との結び付きが強かった証という(以上、読売新聞(茨城版)2021年8月25日記事による。)。ただし、天海=信長とする根拠はよくわからない。因みに、土岐氏は美濃国(現・岐阜県南部)にルーツがあり、明智氏は土岐氏の支族に当たる。いづれせよトンデモ説の域を出ないと思われるが、天海=光秀というほうがまだしも理屈が通りそうだが、どうだろうか。


あんばさま総本宮「大杉神社」のHP


写真1:「大杉神社」大鳥居。鳥居の向かって左の天狗像を「ねがい天狗」、右を「かない天狗」とし、日本唯一の「夢むすび大明神」と称する。「大杉神社前」交差点に面している。天狗信仰については次項「安穏寺」で。


写真2:二の鳥居と石灯篭


写真3:悪縁切堂


写真4:麒麟門。社殿正面(南側)だが、こちらからは入れない。天海が「安穏寺」住職に就いて以来、「開かずの門」とされたという。石段下に「茨城百景 阿波の大杉神社」石碑がある。


写真5:拝殿


写真6:本殿


写真7:境内社・大国神社など。


写真8:三郎杉


写真9:境内社・稲荷神社(正一位立身出世最勝稲荷大明神)


写真10:境内社・勝馬神社(拝殿?)。中に神馬像がある。


写真11:同上、本殿


写真12:次郎杉。写真が小さくて見にくいが、鳥居の後ろにある。高さは他の杉とさほど変わらないが、幹回りが太い。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 慈雲山 無量寿院 逢善寺 | トップ | 龍華山 慈尊院 安隠寺 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

神社」カテゴリの最新記事