「勝手に行くな!」
追いかけてきて後ろから肩をつかまれた。
「暗号は解いたのか?」
「はあ?」
「そんなことも知らないのか。だったらなおさら行くな」
どういうつもりかと奴は問い詰めてきた。
「何となく前へ前へ進んだんだよ」
「もう勝手に動くな!」
話にならんという顔だった。あまりにむっとしたので僕はその場でつばを吐いた。ちょうど通りかかった女性につばが当たりそうになり、女性は露骨に嫌な顔をしてみせた。
宿泊先の民家に上がるとまだ段取りが整っておらず、皆は細長い通路で待機することになった。赤いラジコンカーが猛スピードで部屋を出入りしている。走らせているのは小さな女の子だ。不意に奥の部屋から少年が姿を現した。手に小刀を持って一番隅にいた僕に近づいてきた。気づくと小刀は僕の手の甲を這っていた。それから徐々に上に這いTシャツの袖を抜けて首筋にまでたどり着いた。
「こいつを見ろ!」
少年は僕を人質にして身代金を要求した。それを持って高飛びしたいと少年は漏らした。けれども、少年の声は喧噪を制することはなかった。夜の楽しみへの関心が高いのか、僕への関心が低すぎるのかはわからなかった。「飛んでどうするんだ」首筋に刃先を感じながら、少年を説得した。いずれにせよ、既に計画は頓挫しているも同然だ。そして、皆が無関心だからこそわけなく何もなかったことにできる。ひと時の過ちくらい誰にでもあるものだ。
「もういいや」
状況を呑み込んだのか、少年が離れた。
「ありがとう。僕の命を救ってくれて!」
無意識に感謝の気持ちが漏れた。(本当はそれより先にすべきことがあったのだが)その時、少年の目が鋭く僕を睨んでいることに気がついた。
(えっ? 違うの)
痛恨の解釈ミスをしていた。
小刀はまだ首筋に残ったままだった。僕はなぜか身動きできないのだ。
「待て! あきらめるな! 助けてくれ!」
僕の言葉だけが少年と向き合っている。
一度安堵したあとでは、震えるほどに命が惜しい。