無煙映画を探せ  

映画のタバコシーンをチェック。FCTC(タバコ規制枠組条約)の遵守を求め、映画界のよりよい発展を願うものです。

ボーン・レガシー

2012-09-29 | 2015以前の映画評


「ボーン レガシー」 トニー ギルロイ監督 米 □

 「ボーン」シリーズのボーンが闘っている同じときに、別のCIA極秘プログラムが進行していました。その主役はコードネーム「アーロン クロス」(ジェレミー レナー)で身体と精神を活性化させる2種類の薬物を使用し、その実験台となっていました。しかし、その計画は頓挫し開発に関わった女性科学者マルタ(レイチェル ワイズ)とともにアーロンはCIAの暗殺者に追われます。偽造パスポートでマニラに潜入しますが、はたして逃げ切ることができるのでしょうか。
 (57)の「デンジャラス・ラン」とよく似ていますが、こちらは逃げる二人を追うCIAは監視カメラの解析を行って指示をするだけです。CIAの幹部は会議室にいるだけで世界の情報を一手にすることができるようです。遺伝子まで操作してスパイを「闘うマシン」にしたり、ウィルスを利用したりと怖いです。また、最近新兵器として話題になっている「無人攻撃機」も登場します。この映画を観た後、ちょうど同じ攻撃機を使用してあるテロ組織の幹部を殺害したと報道されていました。
 タバコはマニラのごたごたとした街中の場面で、数人の喫煙者がいるところにアーロンが入り込み、むせて咳をしてしまいます。どうして薄汚れたところにはいつもタバコが出てくるのでしょうか。

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生き抜く 南三陸町 人々の一年

2012-09-28 | 2015以前の映画評


「生き抜く 南三陸町人々の一年」 森岡紀人監督 □ ドキュメンタリー

 3・11が起きてすぐ、大阪毎日放送から3班が別ルートで被災地をめざして出発し、28時間後に南三陸町に到着しました。混乱の中カメラを向け取材を始めたのです。その後も定期的、定点的に取材したものをまとめた「厳然たる現実を克明に描く」(パンフレットより)作品です。
 マスコミ報道の多くは「絆」とか「希望」といった明るく前向きなメッセージで被災地を伝えていますが、現実にはきれいごとでは表現できないこともたくさんあります。その上、被災地から離れていると報道もめっきり少なくなり、被災地のことをすっかり忘れてしまい、すでに過去の出来事になりつつあります。そのような時だからこそ、私たちはもう一度被災地のことを思いどうしたら寄り添うことができるのかを考え直すきっかけになる作品です。
 また、この作品を観ることで自分自身がどう人生を「生き抜く」のかを考える機会にもなります。
 タバコは漁師が船の上などで喫煙している様子がちらほら映りました。(□)大事な売り物の、それも食品となる魚の上でタバコを吸う習慣はやめましょう。仕事中の禁煙は当たり前です。
 
 10月13日(土)~10月26日(金) ポレポレ東中野にて上映


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デンジャラス・ラン

2012-09-27 | 2015以前の映画評


「デンジャラス・ラン」 ダニエル エスピノーサ監督 米 ○ 

 ケープタウンのCIAの隠れ家に元CIAで指名手配されていた最強のスパイ、フロスト(デンゼル ワシントン)が連行されてきます。その途端、完璧なはずのセキュリティを破って武装した集団が隠れ家を襲いフロスト奪還を図ります。隠れ家の管理人だったマット(ライアン レイノルズ)は「君は私を守る義務がある」とフロストに説得され、ふたりで隠れ家を脱出、CIAと謎の武装集団から逃げるのでした。
 スパイアクション映画ですが、最近のアクションはワイアーものが多く食傷気味でしたが、この作品は体を張っている感じでライアンは最初の「ダイハード」を彷彿とさせ懐かしい感じでした。これからが期待できそうです。
 タバコはなし。ニコチン依存症では本物のスパイにはなれませんね。
 

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ライク・サムワン・イン・ラブ

2012-09-26 | 2015以前の映画評


「ライク・サムワン・イン・ラブ」 アッバス キアロスタミ監督 日仏 ×××

 イラン人の監督が日本を舞台に日本人の俳優で撮りました。最近では珍しく喫煙者が異常に多いタバコ煙でモクモクのバーから始まります。ワケあり風の男女が他愛のない会話をする中、ケータイ電話で真剣にストーカーまがいの男(加瀬亮)に言い訳を言っている大学生の明子(高梨臨)、そこへヒロシ(でんでん)が現れ今夜の「仕事」に行くよう説得をします。「祖母が上京していて会いたいから」と断りますが結局は「仕事」に出かけます。今夜の相手は現役を引退した80歳過ぎの元大学教授タカシ(奥野匡)でした。翌朝「仕事」が済んで明子を大学まで送ったタカシの前に明子の自称婚約者ノリアキが現れ、タカシを明子の祖父と勘違いしたことから喜劇が始まります。
 喜劇と評しましたが監督は喜劇を撮っているつもりはまったくなく、普遍的な人間の営みを映画にしたようです。それならば「人生とはちっとも笑えない喜劇」なのかもしれません。
 タバコは冒頭のバーの客がほとんど喫煙者と言う状況で、イラン人の監督は日本の喫煙率が30%以下なのを知らないようです。それとも危ない仕事をしている業界の喫煙率が高いということまでご存じの上なのかは不明ですが・・・。いずれにせよ吸わされる俳優さんたちが気の毒です。(××)また、ノリアキがタカシに話しかけるきっかけが車で待っているタカシに「タバコの火あります?」という古典的手法(×)。加瀬亮のタバコの吸い方がいつも真剣過ぎです。そんなところに命をかけなくてもいいですよ。


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よだかのほし

2012-09-25 | 無煙映画特別論評

中国での反日暴動のニュースを見ると心が痛む。領土問題についての言及はここではしないが、仮に相手が100%悪かったとしても、私には物を壊したり燃やしたり相手を傷つけるようなことはできない。それを日本人の甘さと分析する人がいるかもしれないが、他人の所有物に手を出してまで自己主張することには抵抗がある。
 日本でも毎週金曜日に官邸前でのデモが行われているが、完全に非暴力である。多少は過剰警備の警官との陣取りのようなことはあるかもしれないが、物を投げたりましてや略奪などはありえない。
 なぜかその理由の一つは私たちが「宮澤賢治を知っている」ということがあげられる。「不幸な人がいたら真の幸福はありえない。」とか「自分を勘定に入れず」などの賢治の哲学が心にある。その世界に触れる時私たちは利己主義を顧みることができる。そして人間性を取り戻す。
 この作品には恋もアクションもエイリアンも出てこない。波乱万丈なストーリーもない。ちょっと母親との関係にわだかまりがあり、不器用に生きている28歳の女性が同郷の花巻出身の高齢の女性と出会うことで10年ぶりに故郷に帰省することになりそこで自分を取り戻すというだけの内容だ。賢治の作品は子供のころ父親が読み聞かせてくれたという形で「よだかの星」が紹介されるだけで、賢治の作品そのものを映画にしたわけではない。けれど主役の菊池亜希子のあまり自己主張をしない雰囲気や映画全体のトーンがおだやかで宮澤賢治の世界に近いものがある。ドラマチックな展開はないが退屈なわけではない。風景や静かな会話が観ているものを癒す。
 わたしたちは様々な機会や媒体で賢治の哲学と再会することで精神の浄化をはかっているのであろう。そのおかげで非暴力という行動を続けることができるのだ。

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桐島、部活やめるってよ

2012-09-25 | 無煙映画特別論評

 一般的な大人たちは15~18歳までを過ごした高校時代には、それぞれが甘酸っぱい思い出をもっている。勉強もしなければならないのだが、恋をしたり破れたり部活に励んだり、一生の友ができるのも高校時代かもしれない。少なくとも昭和の高校には自殺やひきこもりはまだあまりなく、嫌なこともあったのだろうが記憶の結晶作用できらめいていた日々の思い出が残っている。生涯の中でもいい時代なのだ。
 桐島君がバレー部のエースということでバレー部は当然だが、他にも野球部バドミントン部剣道部吹奏楽部ちょっと異質だが帰宅部、そしてわが映画部の面々が活躍する。事件は一つ起こるだけだ。「桐島君が欠席し、部活もやめるといううわさが流れる。」だけだ。桐島君の不在は所属していたバレー部や交際相手の女子高生だけでなく学校全体の空気を変えてしまう。
 桐島君とは全く関係がなさそうな地味な映画部(部室をみれば一目瞭然だ)の監督前田君も間接的ながら微妙に影響を受け撮影もそのことで振り回されてしまう。しかし、その前田君も初めは交渉する勇気もなかったが、数日の間にたくましく変化しクライマックスではきちんと自己主張できていて、あの年代の可能性を表現していて好感が持てる。
冒頭に金曜日の出来事を複数の視点から描いたことで登場人物の立ち位置を観客に明らかにする手法は新鮮なだけでなくとてもわかりやすい演出だった。
 高校物の多くは見るからに20代の成人俳優がそれらしく演じる無理があるが、前田を演じる神木をはじめ、ベテランでありながらまだ初々しさを感じさせるところがいい。あの初々しさが演技だとしたらそれはそれで頼もしい。
 帰宅部を含め部活を中心に描いたことが、成績や進路などの高校生活にありがちなことを削ったところがすっきりしてよかった。現役の高校生よりもかつて高校生だった大人たちのための作品だ。

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メランコリア

2012-09-25 | 無煙映画特別論評
 地球に他の惑星が衝突するという設定で映画を作るとします。アメリカですと、大軍団が登場し、山ほどの武器をビュンビュン飛ばして最終的には核爆弾を使用して惑星を爆破してしまうでしょう。その結果、地球が放射能で汚染されたとしてもです。
 日本の場合は自発的に何人かの若者が犠牲的精神で家族や恋人に涙で見送られて、惑星めざして突撃する特攻隊もどきの内容になるでしょう。
 一方、この監督の考えは全く違います。主人公のジャスティンは少しばかり心を病んでいて自身の結婚披露宴でとんでもない行動をとってしまいます。姉のクレアは内心ハラハラしながらも妹の気持ちを優しく受け止めます。披露宴が終了するとともに夫となったばかりの人が別れて去っていく場面で第1部が終わります。空には見たこともない赤い星が輝いていました。
 第2部はひとりではタクシーに乗ることもできないほどの状態になってしまったジャスティンをクレアが自分の屋敷に引き取るところから始まります。その頃には「メランコリア」と名付けられた赤い星は日に日に大きく見えるようになり、地球最後の日が迫ってきました。それが現実となるとジャスティンはなぜか心が解放され食欲も出て元気になっていきます。一方クレアやその夫はとり乱し自滅的な行動を取ってしまいます。そして映画は予想を超えたラストを迎えます。
 プロローグの病んだジャスティンの心を表す美しい映像と荘厳な音楽が観客を映画の世界に引き込みます。
 すべてを破壊してしまう相手をも静かに受け入れるという強靭で寛容な精神は、目の前の敵は力でねじ伏せるという価値観だけが世界を支配している今こそ人類が取り戻さなければならない魂を救済するものなのではないでしょうか。

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テルマエ・ロマエ

2012-09-25 | 無煙映画特別論評

 奇想天外な物語です。古くは「バックトウザフューチャー」から最近の「ちょんまげぷりん」などタイムスリップ物はいろいろありますが、時空つまり時間と場所をともに超えるというのは珍しいのではないでしょうか。
 テルマエと呼ばれるローマ時代の大衆浴場の設計技師ルシウス(阿部寛)は紀元128年のローマから現在の日本各地に数回移動するのです。銭湯、家庭の風呂、入浴用品の展示場、温泉旅館で日本の様々な入浴スタイルに感動し、ローマ時代に戻るとそれを生かした設計をして皇帝ハドリアヌスの信頼を得ます。たかが風呂ですがそれが世界の歴史を変えてしまうかもしれないという意表をついたおもしろさがあります。
 温泉には実際に傷や打撲などの故障を治癒する効果もありますが、それ以上に精神的な癒し効果は絶大なものがあります。3・11以降いろいろな問題を抱える日本ですが、ここはひとつこの映画を観てお風呂の良さを見直して温泉に浸かって元気をとりもどしたいものです。また、軍事力や経済力で他国を制覇するよりも温泉文化という日本独特の文化で世界の皆様に喜んでもらえる社会の方が誰かを傷つけることなく幸せになれるのではないでしょうか。
 それにしてもイタリア人って太っ腹ですね。撮影所と1000人ものエキストラを極東の小さな島国の撮影に貸してくれるなんてさすがです。2000年来の大国、尊敬します。軍事協力より文化協力の政策が進んでいるのでしょう。
というわけで是非次回作を期待します。次回はやっぱり麺対決です。イタリアンパスタと讃岐うどんを中心としたそばやそうめんなどの日本の麺と相乗効果でおいしいものを作るというのはどちらの麺も魅力たっぷりでおもしろい作品になるのではないでしょうか。


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ホタルノヒカリ

2012-09-25 | 無煙映画特別論評

 職場ではよく気も付くし責任感もありますが、家に帰るとジャージに着替え縁側でゴロゴロとビールを飲むことが一番の幸せという「干物女」こと雨宮蛍と、同居している「ぶちょお」こと高野誠一のふたりが、なんとローマへハネムーンに出かけます。機内で知り合った若者優とローマで暮らしているその姉莉央(ローマの干物女?)との4人が中心となって物語は進みます。冒頭の蛍の干物女ぶりたとえば2センチ先にあるサキイカも自分で取らず「取って」と言ったり、ホテルの部屋を散らかしほうだい散らかしたり、猫語(~~だニャン)などで笑いをとりますが、中盤以降莉央の悲しい過去が蛍に告げられたあたりからコメディの枠を乗り越え「哀しみを受け入れながらも生き続ける」という3・11以後を生きるわたしたちに問題を提起する内容に変わっていきます。
 愛する家族を亡くし「しょうがなく生きている」という莉央のために池に落ちてしまった大切な写真を蛍とぶちょおが雨の中拾い上げ、きれいに水で洗う場面は、津波の後の写真を処理していた人々の姿と重なります。思いっきり泣くこともできなかった莉央が並んだ写真を見て初めて号泣する場面は、映画の冒頭「2012年 冬」という字幕の意味が「3.11後」ということなのだとあらためて思い起こさせます。「ぶちょお」が女装してダンスを踊る場面も単なる奇抜な笑いを取るアイディアというのではないことも後からわかり「愛するものを亡くした悲しみ」は万国共通なのだと教えられます。ぶちょおがローマに着いたとき出迎えた現地の担当者の濃厚なキスも笑わせるためではなかったのです。このあたりなかなか細やかな演出です。
とっつきは、軽い内容で誰でも楽しめるという印象の作品ですが、実はその中にさりげなく鎮魂の意味を含ませ予想とは違う感動を味わえます。映画は奥が深い。

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よだかのほし

2012-09-22 | 2015以前の映画評


「よだかのほし」 斉藤玲子監督 ○ 無煙映画大賞候補

 研究者のトワ(菊池亜希子)は28歳。父は小学生の時に亡くなり、その後母親は再婚しトワとの関係が悪くなります。トワは高校卒業と同時に故郷花巻を出て上京、その後は一度も帰省しませんでした。今でも父が読み聞かせてくれた、宮澤賢治の「よだかの星」を懐かしく思うのでした。 
 そんな時、ジョギング中に花巻出身の手押し車を押しながら歩く町子(北上奈緒)と出会い親しくなります。そして、祭りに間に合うようにと孫のために縫った浴衣を花巻まで届けることになり、10年ぶりに故郷に帰るのでした。
 社内でも浮いた存在で生きる目的があやふやなトワをモデル出身の俳優菊池が淡々とした雰囲気で好演しています。花巻のイギリス海岸、鹿踊りなども紹介し、本物の花巻まつりの場でも撮影が行われました。震災後、「何を撮ったらいいのだろうか。」と自らに問うた結果、この物語が出来上がったそうです。(脚本も斎藤玲子) ドラマティックな展開はありませんが静かで落ち着いた作品になりました。
 タバコはなし。無煙です。社内の場面で屋外の灰皿は映りましたが、祭りの場面でもタバコは映りませんでした。

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